第47話 ウサコがいてくれて良かった

 本日3回目の場面転換。再び、屋外から屋内へ。

 わたしは、時間いっぱい念入りに確認をしてから舞台袖へとハケた。


 これ以上のミスをしないようにして、ほんのわずかな希望でも、それに賭けるしかない。なにより、舞台上で熱演を続けている二年生の先輩方に申し訳なかった。


「やっぱり、先輩達はすごいよね。演技が上手いのはもちろんだけど、なんかこう、存在感が違うというか……」

 わたしは、舞台上を盗み見ながら隣にいるウサコに声をかけた。


「大したことないよ」

「わたしと同じで、ろくに経験も無いくせにどこからそんな自信が……って、どうしたの?」

 ウサコは、ぐったりと頭を前に傾けて、

「気持ち悪い……」

 と、そのまま横になってしまった。


「ええっ、大丈夫?」

 赤い顔をしたウサコは、わたしの声も聞こえない様子だった。

「熱中症ってやつかな……あんな着ぐるみで動き回ってたから」


 わたしは、持参していたペットボトルの蓋を開け、ウサコの口元に持っていった。

 が、当の本人は、もう安らかな寝息を立て始めていた。少し熱っぽさはあるも、ツライといった状況ではなさそうだ。


「はあー。初舞台の本番中に寝るなんて、あんたは大物になるよ、ホント」

 わたしもウサコが寝ている脇にへたり込んだ。


 普段は大人顔負けの美貌を誇るウサコだが、そうは言ってもわたしと同じ高校一年生。寝顔には、あどけなさが残っている。


 --ふふん。永遠の宿敵ライバルであるわたしを前にそんな無防備な姿を晒すなんて、一体どういうつもりなんでしょう? やっぱり、あなたは間抜けなウサギさんね。今のうちに鼻毛でも書いといてやろうかしら。


 まあ、でもウサコがいてくれて本当に良かった。


 うちの演劇部は結構、体育会系だし、八田さんは怖いし、演技の練習は恥ずかしくてドン引きの連続だし、八田さんは横暴だし、ゲロ吐いちゃったし、八田さんは理不尽だし、お尻がバカみたいになりそうだし……ああ、これはコイツのせいだ。今のうちに鼻毛を……。どなたか、この理不尽兄妹に正義の鉄槌を下してくれる方は、いらっしゃらないでしょうか?


 あー、本当にいろいろあったなあ。こんな濃ゆい時間は今までなかったよ。

 何回も何十回も、もう無理、もうダメだって思ったけど、初舞台も踏めたし。

 たぶん……いや、ウサコがいなかったら確実に演劇部を辞めてたと思う。


 演劇的自分革命ドラマチックマイレボリューションは達成されたのかな……変わったのかな、わたし?


 うーん、

 …………。

 まあ、脇役も良いところだし。そう上手くはいかないか……。

 でも、うすうす気づいている事もある。それは、今までのわたしとは本当に縁がなかったものだけど、わかる。


 わたしは今、青春してる--キュルッ。


「きゅる?」

 どこからともなく、奇妙な音が聞こえた。

『キュルッ、キュリリリリリリ……』

 音はどんどん大きくなる。


「--っ!?」

 わたしは、その発信源を見て絶句する。

 ウサコが眠ったまま、綺麗な顔を歪めて歯と歯をしきりに擦り合わせていた。

 不快な高音の正体は、ウサコの『歯ぎしり』だった。


 わたしは、脊髄反射でウサコの口を塞いだ。

「キュリッ、キ……」

 こ、このバカッ! どこの世界に本番中の舞台袖で歯ぎしりするヤツがいるのよっ! 勘弁してーーーっ!


「キュル、キ……ふ、ふがっ」

 鼻も一緒に塞いでしまっていたかもしれない。でも、こっちにだって余裕なんかない。ウサコが苦しそうにジタバタと暴れ出したので、わたしはより一層の力を手に込めた。


「ふんがっ」

 ゴン--。

 暴れるウサコの肘が、わたしの鼻っ柱を直撃した。

「はあ、はあ、はあ……」

 ウサコが息を荒げて、むっくりと上体を起こした。


「はあ、はあ、はあ……」

 力の限りを尽くしたわたしも、痛む鼻を押さえて座り込んだ。


「はあ、はあ、はあ……」

 暗い舞台袖で、わたし達の息づかいだけが聞こえる。

 ややあって、ウサコが目をぐしぐしとこすりながら立ち上がった。

 そして、


「おしっこ」


 と、だけ言い残し、ふらふらと導かれるように光の差す方へと向かった--。

 いやああああああああああああああああああああああああっ!!

 しかし、わたしは一瞬のうちに自分の使命を悟る。


 壮大なBGMが流れる中、地球を救うために死地へと赴くハリウッドスターのように、わたしはウサコの下半身めがけて身体ごとぶつかっていった。


 間一髪!

 わたし達は絡み合いながら、もんどりうって舞台袖に倒れ込む。

「なっ」

 不意をつかれたウサコがわたしを睨む。だが、

「お客さんの前で小便する気!? 調子に乗ってんちゃうぞ、ゴルァ!!」

 鬼の形相となったわたしに、目を白黒させた。


「ちょ、ちょっと声が大きいかも。カメちゃん」

「次から次へと問題ばっか……ていうか、もう次の転換! ほら、いくよっ」

「えっ? も、漏れる……」

 わたしは、ウサコの戯言たわごとを黙殺して、次の転換へと向かった。

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