第430話 脅し交渉

「初めまして。わたくしはグレンダ=ミセ・マーモスと申します。バアル様のお噂は各所から伺っております」


 部屋に入るなり、口を開いたのはこの屋敷マーモス伯爵家の主ともいえるグレンダ=ミセ・マーモス夫人だった。


(まぁ、予想を裏切らない風体だな)


 マーモス夫人を一言で表すなら、やや肥満体型の化粧が厚いおばさんだった。それも資産があるのか、グロウス王国の様な西洋風の豪華なドレスに身を包んでいるのだが、それが壊滅的に似合っていなかった。


「知っているだろうが、バアル・セラ・ゼブルスだ」

「存じています。それで、今回お越しになられたのはそこの脱走奴隷の引き渡しをなさるため、で、間違いありませんか?」


 マーモス夫人はテーブルの上の飲み物を手に取り問いかけてから、ゆっくりと飲みだす。


「そうだったら、話が早かったのだがな……というか、わかっているだろう?そんな状態で雑な時間の引き延ばしはこちらの気に障るだけだが?」

 ピクッ


 率直に告げるとマーモス夫人の動きが止まる。


「…………申し訳ありませんが、何のことだか」

「しらを切るつもりか?こちらはヴァンからすべてを聞いているのだが」

「……卑しい脱走奴隷の戯言です。真に受けないほうが良いかと」


 その言葉の後にカップを空にすると、マーモス夫人は自身の後ろにいる護衛に対して手を振る。


「では、早速そちらの脱走奴隷を引き渡してもらってもよろしいでしょうか」


 その言葉と共に数名の護衛がヴァンに近づこうとするが。


「残念ながら引き渡しは飲めない」


 ザッ


 こちらの言葉に反応し、連れてきた騎士達が接近する護衛を阻むように立ちふさがる。


「…………引き渡しを約束してくださったではありませんか」

「ああ、ヴァンの事情を聞く前はな。だが事情を聞けばさすがに素直には引き渡せない」


 ドン


 俺は行儀が悪いが、テーブルの上に足を乗っけて、相手を見下ろす。


「それで、グロウス王国の民を奴隷にした気分はどうだった?」

「っ」


 決定的な言葉を出すと、マーモス夫人は息を飲む。


「な、何のことだが」

「事情は把握していると言っただろう」


 ヴァンから聞いた情報では、彼自身がグロウス王国の国民だったことは間違いない。そして何とも偶然的であるのだが、ヴァンが奴隷になったのは五年前のアズリウスでのオークションに出品されていたと聞いた。


 つまりは俺がキラで出向いたあの時のオークションで出品されていた少年だったわけだ。


(既視感の原因はアレだったんだな)

「そ、そうでしたか。それはとんだ失態を、こちらも奴隷商から買い付けただけなので詳しくは」

「嘘をつくんじゃねぇ!!」


 今度はグロウス王国国民だと知らなかったと白を切ろうとするが、それに対してヴァン自身が立ち上がり発現する。


「お前は、俺が売られる所にいただろう!!それに俺が他国の人間だからって特段に嬲って楽しんでいたじゃねぇか!!」

「さて、何のことでしょうか?バアル様、脱走奴隷は助かるためには平気でうそをつきます、信用してはなりません」

「っ、このあばずれが!!」


 ヴァンとマーモス夫人はお互いににらみ合う。


「確かに、ヴァンの言葉に証拠はない」

「そうです。確かな証拠がなければすべては嘘と同じ、この者の言葉に信じる要素はありません」

「早合点するな、そして、よく考えた結果、ここでの引き渡しはできない」

「っ!?なぜですか!!」


 ややマーモス夫人側に天秤が傾いたと錯覚したのか、こちらの判断に不満を述べる。


「まず一つ、これが本当だった場合は、貴族のいざこざどころじゃない、国同士が顔を突き合わせて話をしないレベルだからだ。そして二つ目、グロウス王国には言葉を証拠に変えてしまう魔具が存在している」

「『審嘘ノ裁像』……」


 ネンラールでは『戦神ノ遊技場』が有名なように、グロウス王国では『審嘘ノ裁像』の魔具が有名で、他国にもその存在が広まっていた。


「で、ですが!!こちらとしても脱走奴隷は即座に引き渡してもらわねば!!」

「待つと言っても1か月もかからないだろう?それぐらい待てないのか?それとも待ちたくない理由でもあるのか?」

「……」


 マーモス夫人は口を噤むが、同時にわずかに首が上下に動いているのが見て取れた。


「もし待てないとなると、こちらはイグニア殿下とカーシィム殿下に事情説明して、国としても待ってもらわなければならなくなる」


 だが、そうなれば本当に終わりだろう。マーモス夫人の信用はネンラールからもグロウス王国からも地に落ちてしまう。


「それどころか、下手をすれば国を巻き込んだ戦争に発展してもおかしくはないな。今の情勢を鑑みれば、悪い時期とは言えないからな」


 今回の違法奴隷騒動が公になってしまえば、おそらくグロウス王国は好機とばかりに動く可能性がある。なにせエルドはイグニアの基盤であるネンラールの基盤を失わせることが可能であり、グロウス王国からしたら程よく粘っているアジニア皇国によって少しばかり戦力が低下している好条件で戦争を起こすことが出来るのだから。


