第46話 転換ミス

 屋内から屋外への場面転換。

 ウサコは、わたしの心配を他所に、今まで以上のスピードで動いた。

 反対側の舞台袖から出てきたコメちゃんが、着ぐるみのままのウサコを見て、

「なんで?」

 と、いったふうな素振りを見せた。


 役者としての出番を終えたばかりの転換ズが、暗闇の中でひそかに活躍する。作業は、回を重ねるごとにスムーズになってきていると感じる。本番の緊張感も良い方向に作用しているのかもしれない。


 ウサコの撤収の合図と共に、舞台袖へと帰ってくる。まだ時間的には余裕があった。

 これなら15秒でもいけるかもしれない、と自分達の仕事に満足していると、

 --ふぅぅああっ!


 わたしは、見てはいけないものを見てしまった。

 顔面蒼白になって、隣にいるウサコに舞台中央を指し示した。

 そこには、屋外の場面にあるはずのない壁掛け時計が鎮座していた。

 わたしとウサコは顔を見合わせる。


 --やっちまったか?


「ああっ、どうしよう。あれ、わたしの分担だ。坊主確定っ……?」

 わたしは声にならない声をあげた。

「まだいける」

「えっ?」


 諦めるわたしの脇をすり抜けて、ウサコが暗転中の舞台へと跳躍した。

 そのまま、あっという間に壁掛け時計をはずす。

 もう、わたしには黙って見守ることしかできない。

 ウサコなら大丈夫。わたしとは違う。彼女はそういう星の元に生まれてきてるんだ……。


 明転。そこには、壁掛け時計を持ったプレアデス。


《プレアデス》 あ。


   プレアデス、光の速さで退場。


 舞台袖へと転がり込んできたプレアデスは、わたしに向かって、

「……セーフ?」

 と、弱々しく両手を横に広げて見せた。


「そんなわけないじゃない。さすがはウサコ。一足先に2回目の出演、おめでとう……」

 わたしは、そう言って泣き崩れた。

「ああ、うん……」

 ウサコは力が抜けたように立ち尽くす。


「……とにかく、着替えないと」

 わたしは、今度は落ち着いて、ひよこ饅頭の背中にあるチャックを下ろした。

「あっづー」

 ウサコが、やっとの思いで伝説の衣装を脱ぎ終える。


 舞台上では何事もなかったように、物語は進行している。

「八田さんが、ウサコには気づかなかったって可能性はないかな……?」

 微かな希望を胸に、わたしは尋ねた。


「そりゃ、ゼロではないとは思うけど。それにしても暑い」

 ウサコは、Tシャツの胸元を掴み、パタパタと風を送っている。

「どちらにしても、まだ終わってないんだから。次の転換は、あたしは下手しもてから出動か……あれ? 下手ってどっち?」


「舞台向かって左」

 わたしは答えた。

「左?」

「は? お茶碗を持つ方の手よ」

「こっちで良いのか」


 ウサコは、お茶碗とお箸を持つ仕草をしてから、ゆっくりと座り直した。

「な……違うでしょ。こっちは上手かみて

 わたしは慌てた。

「カメがお茶碗を持つ方の手だって言ったじゃない」

 ウサコは暑さで火照っているのか、ぼーっとした目でわたしを見た。


「もしかして、ウサコ左利きなの?」

「左投げ左打ち」

「……なんだか、よく分かんないけど。じゃあ、左はお茶碗じゃなくてお箸。舞台向かって左が下手」


「初めからそう言えば良いのに。バカ」

 ウサコは視線を宙にさまよわせてから、下手袖へと向かった。

 ……バカにバカって言われた。

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