第27話 百面相

「よーし! じゃあ、今日はちょっと趣向を変えて『百面相』をやりましょう!」

 烏丸部長の黒縁メガネの奥で、キラキラと輝く目を見ていたら、わたしはどうしようもなく不安になった。


「俺たち役者にとっては、己の身体だけが唯一の武器! 頭の先から足の先に至るまで、自分の意思で思い通りに動かせるようにならなければいけない! というわけで、『百面相』とは顔の各パーツを自由自在に動かせるようにする練習です!」


 烏丸部長は黒縁メガネを外して、皆んなと同じように座り直した。強い光を帯びた目があらわになる。

「まずは、俺からやるよ!」

 烏丸部長は、両手で乱暴に顔の筋肉をほぐした。

 わたし達一年生は、これから何が始まるのだろうかといった面持ちで見守る。


「じゃあ、いくよ。ハイ、右!」

 七海さんがポンと手を叩く。それを合図に、烏丸部長は顔の全パーツ--目、鼻、口、眉毛を手を使わずに顔の右側へ移動させた。


 ひいいいいいっ……!


 変顔どころの騒ぎではない。

 烏丸部長の顔は人体構造を無視するかのように、ひん曲がった。

 ひょっとこのお面をニョーンとさらに酷くした感じ。それは何重にも呪われた人の顔。福笑いにおける、右半分スペース限定戦。

 そんなことをして、何が楽しいの……笑えない。ドン引き。


「ハイ、左!」

 七海さんがまた手を叩く。


 ひいいいいいっ……!

 烏丸部長の目、鼻、口、眉毛が右から左へと民族大移動を起こす。彼らが元いた場所にはぺんぺん草さえ生えていなかった。


「ハイ、上!」

 ひいいいいいっ……!

「ハイ、下!」

 ひいいいいいっ……!

 あまりの光景に、わたしは息をするのも忘れて


「ね、簡単でしょ! 最初は上手くできないと思うけど、その内にできるようになるからさ!」

 烏丸部長は黒縁眼鏡をかけ直した。

 --いやいやいや、わたしは役者になりたいんであって、妖怪になりたいなんて一言も言ってないんですが……。


 ウサコとコメちゃんの顔にも、

「え、ホントにあたし(俺)もやるの?」

 と、書いてある。


「これは正直、女の子には酷な練習かなとは思うけど……でも、これやるとさ! 顔の筋肉が鍛えられて美容効果も期待できるんだよ!」

 わたし達の反応を察してか、烏丸部長が身をのりだす。

「だから見てよ、ほら! ナッちゃんがこんなに可愛いのは百面相のおかげ! ねえ!」


「知らない」

 七海さんは頬を赤らめた。

 ……そりゃ、七海さんのようなプリティーフェイスになれるんだったら、寝食を忘れてやるけどさ。ラジオ体操代わりに毎朝やるよ。わたしの陰キャも一発で直ると思うよ。


「そんなところで、次はナッちゃんのお手本!」

 --え? それはダメ!

 七海さんは目を閉じて、顔をほぐしながら姿勢を正した。


「ハイ、右!」

 烏丸部長が元気よく合図した。

 七海さんは天使のような顔を必死に歪め、全てのパーツを右側に寄せた。

 ああ……。


「ええっ!? もっといけるでしょ! 一年生の子らが見てるからって、まさか恥ずかしがってんの!?」

 烏丸部長はそう言って七海さんを煽った。

「ひょ、ひょんなことない……」

 七海さんは、さらに手も使って力づくで鼻や口を片側に寄せる。


 あーあ……。

 天使が堕天する。クリオネの捕食シーンを見た時と同じ感覚。

「ハイ、上!」

 あーあ……。

 できれば見たくなかった。百年の恋も冷めるってもんよ。

 わたしはハッとして、コメちゃんを振り返った。


 コメちゃんは小さく身を屈めて、両手で顔を覆っていた。目の前で繰り広げられる惨劇に必死で耐えているようだった。

 まあ、でも色々な意味で見ておいた方が、わたしは良いと思うけどな。

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