 もしそんな事態にでも発展させればお家取り潰しでも軽い位で、血縁者全員斬首でもおかしくないだろう。


(ただ、その場合は国内から違法奴隷を作り出す貴族を締め上げなければいけないだろうがな)


 アズバン家は何重にもセーフティを築いているため、届かないだろうが、おそらくはその少ししたあたりまでは処罰が下ることになるだろう。そしてそうなれば、裏の社会でもマーモス家の信用は失墜することになる。


「…………」


 マーモス夫人はその言葉を聞くと、顔から血の気が引き、何度も口を開けようとしては閉じるという行動を繰り返す。


(軽く脅しているだけだが、たったこれだけで顔を青くさせるとはな)


 もう少し踏み込んだ脅しも用意していたのだが、どうやら、必要がなかったらしい。


「さて、ここからは少々話の方向が変わるが…………今回の件、我ながら甘いと思うがなかったことにしてやってもいい」

「っっ!?!?…………条件は?」


 さすがにただでうまい話しにありつけるわけがないと知っているのかマーモス夫人は冷静に条件を聞いてくる。


「一つ、ヴァンおよび、その周辺にいる者への攻撃を諦め、そして現在、スラム街で捕らえた者たちを全員無条件で解放すること。二つ目、その中の脱走奴隷に二度と関わらない事。三つ目、ヴァンを手に入れた経緯を事細かに説明すること。これらを飲めるか?」

「っっ、飲みましょうその条件」


 存外悩むと思ったのだが案外早めに決断をした。


「では、交渉成立だ。まずは捕らえた者たちをすべてこの部屋に呼んできてもらうが、いいな?」

「……わかりました」


 マーモス夫人は後ろにいる護衛に指示を出す。そして護衛は速足で退室すると、急いでどこかへ向かって行った。


「わかっていると思うが、捕まっているのに捕まっていない、なんて言い張る様なら、こちらにも考えがあるが?」

「も、もも、もちろんわかっております」


 あからさまな変な挙動が考えていたと証明しているようなものだった。そして次の瞬間には別の護衛に指示を出して同じように退室していく。


「ち、ちなみにですが、もしその開放する際の手違いでされなかった場合はどうなさるのですか?」

「さて、どうなるか、ただ、確実にマーモス伯爵家が無事で済むとは思えないが」

「……わかりました。ただこちらでも捕まえていない者に関しましてはどうしようもありません。」

「その場合は解放されていないとみなして、行動するが?」

「そんな!!横暴です!!」


 明らかに責のないことを押し付けられて、マーモス夫人は叫ぶ。


「では、我が国から国民を奴隷にすることは横暴ではないと?こちらはそれをなかったことにしようと言っている。そうだな、では四つ目の条件でヴァンの家族が全員無傷で俺の元に届けることを追加しよう」

「っっっっ…………ふぅ~わかりました、そのように取り計らいましょう」


 いくら叫んでも、意味がないこと判断したのか、マーモス夫人は力なく頷く。


 コンコンコン


「お館様、お連れしました」

「入れなさい」

「はっ」


 そして扉が開かれると――


「「「「「「にぃ!!!」」」」」」

「ヴァン兄さん」

「ヴァン兄」


 雪崩のように入ってくる子供たちがヴァンに飛び掛かり、その後からヴァンとほとんど同じ年齢の少年と少女が近づいていた。


「バアル様、この者たちが我が家で捕らえた者すべてです」

「……とりあえず信用しよう、ここにいる者と別のところで保護している者を数え合わせて、足りなければまた連絡を寄越すことになる。その場合は本戦終了までに見つけろでなければ条件を破ったとみなす」

「承知いたしました」


 こちらの要望に対して、マーモス夫人は感情のない声で返答するだけだった。


「さて、こちらの用件は済んだ。一応聞いておくが、そちらから聞きたいことはあるか?」

「……本当になかったことにしてくださいますか?」

「ああ、もちろんだ」


 無かったことにするが、それだけだった。


「では、俺達は帰るが、その前に言っておく。証拠隠滅を図ろうとは思うなよ。その場合は俺の持てるすべてで反撃させてもらうからな」

「はい」


 力なく返事をして、暗殺の恐れがないことを認識すると、俺達はこの屋敷から出ていくのであった。

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