第9話 百獣の王

 その後も、

「まだ入学式が終わったばかりなのに、もう来たのかー! やる気あるよなあ!」

「そっかー、芝居好きかー!!」

「未経験で勇気あるよなあ! あっ、俺もなかったんだ! テヘペロッ! 俺たち同類だよ、奇遇だねえ!」

 などと、烏丸部長は何がそんなに楽しいのか、異常なテンションの高さで一人で喋っていた。とにかく、声がでかいでかい。唾が飛ぶ飛ぶ。そして、黒縁眼鏡の奥に見える目は、瞳孔が開きっぱなしだった。


 --ヤバイ、ヤバすぎる。

 わたしは身の危険を感じながらも、この部長こそまさに〝演劇人〟だと感じていた。


 烏丸部長の小柄な体からは、他を寄せつけないエネルギー、熱気というかオーラのようなものが溢れ出していた。

 その得体の知れないエネルギーのせいで、わたしの緊急アラームはさっきから作動しっぱなし。猛獣の檻に入れられた、ひ弱なカメの心境。わたしは烏丸部長が登場してから、終始ドン引きだった。


 烏丸部長は、活動内容の説明をし始めた。

 しかし、心身喪失状態のわたしの耳に届くことはない。

 年間公演計画数が多く、とにかく忙しいこと、カバ男は二年生で、名前が『奥寺おくでら』ということだけが頭に残った。


「まあ、そのうち分かるから!」

 烏丸部長は説明を切り上げ、

「んで、今日はどうする!? 〝ばらし〟手伝っていく!?」

 と、わたし達に尋ねてきた。


「ばらし? 後片付けのことですか?」

 兎谷さんが言った。

「そうそう! あー、でもなあ、その格好じゃなあ!」

 わたし達の制服姿が作業向きではないと言いたいのだろう。烏丸部長はわたし達、特に金髪美人さんをしげしげと眺める。


「もし可愛らしいパンツが見えちゃったら、お兄さんどうにかなっちゃいそうだし! ねえ!?」

 ねえ、と言われても。わたしは金髪美人さんの陰に隠れた。


「そうだなあ……その格好でも何かできることはないか、アイツに挨拶がてら聞いてみてもらえる!?」

 烏丸部長が指し示したのは、大講堂の中に入った時からずーっと気になっていた人物だった。


 あの人は覚えている。新歓公演では妙に存在感があり、暴力的な演技がとても怖かった。役名は--チンピラ。そして今、部員たちが忙しく働いている中、一人だけパイプ椅子にふんぞり返り、

「ちんたらせんと、さっさとやれや!」

「誰がこんなところに置いとけ言うたんじゃ、ボケェ!!」

「ほんまに使えんヤツやなあ、お前は!」

 などと、まるで活火山のように怒鳴り散らしていた。


 舞台の上も普段も変わらないじゃない……、あの人に挨拶?

「アイツの名前は八田はった! 八田は舞台監督で、ばらし中は一番偉いことになってるの!」

 と、烏丸部長。


「八田さん……」

 わたしは、もう思考停止寸前だった。

 兎谷さんの顔をチラ見する。彼女は相変わらずムスッとしたまま、八田さんを見つめていた。

 わたしは、兎谷さんと共にフワフワとした足取りで、舞台監督という偉そうなポジションに座る御方の元まで行く。


 八田さんは、大きな体を滑り落ちそうな角度で背もたれに預けて、乱暴に組まれた足を苛立たしげに揺すっていた。雄ライオンのたてがみのような荒々しい長髪。日本人ばなれした精悍な顔つきをしており、その目は刃物のように鋭い光であふれていた。


 視界の隅に入っているはずのわたし達を無視したまま、飽きることなく吠え続ける。その度に、わたしは小刻みに体を震わせた。


 --そんな大きな声を出さないで。もう家に帰りたい……。

 百獣の王と対峙するカメ。

 泣いて許してもらえるなら、泣いてしまいたい。本物のカメの方が甲羅を持っているだけまだマシ。わたしには甲羅がない。


 どうして、そこまで偉そうにできるんでしょうか? わたしより数倍、強い力をお持ちなのは存じ上げてますが、何もそこまで……ほんとに同じ高校生?


 隣の何を考えているのか分からない金髪のウサギさんは、百獣の王を睨みつけたまま押し黙っていた。


『これも野生の掟なのです』

 という静かなナレーションが、今にも聞こえてきそう。わたしは、生き残りをかけて八田さんに声をかける。


「あの……」

「ああっ、違う違うって! 脳みそ無いんか、お前は!?」

「ひっ!」

 わたしじゃない、わたしに言ったんじゃない。八田さんの恐ろしい顔は、前を向いたまま。だけど、甲羅……甲羅が欲しい。


「あ? 何や、お前ら」

 わたしの悲鳴に食指が動いたのか。八田さんは、ふんぞり返ったまま首だけを動かし、わたし達をじろりと睨んだ。


 鋭い視線の先がわたしから兎谷さんに移った時、少しだけ笑ったように見えた。彼女の好戦的な髪色に対する失笑だろうか。とにかく、わたしは生きた心地がしなかった。


「あ、あああの、わたし達、ししし新入生でして、その……」

「おう、新人さんか。俺に何の用や?」

「かっ、烏丸部長さんに言われて、あの……あ、挨拶をしてこいと」


「挨拶なんかいらんいらん。俺は、お前らの名前がなんであろうが興味なし」

 八田さんは、ハエでも払うかのように手を振った。

「……」

 わたしは言葉を失った。


「それからな、新人さん。一つ教えといたるわ。演劇部ここではなあ、根性ないヤツは生きていけへんからな!」


 --それが希望に満ちた新入生に、最初に言うセリフですか……?

「おい、烏丸! こいつら、早よ連れて行けや! 邪魔や!」

 火山が再び噴火した。わたしは地面からひっくり返され、奈落の底に落ちていくような感覚に襲われる。目の前が真っ暗になり、遠くで八田さんの咆哮が聞こえた--、

 暗転。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る