第3話 胸に広がる気持ち
「お邪魔しまーす」
と言って入ってきた今日子は、部屋を見渡して、寂しそうな顔をした。
「なんだかずいぶん片付いちゃってるね」
帰省は一時的なつもりだったけれど、長くなりそうなのである程度の荷物は持ち帰らないといけなかったし、会社の残務もほぼ終わり、一週間前からようやくの有休消化に入ったこともあり、この機会にと不要品もどんどん処分したので、確かに部屋は前回今日子が来た時より片付いていた。
「いよいよ明日が出発かぁ……」
「まあ、とりあえず最後の晩餐楽しもう」
今日子はアルコールとコンビニおつまみ、そして「依緒にはこれも忘れちゃだめだよね」と新作スイーツを持ってきてくれた。
自分の好みを気遣ってくれたことが、素直に嬉しい。
依緒は予告通り冷蔵庫の残り物を全て投入したお好み焼きを用意していた。焼いては余っていたソースやドレッシング類で味を変え、二人でこれは合う、合わないなどと悶えながら食べた。
前より少し痩せた今日子が爆笑しながら食べている様子を見て、依緒はほっとする。
あの日、泣きながら今日子が思いを打ち明けてくれた時はどうしようと思ったけれど、ずっと友達でいたいという言葉通り、依緒は変わらずにおはようから始まり、おやすみまでメッセージを送った。今日子はちょっと食べられないとか眠れないとか書いてくる時もあったけれど、日に日に以前のようなバカ話も混じるようになった。
やっぱり今日子とはそんな友達関係が、依緒には気楽でほっとするものだった。
恋であれ女の子の閉鎖的な強い友情であれ、相手から強く求められ、依緒だけが好きと言われ大事にされると、なんとも言えない安堵と幸福感を覚えた。それは自分の低い自己肯定感が原因かもしれないと思う。
だから、依緒はもっと求められたくて、その関係が終わるのが怖くて、相手の期待以上をあげたくなる。でもそうすると、次第に相手は依緒を望めば何でも出す四次元ポケットのように考え、低く見るようになっていく。依緒が大切にすればするほど、相手は依緒を都合良く扱うようになっていくのは皮肉だった。
相手に好かれると好きになる性格なのは自覚していた。だから、以前今日子に好きなタイプはと聞かれた時うまく答えられなかったのだ。私を好きになってくれる人が私のタイプだなんて、いかにも流されやすい女みたいで。
今日子はすっかり以前のような表情で笑っている。
彼女のことは失いたくなかった。札幌に戻っても──その先どこにいたとしても、何年経っても今のようにスマホを通してでもバカな話をしていたいし、今日子のライターとしての活躍を応援していきたい。そしていつか、今日子の描く恋愛小説を読みたい。
自分には手の届かない星を掴む今日子の姿を見たかった。
ビールを一缶開けた今日子が、床にごろんと寝転んだ。
「もう酔っ払った?」
「……札幌に戻ったら、お見合いする?」
突然の言葉に依緒はびっくりした。その話は母の骨折騒ぎで空に浮いていたけれど、きっと実家に帰ったら何かしら母から言われるだろうとは思っている。
「それで結婚しちゃう?」
と今日子は続ける。その顔を上から覗き込むと、依緒を見ようとしない今日子の瞳には、涙の膜が浮かんでいた。
胸が突かれた。
「しないと思うよ」
「思うじゃなくて、はっきり依緒の意志を言って」
今日子はただ必死で押さえ込んでいただけだったのだ。
友達でいたいと言った自分のために。
「今日子……」
「お願い」
そう言いながら今日子は手で顔を覆い、溢れてくる涙を隠した。
ああ、そうか、と依緒は思った。
胸に広がるこの気持ちは、どうしようもない愛おしさだ。
ようやく認めることができた。
ずっと目を背け見ないようにしていたけれど。
依緒は今日子の手を取ると、彼女に顔を寄せ、そっと唇を重ねた。
突然のことに驚く今日子の頬に流れた涙を指で拭う。
「私、今日子が好き」
囁くそばから涙がこぼれた。
「え……」
今日子はぽかんとしている。その顔も可愛いと思った。
だって、あなたは私が好きな人だもの。
自分を好きになる人ばかり、好きになってきた。
でも今日子のことは、そうじゃない。
いつから?
