第17話 ハットリ

「さあ! 筋トレやります、筋トレ! 腕立て、腹筋、背筋各20回を5セット!」

 烏丸部長はぶんぶんと腕を振る。

「二人一組になって……あ、五人いるのか。じゃあ、俺と女の子二人でやろっか!」


「……」

 七海さんと兎谷さんが、烏丸部長に冷たい視線を送った。

「ハイハイ、分かってるって! 米山やるぞ!」

 腕立て、腹筋、背筋各20回を5セットって百回……? あのー、それぞれ2回くらいが限界なんですけど。


「大丈夫。毎回やってるとそのうちできるようになるから。今日はできるだけで良いからがんばろー」

 憧れの七海さんにいくら鼓舞されたところで、できないものはできない。


 わたしは腹筋、背筋をなんとか5回、腕立て伏せは0回で終了すると、さすがに七海さんの笑顔も引き攣っていた。


 その隣では兎谷さんが、まるでアスリートのように物凄いスピードでノルマの回数をクリアしていった。なんだったら、勝手にプラス20回くらい増やしている姿を見て、わたしはドン引きした。


 七海さんは感嘆のため息を漏らし、

「すっごいなあ、兎谷さん。しかも、まだまだやり足りないって感じ」

「このくらいは野球部を引退してからも、毎日やってますから」

 兎谷さんは少し照れ臭そうだった。


 彼女のまさにウサギのようにしなやかな身体は、日々の努力の賜物らしい。生まれ持った美貌も相まって、わたしの勝てる要素など一つもないように思える。もしかして、腹筋割れてんじゃないの……?


「野球をしてた時は割れてたけど、今はあんまり……」

「えっ、ホントに? 見せて見せてぇ」

 七海さんの無邪気なおねだりに、兎谷さんは困った顔になった。


 --ゴクリ。うぅ、わたしもちょっと見てみたい。そういえばさっき更衣室で……ああ、ブラブラの印象が強すぎて、その下まではっきりと思い出せない。


『ワンワンワン!』

 突如、わたしに向かっていきりたって吠える黒い犬が一匹。

 この犬は確か……。

「よお、ハットリ!」

 烏丸部長が黒い犬を追いかけてきた男の子に声をかけた。見覚えのある小学生くらいの男の子。


「こらっ、クロ! ごめんごめん。ちょっと僕がリードを離した隙に」

 ハットリと呼ばれたその子は、黒い犬を抱き抱えた。

「あれ? お姉ちゃんは、初めて見る顔だね。新入生?」


 どうして烏丸部長と顔見知りなのかは知らないけど、ハットリというのか、このクソガキ。まさかシラを切ろうというの? あの屈辱……わたしは昨日のことのように覚えているというのにっ! アンタがブザー代わりに押していったこのだんご鼻、忘れたとは言わせない!


 本当に忘れているのか、ハットリは笑顔で、

「名前は?」

 と尋ねてきた。

「わたし? わたしは、か、か亀岡……」

「じゃあ、カメって呼ぶね。よろしく、カメ!」

「えっ? か、カメってちょっと……」


 ハットリはもうわたしには興味をなくしたようで、さっさと兎谷さんの方に駆けて行った。

「お姉ちゃんも新入生?」

「可愛い犬を連れてるね。クロって言うの?」

 兎谷さんはクロの頭を撫でた。


「うん。そうだよ。お姉ちゃん、その金髪カッコいいね。それにすっごい美人だし。お姉ちゃんも役者をするの?」

「あたしは……キャッ! こいつ、元気良すぎ」

 クロは兎谷さんに懐いたようで、尻尾を振りながら彼女にまとわりついた。


 ……何なの、あのバカ犬? わたしには果敢に吠えるのに。

「この金髪のお姉ちゃんと七海お姉ちゃんは、どっちが美人かなあ?」

「ああっ、ハットリー。この前までわたしが一番だって言ってたくせに」

 七海さんが声を荒げてみせた。


「えへへ」

 ハットリが照れ臭そうに笑う。

 --ん?

 わたしは何か妙な気配がしたので振り返ってみると、そこには米山君がぼんやりと突っ立っていた。一人だけ制服姿なので、いつまでたってもわたし達の集団から浮いている。

 何だったんだろう、さっきのザラっとした感じは……?




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