第32話 立ち稽古 その②

 部室では二年生の先輩方が立ち稽古をしている。わたし達新入生も何度か見学させてもらったが、それはもう修羅場だった。戯曲はまだ完成しておらず、作演を務める奥寺さんには、わたし達の相手をしている時間も余裕もない。


 そんな状況で、わたし達の役なんてどうして増やしたのよ……と、言ったところで後の祭り。烏丸部長の提案でわたし達は基礎練習の時間を立ち稽古にあてて、ある程度できあがった時点で奥寺さんに見てもらうという事になってはいるんだけど。


「ナッちゃんからも何かアドバイスしてあげてよ」

 烏丸部長が言った。

「んーと、ずっと言ってるけどもう少し声を大きく出さないと。いくら、面白いことをしてもそれじゃあ……」

 七海さんは顔を曇らせた。


 --ごめんなさい。でも、わたしもどうしたら良いのか本当に分からないんです……。

 本番まで残り一週間を切っているのに関わらず、もうずっとこんな状態が続いていた。


「さあ、考えててもしょうがない! 元気を出してもう一回いってみよう!」

 烏丸部長がわたし達を鼓舞する。


 それでも、わたし達の演技が別段良くなるはずもなく、ただセリフを言ってるだけ。今のままじゃ、ダメなのは分かってる。分かってはいるけど、身体が思うように動いてくれない。自信がないために、声もどんどん小さくなっていった。


 ウサコもアドバイス通りに動きを入れようととしているようだが、良くなる気配はない。それもそのはず、ウサコは戯曲を貰ってからずっと、「なんで、あたしがこんな役をやらなきゃいけないの?」という態度だった。何度やっても同じ。

 わたし達は、心が折れかけていた。


「おいおいおい……! やめろやめろ!」

 突然の怒声に、わたし達は稽古を中断した。

 --また来た……暇なんじゃないの? よりによってこんな時に……。


 制服姿の八田さんが、鬼のような形相でこちらを睨む。

「何やねん、それ? 一ミリもおもんないわ! お前ら、まさかこんなもんを客に見せるんやないやろなあ? やめてくれよ、見てるこっちが恥ずかしいわ!」


 わたしとウサコは理不尽な嵐にさらされた。でも、今回ばかりは烏丸部長や七海さんから助け船が出ることもない。多かれ少なかれ同じ感想なのだろう。

 もうどんな暴言を吐かれたところで、言い返す言葉もなければ気力もない。心底疲れきっていたわたしは、正直どうでも良くなっていた。


 一方、ウサコは唇を噛み締めたまま、肩を震わせていた。その目には涙が溜まっているように見えた。

「チッ--」

 八田さんは、わざわざわたし達に聞こえるように大きく舌打ちをした。


「烏丸。これ、お前らでやって見せたんか?」

「いや」

「何でや? コイツらにお前とナッちゃんでやって見せたれや」

「……」

 烏丸部長は逡巡するように黒縁眼鏡をかけ直し、七海さんを見た。


「わたしは良いよ」

 と、七海さん。

「よし! いっちょう、やりますか!」

 烏丸部長が両膝をポンと叩いて立ち上がった。


「お前ら、邪魔や! そこをどけ!」

 はいはい……そんなに大きな声を出さなくても聞こえてますよ。

 わたしは、顔を真っ赤ににしたまま動こうとしないウサコを促して、戯曲を手にした烏丸部長、七海さんと入れ替わった。


「烏丸! 当然、お前がプレアデスくんやで!」

「わかってるよ!」

 烏丸部長は、八田さんの配役をごく自然に受けた。


「おう、そこのカス二匹! ちゃんと見とけよ!」

 八田さんは、小さくなって座っていたわたし達を睨んだ。

「準備はええか!? ほな、いくぞ!」

 八田さんが合図をした時、烏丸部長と七海さんからカチリと、何かのスイッチが入る音が聞こえた。

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