二人でプラネタリウムに行った時から? LINEで話すようになってから? 「星の雫」を今日子が読んでいると知った時から? 電車で出会った時から?
──そのどの瞬間もが依緒の心に降り積もっていったのだと思う。
たまたま落とされた本が、自分が昔大好きだった物語だったこと。
話しても話してももっと今日子を知りたくて、自分を知って欲しくて、寝るのも惜しかったこと。
今日子の言葉に励まされ、不安定な毎日を頑張れたこと。
今日子が男に言い寄られていると思うと胸が苦しいこと。
不眠症という今日子が、自分の肩にもたれ眠ったこと。
そして、いつもクールな今日子が泣きじゃくりながら、好きと言ってくれたこと。
男とか女とかじゃなくて、人間としてどうしようもなく今日子に惹かれる。
ようやく認めることができた。
私は、今日子が好き。
こんなに好きだったのに、なぜ自分で心に蓋をできていたのだろう。
このまま何も告げずに今日子から離れられるなんて、どうして思えたのだろう。
なぜ、自分を好きと言ってくれた今日子に、友達でいたいなんて残酷なことが言えたのだろう。
「今日子、ごめんね、傷つけてごめんなさい」
依緒は涙をぽろぽろこぼしながら、再度、今日子に口づけた。
最初はただ受け止めるだけだった今日子の唇がやがて熱を帯び、依緒の唇に呼応していく。
(柔らかい……気持ちいい)
今日子の腕が依緒の背中に回され、優しく撫でられる。
そうしながらも何度も角度を変えながらキスが繰り返された。
目を閉じたままなのに、まるで唇どうしが磁力を発するように引き合い、今日子の動きに応えていく自分が不思議だった。
狭い部屋に二人の息づかいと湿った音が響いていく。
ぐっと今日子の腕に力が入り、依緒はたまらず今日子の胸に崩れ落ち、スズランに似た今日子の香りに包まれた。
キスを続けながら今日子が体を起こし、依緒がそっとカーペットに横たえられる。
唇が離れたことを合図に依緒が目を開けると、今日子が目を潤ませながら依緒を見下ろしていた。頬が紅潮し、息が乱れている。
「依緒……大好き」
「大好きだよ、今日子」
声がかすれた。
今日子が微笑みながら、依緒に体重を掛けていった。その手が依緒の服の中に入っていく。
喉の渇きと寒さで依緒は明け方に目覚めた。
裸のまま、ベッドで今日子と眠ってしまっていた。
今日子は背が高いのに、横向きになり赤ちゃんのように小さくなって眠っていた。静かな寝息を聞いて、微笑んでしまう。
今日子に服を脱がされていく時は緊張や不安もあったけれど、柔らかくみずみずしい今日子の肌と自分の肌を重ねるだけでも脳が溶けそうなほど気持ちよく、今日子を想う気持ちが自然と体を動かしていた。
それは今まで経験してきた男性側の一方的な性欲解消のような行為とは全く違い、ひたすらどれだけ相手を愛しているかを言葉と体で伝え合うものだった。
ようやく見つけたんだと思った。自分にとってのたった一人の人を。
今日子と心身ともに結ばれた喜びと、それにより増した愛情と、数時間後に迫る札幌行きの寂しさで、依緒は涙ぐんだ。
11月1日に出会ってから、まるでお互いに火がついたような2ヶ月間の恋だったと思う。こんなに好きな気持ちも、熱も、札幌と東京とに離れ、お互いが日常にいなくなったら薄れていくのではないか。あるいは過去付き合った人たちと同じように、今日子が依緒に見切りをつけて去るか。
夢を追いかけ生活に余裕がない今日子と、仕事もなく親の介護で遠い札幌に戻る依緒に、どんな未来があるというのだろう。
依緒が泣いている気配を感じたのか、今日子が目覚めた。
「どうしたの?」
「離れるの、寂しいなと思って」
「寂しいね。離れたくないよ」
今日子の長い指が依緒の涙を拭う。
「私待ってるから。依緒が東京に帰ってくるのを待ってるからね」
何も言えず頷くしかない依緒を、今日子も無言で抱きしめた。
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