第30話 鯖街道殺人事件(仮)

「ふーっ」

 ウサコが大きな溜息とともに、貰ったばかりの戯曲ぎきょくを閉じてしまう。そのまま頭を抱え込んでしまった。

 わたしもゆっくりと戯曲を閉じた。


「……」

 旧学生棟一階にある食堂のテーブル席。わたし達、新入生三人を重い沈黙が支配した。

 わたしだって頭を抱えたい。

「俺が一番セリフが少ない」

 コメちゃんはパラパラと戯曲をめくった。


 ウサコは髪の毛の間からギロリと睨んで、

「代わってあげようか?」

「いや、いい」

 コメちゃんは、ウサコの言葉を最後まで聞かずに答えた。


「ふーっ」

 わたしとウサコ、溜息を吐くのが二人同時だったので、お互いに目を合わす。そして、もう一度、『鯖街道殺人事件(仮)』と書かれた戯曲の表紙を見た。


 入部当初から、その才能を見出されて主役に大抜擢、華々しく女優デビューを飾る--、そんなことを本気で考えたりしていた時期もありました。

 が、現実はこんなもの。それはちょうど三日前のことでした……。


「転換要員としてだけじゃ悪いから、君ら一年生にも役を用意しようと思ってさ」

〝カバ男〟こと奥寺さんは、たっぷりと間をとってからドヤ顔でそう言った。

 練習前の部室での出来事である。わたし達は少しの間、呆然としていたが、


「えっ、本当ですか?」

 ウサコだけが前のめりになった。

 わたしはというと、とても複雑な気分だった。

 次回の六月公演にわたし達新入生三人は、八田さんの鶴の一声で転換要員としての参加が決まっていた。


 転換要員とは、場面展開時に舞台セットを出したり、引っ込めたりする裏方のことである。わたし達は、『転換ズ』という非常にセンスの良いチーム名も八田さんから頂戴していた。


 この時のわたしは、裏方ならまあ良いか、ぐらいに考えていたが、夢は大きくハリウッドスターなウサコはそれを死ぬほど嫌がっていた。役者じゃなくて裏方、しかも八田さんが勝手に決めたからだろう。そんなウサコの気持ちを察したわけではないと思うが、作演を務める奥寺さんは、わたし達を役者でも出してくれると言い出した。


 また余計なことを……。本当にこのカバは空気が読めないんだからって、あれ? ここは喜ばないといけない所だっけ? と、わたしは忘却の彼方に行きがちになっている演劇的自分革命ドラマチックマイレボリューションを思い出した。


 でもなあ、いきなりそんなこと言われてもなあ。もう役者としては出なくて良い……じゃなくて、もう出られないと思ってたからなあ。


「えーと、でも戯曲はまだできてないんですよね? それなのに役を増やすなんて大丈夫なんですか……?」

「これはまた痛いところをついてくるね」

 奥寺さんは頭の後ろで手を組み、パイプ椅子の背もたれに体をあずけた。


「だから、あの……わたし達のことは気にしてもらわなくて良いですから」

 クックックッ……。おっと、いかんいかん。ついつい笑みがこぼれてしまう。この場面では、公演の成功を健気に願う後輩の顔が正解だ。しかし、瞬時にこんなベストの切り返しを思いつくとは、わたしはなんて頭の良い--、


「いや、どんな役でも良いので、あたし達を次の公演に役者として出してください!」

 わたしの思惑など無視するように、ウサコが奥寺さんの前にあるデコラ机に手をついた。

 黙れ、小娘! お前はそんなに死に急ぎたいのか!


「ああ、心配しないで大丈夫だよ。僕も息抜きがわりに書くつもりだし」

 息抜き的な役? 端役ってこと?

「実はもう、あらかた考えてあるんだよ。米山が芸能プロダクションのマネージャー、君ら女子二人はそこの所属タレントの役。米山の役は、ほんのちょっと本筋に絡んでくるけど、君ら二人は本筋とは関係のないところで五分くらいの劇中劇……、コントのようなものをやってもらう」


「コント? 五分?」

 ウサコは思いっきり不服そうだった。

 --貴様っ! ついさっき、わたしのファインプレーを遮ってまで、どんな役でも良いとほざいていたくせに!


 奥寺さんは、ウサコの頭をおもむろに指差して、

「……で、だ。その頭、どうにかする気ある?」

 いかにも演出家っぽく言った。演出家がどういうものかよく知らないけど。プロの世界では、「この大根役者が!」とか罵って、灰皿やラーメン鉢を投げつける人もいるらしい。そのくらい彼らは、自身が演出する公演内において絶対的な権利を持っているんだろう。


「必要があれば、黒く染め直しますけど……」

 ウサコは口ごもった。

「そうじゃないと今回に限らず、まわってくる役の幅が狭まっちゃうよ」

「はあ」

「あ、そうだ!」


 奥寺さんがパチンと指を鳴らす。

「演劇部には、代々受け継がれている伝説の衣装があったんだ。そうかそうか、その手があったか。ああ、髪の色はそのままで良いよ。せっかく綺麗に染めてるしね」

 奥寺さんは思い出し笑いを抑えきれないようで、上下に激しく肩を揺らした。


 伝説の衣装……? さては最初から全て決めていたな、この人。

 奥寺さんは、わたしから疑いの眼差しを向けられて、再び演出家の顔に戻った。

「よし! それでいこう。すぐに戯曲を渡すから、三人ともそのつもりでね」



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