第11話 喫茶店 その②
数時間前、演劇部に入るために訪れた大講堂で、〝演劇人〟という未知の生物に遭遇、わたしは終始ドン引きだった。さらに、〝ばらし〟と呼ばれる労働を強制される。
その後も、〝打ち上げ〟と呼ばれる宴に誘われ、一刻も早く帰りたかったわたしが狼狽していると、兎谷さんが、
「帰る」と言い出したため、わたしも命からがら脱出することに成功した--。
わたしはアイスオーレを一口含む。冷たい。
「兎谷さんも、今までお芝居の経験は無いんだよね?」
「え?」
「兎谷さんはお芝居の経験あるの?」
「ああ、ふぁい--よ」
兎谷さんは、ハンバーグを頬張りながら答えた。
「中学の時、部活は何かしてた?」
「ひゃひゅうぶ」
「え?」
「野球部」
「野球!? 女の子でも本当にやってる人がいるんだね……どうして、高校からは演劇を?」
「んー」
兎谷さんは面倒くさそうな表情をして、マンガ雑誌とスパゲッティに集中した。
「……まあ、わたしも経験ないし、実はお芝居を観たことも一度もなかったんだ。小さい頃に親に連れられて、演歌歌手のショーを観に行った覚えはあるんだけど。歌のほかに時代劇チックなお芝居があって。あれはお芝居と言っても良いのかな?
でもね、本当に興味はあるんだよ。いくら人前で舞台に立てば、わたしの内向的な性格が直るんじゃないかなーと思っても、それだけで演劇部は選べないでしょ? 荒療治にもほどがあるよ。
あっ、わたし新喜劇が好きなんだ。ほら、昼間にテレビでやってるじゃない。ほぼ毎週、欠かさず見ていたことがあるの。本編はもちろん好きなんだけど、楽屋コーナーって言うのがあって、普段の役者さんを見ることができるの。
舞台の上では、めちゃくちゃテンション高くバカなことをやってるのに、普段は無口で暗い人がいるのよ。そのギャップが良いなあ、カッコ良いなあ、て思うの。あ、いや、お笑いがしたいわけじゃなくて。それは本当に考えなかったな。何でだろ? だけど、笑いをとるなんて、わたしには無理。
でも、実際に劇場まで足を運んだことはないんだよね。まあ、そこまで好きじゃなかったっていうか、一緒に行くような友達もいなかったからっていうか……。やっぱり、演劇部に入る動機としては不純なのかな?」
兎谷さんは、ここで初めて雑誌を閉じると、コップの水をぐいぐいと飲んだ。
「よく喋るね。アンタ」
「え?」
わたしは、冷酷なほどキレイな彼女の目を見つめた。
「なんだか良く分からないけど、まあ頑張って」
「えっ、兎谷さんも演劇部に入るんでしょ?」
「別に決めたわけじゃないよ。いろいろ面倒くさそうだし」
「今度の練習日は? 行かないの?」
烏丸部長から一週間の休みの後、次回公演に向けて活動を再開するので来るようにと言われていた。
「一週間後のことなんて、まだ分からないよ。ていうかさ、本番前とか毎日夜遅くまで練習するとか言ってたじゃない?」
「うん」
わたしは軽く頷いた。
「あたし、バイトとか他にもやりたい事があるんだよね」
「でも、お芝居に興味があるんでしょ?」
兎谷さんが、もう半分以上なくなっていたスパゲッティを再び食べ始める。
「ふぁたしはヒィッグにふぁひたい……だけだから」
彼女は口をモグモグと動かしながら、ソースを飛ばした。
口にものを入れた状態で喋るなって、幼稚園で教わらなかった? 育ちの悪さが知れるというものよ。で、何だって?
「あたしはビッグになりたいだけだから」
「ビッグ?」
「そのためには役者になるのが、一番近道かなと思っただけ」
「……」
「だから、別に無理して演劇部に入る必要はないの。月二回だけど、ダンススクールにも通ってるし」
あたしはビッグになる宣言? いくらキレイな顔をしてるからって……。
童話通りのバカなウサギさんは大きな耳ではなく、大きな口を持っていた。いや、それはこの際どうでもいい。それよりも--、
「ねえ、一緒にがんはろうよ。今のところ、新入生はわたし達だけみたいだし」
「あー、考えとくわ。他のクラブも見たいしさ」
兎谷さんは、ハンバーグの最後の一欠片をくちにした。
「ええっ? だって兎谷さんも書かされたんでしょ、入部届け」
ちょっと待って……。
「関係ないよ。そんなの」
ありえない。
「でも、今日で行かなくなったとして……演劇部の人達に学校でばったり会ったらどうするの? 気まずいじゃない」
絶対ありえない。
「軽く挨拶でもしとけば良いでしょ。ていうか、もう忘れてるよ。あたし達のことなんて」
あんな所に、わたしを一人で行かせる気?
「覚えてるって、絶対!」
「はあ? アンタ、そんなことが気になるの?」
「えっ……」
兎谷さんが再びマンガ雑誌を読み始める。
その後も、わたしは粘り続けて、なんとか今度の練習日だけは一緒に参加する約束を取り付けた。
「ライバルのウサギさんを演劇部に引き止めるなんて、カメさん、どうしたの?」
と、思われるかもしれない。しかし、今はそんなことよりも、演劇部の先輩達の興味、関心がわたし一人に集中しないようにすることが先決。
このウサギさんのように、外見も中身も目立つ存在は、わたしを守る甲羅になってくれる。わたしは彼女の後ろに隠れて、尚且つ存在を消すようにすれば良い。
携帯番号も交換して、その日は兎谷さんと別れた。
電車での帰り道、わたしは力が抜けたような状態になっていた。夢も態度もビッグな元野球部のウサギさんから、思いがけないボールを胸に受けたためだ。
「呆れられたかな……」
見慣れたセーラー服が同じ車両に乗り込んでくる。つい先日まで、わたしも着ていた中学校の制服。
--寂しかったなあ、卒業式。
式終了後、自分達のクラスに戻った卒業生は、後輩から花束を貰ったり、皆んなで写真を撮り合ったり、寄せ書きをしたり……。でも、友達と呼べる人間が一人もいなかったわたしは、そんな卒業式の風景の中をすうっと横切って家に帰りましたよ。すうっと。で、直ぐに布団に入って寝た。
ああっ、寂しっ。寂しすぎる……思い出したら泣けてきたって、なんだこりゃ。
胸が締め付けられ、息が止まりそうになる。だがすぐに、わたしは高校生になったんだと思いだし、ホッとした。
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