第24話 立てばいいじゃん

その日の練習終わり。

誰から声をかけるわけでもなく、わたし達新入生の三人は一緒に帰宅の途についていた。

わたしのすぐ後ろには米山君、数メートル先に兎谷さん。誰も喋らない。


もしかして、二人ともわたしのことを気にかけてくれているのだろうか。そうじゃなかったとしても、今はただ素直に嬉しい。


「あのー、兎谷さん」

西に沈む太陽を背に、今は深いオレンジ色に髪を染め上げた綺麗な人がこちらを振り返る。わたしは、一瞬心を奪われてしまう。


「何?」

「あの、もう分かってるとは思うけど」

「何が?」

「わたし、演劇部を辞めようと思ってるんだ。だから、ごめんなさい……」

「……」


兎谷さんも米山君も立ち止まって、わたしの次の言葉を待っていた。


「あんまり乗り気じゃなかった兎谷さんを無理に誘っといて……しかも、次の公演は役者で参加するのは難しいみたいだし」

「別にあたしのことはどうだって良いんだけど」

「あっ、もし今後、学校で会ったら喋ってくれると嬉しいな。兎谷さんみたいに綺麗な人と知り合いってことになれば、周りのわたしを見る目が変わると思うから……」


わたしは上目遣いに兎谷さんを見た。涼風のような彼女の顔が一転して、曇り空に変わる。


「はあ? 何それ?」

「いや、あの、ごめんなさい。やっぱり無理だよね……」

「また、くだらないことを」

兎谷さんは、フッと小さく息を吐いた。

わたしは動悸が激しくなり、瞬きの仕方も忘れてしまう。


「それよりどうして辞めるの? あんたはお芝居がしたいんじゃないの?」

「ど、どうしてって、兎谷さんも見たでしょ?」

「何を? 吐いたこと?」

「そう」


「で、八兵衛はちべえにゲロを吐いたことをずっと言われそうだから辞めるの?」

「八兵衛?」

「ああ、八田さんのこと」

兎谷さんは、そう付け加えた。

「八兵衛か。目の前で呼んだら、多分殺されるな」

米山君が独り言のように呟いた。


「それは……わたしが辞めると決めたことに、八田さんが無関係かと言えばウソになるけど」

「あんなヤツのために自分のやりたいことを諦めちゃうの? どうだっていいじゃん、八兵衛なんか。腹が立つんなら蹴り飛ばしちゃえば良いんだよ!」

兎谷さんは瑠璃色のスカートを翻し、大きく足を蹴り出した。わたしは、驚いて後退りをする。


--どうして、わたしが怒られてるの? もう嫌だ、怖いよう。

確かにあんなに蹴り飛ばしたい人は初めてだけど、怒りのあまり、自分の非力さを忘れるほどに。八田さんにわたしの華麗なイナズマキックをお見舞いして辞めるのも、演劇的自分革命ドラマチックマイレボリューション的にはアリかもしれない。そのためには、まず空手部に入って……そんなことできるわけない。


お芝居だって全然無理だったじゃない。生粋のネガティヴで、誰からも好かれない人間が、舞台に立つなんてまさに夢物語だった。未経験で演劇部に飛び込んで、嫌いな自分を変えようなんてとても勇気ある行動に見えるかもしれない。


しかし、実際のところは全て他人任せで短絡的。わたしのような弱い人間は、すぐに一か八かのギャンブルをしたがる。そして、それは得てして失敗をする、今回のように。でも--、


「……でも、わたしも一度でいいから舞台に立ってみたかったなあ」


変なプライドも何もなくなったわたしの心の残りかすが短いセリフとなり、道端に涙と共にこぼれ落ちた。

やっぱり、わたしはダメなカメ。

レーススタートと同時に、逃げ出すこととなりました。

--おしまい。


「立てばいいじゃない」


…………あら。

物語は、まだ終わらないようです。〝あとがき〟でしょうか?

わたしが顔を上げると、ウサギさんが凛々しくポーズを決めて立っていました。


「だって、兎谷さんも見たでしょ? 人がいっぱい見てる中で『かめさん』を歌えって言われて、緊張のあまり吐いちゃったんだよ?」

「あれは、かなり特殊な状況だと思うけど」

と、米山君が言った。


「仮に舞台に立てたとしても、わたし本番中に吐いちゃうよ……きっと」

わたしは、甲羅の中に隠れるように身をかがめた。

「吐けばいいじゃん」

冗談で言ってるんじゃない、というふうに兎谷さんが胸をそらした。


「え?」

「吐きたくなったら、吐けばいいじゃん。でも、その時はあたしも役者として舞台上にいるだろうから、あたしがあんたのゲロを全力で受け止めてあげる」

兎谷さんは捲し立てる。

「そして、それを全力で元に戻す……!」

彼女は両手のひらを重ね、わたしの泣き顔の前に突き出した。


「は?」

「それか、本番一週間くらい前から絶食でもすれば良い」

確かにそれなら出すものがなくて良いかもしれないけど、わたしの命もなくなりそう……。


「だから、吐く心配なんかする必要ない。それより良いの? 八兵衛にあんなに好き勝手に言わせといて、あんたは悔しくないの?」

「それは……」

「あたしは演劇部を辞めないよ」

「そうなの?」

「アイツに逃げたって思われるのは癪だし。だいたい、アイツらのやってる芝居なんて全然、大したことないよ」


「……兎谷さんは、この前の新歓公演は見てないの?」

「見たよ」

「俺も見たけど、役者もスタッフもかなりレベルが高いと思う。まあ、俺は演劇未経験な上に、生で舞台を見たのは新歓公演が初めてだけど」

米山君の意見にわたしも同意。わたしもど素人だけど、あの舞台に立ってみたいと思えたから。


それでも兎谷さんは譲らない。

「じゃあさ、今は無理かもしれないけど、あたし達が最上級生になった時にもっと凄い舞台を作ろうよ! それで、八兵衛なんかただ偉そうなだけで、大した事なかったって証明するの!」

「そんなことできたら良いなとは思うけど……」


「できる!」

兎谷さんは、ひときわ大きな声で言った。そして、

「だって、あたしがいるもの」

と、自分の顔を指差した。

わたしも米山君もポカーン。


「あたしにとっては高校の演劇部なんか、ただの通過点でしかない。こんなところでモタモタしてる場合じゃないのよ。なんてったって、あたしはハリウッドスターになるんだから」

……言うにことかいて、ハリウッドスター?

もう話が凄すぎて、涙がでるほど可笑しかった。


「何が面白いの?」

兎谷さんがわたしの顔を覗き込んでくる。わたしは、必死で首を振り、

「いや、兎谷さんならできると思う。今の三年生達より凄い舞台を作ることが。ただ……」

わたしは兎谷さんの顔を精一杯、見つめて言ってやった。


「その時の主役は、わたしだからね……!」


兎谷さんは大きな目と口を丸くして、

「アハハハハハ! でも、あたしだって主役をやりたいからさ。じゃあ、あたし達で演劇部の二枚看板ツートップってことにしよう! ねえ、コメちゃん!」

天真爛漫な笑い声を爆破させた。


「コメちゃん……?」

米山君は怪訝そうに眉をひそめた。

買い物袋を提げたおばあさんが、周囲を気にすることなくバカ笑いをしている金髪の女子高生を不審そうな目で見ている。

気がつけば、街灯にはチカチカと明かりが灯っていた。

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