第25話 兎谷九州子《とたにくすこ》

「ああ、そうだ。面白いことを教えてあげるよ」

「面白いこと?」

 わたしは自動販売機で緑茶を買いながら、兎谷さんを振り返った。


 兎谷さんは、これまでに見せたことがないくらい笑顔だった。スポーツドリンクを片手に、どこぞの飲料メーカーのCMかと思うくらい画になる姿だった。

 兎谷さんは少し間をおいてから、こう言った。


「あたしとアイツは兄妹なんだ」

 アイツ……?

「だから、八兵衛」

 …………

 ……

 …


「えええええっ!!」

 わたしとコメちゃんは同時に叫んだ。

 わたしは、制服にこぼれた緑茶をハンカチで拭き取りながら、

「いや、だって苗字が違うし……」

「あたしは、お母さんの姓を名乗ってるんだ」


 八田さんと兎谷さんが兄妹? そう言われると、似てるような似てないような……文字変換してみたらどうだろう。

 百獣の王様と金髪ビッグマウスが兄妹? あっ、これなら似てるかも、って違う。そうじゃなくて!


 それにしても、もう少し説明が必要だと察してくれた兎谷さんは、わたしとコメちゃんが疑問に感じていることを簡単に教えてくれた。


 兎谷さんの両親は、彼女が小学生の頃に離婚。兎谷さんはお母さんに、八田さんはお父さんに引き取られることになった。それから、九州にあるお母さんの実家で暮らしていたが、高校生になる前にお母さんが病気で亡くなってしまう。


 これ以上、祖父母に迷惑はかけられないと思ったのと、自分のビッグな夢のため、兎谷さんはお父さんを頼りに九州から出ることを決めた。お父さんは結構なお金持ちらしく、懇意にしている高校に進学することを条件に、一人暮らしを許可してくれた。結果的にその高校は、お兄さんである八田さんも通う学校だったということらしい。


「まさか演劇部でバッタリ会うことになるとは思わなかった。しかも、あんなにムカつく人間になってるとはね」


 両親が離婚、そしてお母さんはもうこの世にいないなんて……兎谷さんは辛いだろうことをサラッと言う。


「実際に会うのは7、8年ぶりかなあ。でも、すぐに分かったよ。向こうも分かってるんじゃないかな? あたしがこの学校に来てることは知ってるだろうし」

 兎谷さんがさらに続ける。


「とりあえず、この事はあたし達だけの秘密にしといてね。今さら兄妹をやれったってできるわけないし、あんなのと兄妹だって知れたら面倒なことも起こりそうだから」


「八田さんが公言しないかな?」

 と、わたし。

「すると思う?」

 兎谷さんは答えた。

「……しないと思う」


 八田さんが、

「コイツ、俺の妹やから。お前ら可愛がってやってくれや」

 なんて言う姿は想像できない。


「人に歴史ありだな」

 コメちゃんが、飲み終わった缶をゴミ箱に捨てた。分かったような、分からないようなことを言う。


「コメちゃんはどうして演劇部に入ろうと思ったの?」

 わたしは尋ねてみた。

「内緒」

 コメちゃんは即答し、それ以上聞くんじゃない、というふうにわたしの目を見据えた。


「そんなたいした理由じゃないくせに」

 兎谷さんがイタズラっぽく笑った。

 コメちゃんがゆっくりと向き直る。

「今日初めて会ったばかりなのに、俺の何を知ってるって言うの?」


「一日一緒に練習しただけでも、そりゃ分かるよ。だって、コメちゃんはを、ずーっと目で追いかけてたもん」

「ある人って?」

 わたしは聞いた。

「それ以上、言うんじゃねえ!」

 突如として、コメちゃんが叫んだ。


「それ以上言ったら、それ以上言ったら……」

 コメちゃんは肩を怒らせ、今にも飛びかからん勢いで兎谷さんを睨む。

 その目には、明確な殺意の炎が--って、どうしてそうなるの!?


「ストップ、ストップ! ごめんって!」

 兎谷さんは、慌てて両手を前に広げた。

 コメちゃんは戦闘態勢を解くように、荒くなった息を整えた。

 何もそこまで興奮しなくても。わたしには、コメちゃんがずっと見ていたというの目星はもうついていた。


 一人しかいない。伊丹七海さんだ。

 まあ、気持ちは分からないでもないな。でも、それだけの理由でど素人が演劇部に入ろうと思うかね。まったく男ってやつは……。


「えっ、じゃあ七海さんに告白するつもりなの?」

 --しまった! わたしは、無意識のうちに発してしまった自分の言葉に絶句した。


「しない。そんなことするわけない」

 わたしの心配とは裏腹に、コメちゃんはとても穏やかに言った。


「何の気無しに観た新歓公演で、あの人に出会ったとき、俺はこれまでに経験したことのない感動の嵐に襲われた。それは好きとか嫌いとかじゃない。あの人が喋り、歩き、瞬きをするだけで感動したんだ。もう後の人生は、この感動の余韻だけで生きていこう、そう決めてたんだが……。


 気がつくと、俺の足は演劇部の部室へと向いていた。できることなら近くで見ていたい、存在を感じていたい。ただ、それだけなんだ」


 コメちゃんは、天使のような先輩に想いを馳せた。天使どころか、彼の中で七海さんは神格化しているようだ。だけど、あれだけ可愛らしい七海さんだ。彼氏の一人や二人はいてもおかしくない。それが判明したとき、コメちゃんは一体どうするのだろうか? うーむ、想像しただけで恐ろしい……。


 演劇部の先輩方、どうやら今年の新入生の中には純粋な動機で入部した人間は、残念ながら一人もいませんよ。


 出会った当初からずっと不機嫌そうな顔をしていた金髪ウサギさん。その派手な頭も九州から出てくる時に染めたそうで、可愛いところがあるじゃないですか。

 彼女は、最もわたしが苦手としている人種--ただの『熱血バカ』でした。





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