第272話 殺せる敵と殺せない状況

「いいのですか?」


 自室に戻る際にリンが後ろから訊ねてくる。


「何がだ?」

「あのエナという獣人です。声により相手を操るという力、詳細を聞き出せたとはいえ、明らかに危険すぎます」


 リンの言うことは最もだ。声だけで相手を操れる能力を持つエナは場合によっては生かしておいてはいけない存在だ。魔力を見ることが出来るエルフならまだしも魔力を見ることすらできない種族ではただの会話でも能力の発動基準を満たしてしまっている。


「その通りだ」

「でしたら、それに彼女は」

あいつ・・・と繋がっていると?」

「はい、ただでさえ危険な人物ですのに、裏でバアル様を裏切っているのです。このまま野放しにしておくつもりですか」

「…………リン」

「なんでしょうか?」

「少し見ない間に思考が野蛮的になったな」

「な!?」


 まさかリンからあからさまに殺害に近い方向に持って行くとは思わなかった。


「だけどな、リン、今のあいつを拘束はできても処刑は絶対にできない」

「獣人の兼ね合いですか?」

「それもある、だが、それ以上にあいつを殺すのは社会的な制約がある状況下では不可能に近い」

「なぜ?」

「簡単に言えば、あいつは絶対に殺されない場所を見つけることが得意だから。そして殺されない」

「殺せないとは思えないのですが?」

「もちろん物理的にはいつでも殺せる。だが、状況がエナを処罰することはまずできない」


 リンは不服の顔をする。


「今いるのはクメルスにあるグロウス王国大使館。滞在しているのはグロウス王国外交団、ノストニアからの外交団、そしてアルバンナの特使団の三つ。その目的は?」

「……戦争終結のため」

「そう、そのためにグロウス王国、ノストニア、アルバンナでクメニギスを包囲している。いいか、俺たちは今はそれぞれの思惑のために協力している。たとえ連盟を組んだ相手に危険な奴がいても、笑顔を浮かべて握手を交わし自国の利益を得ようとしている」

「………」

「納得していないな。じゃあ言うが、この建物の中でレオンが信用を置いているエナを殺す、その結果どうなるかわかるか?クメニギスにこちらに付け入るスキを与えて、下手すれば連盟はご破算になるだろうな」


 エナを殺すこと、それはグロウス王国外交団の関係者がアルバンナの特使団の一人を殺してしまうことに他ならない。その結果、両国に不和が広がれば協定の意味もない。アルバングルがグロウス王国に不信感を抱いてしまえば、そこにクメニギスは十中八九付け込んでいくるだろう。


「グロウス王国、ノストニア、アルバングル、そして俺はそれぞれの利益のために動いている。そのためなら嫌な感情は飲み込む、それが通常だ。子供のように駄々をこねて手に入る大金をわざわざふいにするのか?」

「……かしこまりました」


 リンは不服そうな表情になる。


「それにな、リン、俺がアルバンナに攫われた責任の一端は護衛であるお前にもある。もしそれによって獣人に八つ当たりしているなら、今後オレの護衛から外れてもらうぞ?」

「っ!?」


 リンのすぐ傍に居たノエルが驚いた顔をする。


「そこまでおかしいことを言ったか、ノエル?」

「い、いえ、ですが」


 ノエルもさすがにリンが護衛から外されるとは思っていなかったのだろう。そしてリンはその問いに淡々と答える。


「いえ、この度の助言は純粋な危険視による部分が大きいです。ご存じであるならば何も言うことはありません」

「ああ、それでいい。お前があいつを危険だというのは普通の判断であり、こちらも普通に考えて行動した。それに現在エナの所属はアルバングルだ、向こうの頭を飛び越えて処罰はこの場ではふさわしくない」


 個人での制裁という段階はすでに越えた、これからはお互いを処罰しようとすればそれぞれの国という組織内で行ってもらわなければいけない。


「それにな、リン、あいつがこの場にいるということは殺せないということの裏返しだ」

「どういうことですか?」

「エナには【先嗅グ鼻】というスキルがあってだな―――」


 エナを殺すこと、それはできないわけではないが、とても難しいだろう。なにせ【先嗅グ鼻】というユニークスキルは行動の先をうっすらと判別する力がある。もしエナが自身に死の匂いが漂う建物の前にいるとしたら、まず入ることはしないだろう。ほかにも騙し討ちをしようとしても騙そうとした時点で気づき、罠にはめようとしても罠の手間でエナの鼻が反応する。こうしたように物事が始まる前に【先嗅グ鼻】という不可思議の力で見抜かれてしまう。


(もし、もともと俺がエナを殺すことを考えていたのなら、まずこの集団にはついてくることはない。そして今回の尋問だが――)


 エナが部屋に入る前に生死利損の四種の匂いを嗅いだとしても、それはつまるところエナの行動がどれかに作用するということになる。そしてエナが自分自身で死の匂いがしない選択をすれば生還できる可能性はとてつもなく高いことを意味する。もちろんそれなりの損を与えることはできるだろうが、死に至らしめるには物足りない。


(殺そうとすれば、殺せない。殺そうとしなければ、殺す機会があった。エナの力はそんな言葉を可能にできるからこそ、価値・・がある)


 未来を読むというのは絶対に避けたい未来を回避できることを意味する。つまりはエナに謀略は一切通じないことになる。


「本当にどんな犠牲も厭わずに殺そうとするなら可能だが、そんなことはだれも望んでいない。だからこそエナは殺せない」


 もちろん純粋な実力ならエナに負けることはない。それこそ、今回の連盟を壊す原因となってもエナを殺そうと思えば、殺せる。だがそんな割に合わない・・・・・・ことをするわけがない。


「自分を殺せない状況を作り出す、もしくはその状況でしか姿を見せないから彼女を罰することが出来ないと?」

「その通りだ」


 リンもようやくエナの力を理解したらしい。


「それにな、先ほどの尋問でエナは俺に能力の解除方法と防御方法を話したことに加えて、ほかの能力はないことも判明した。また今のところはと付くが裏切るつもりはないと分かった。これだけで十分だ」


 その言葉を出すとともに自室の前に着き、扉を開ける。


「獣人は敵ではないが味方でもない。そのことを頭に入れておけ」

「「わかりました」」


 その後、部屋の扉を開きようやくの休息を取ることが出来た。













 尋問を終えてえから二日後、大使館の中では様々な外交官が忙しそうに動いているなか、割り振られた自室でゆったりとした時を過ごしていると、一人の来客があった。







「クメルスに戻ったというのに一言も挨拶が無いというのは薄情だと思うのだが」

「状況を考えろ。アルバングル侵攻のための兵器を開発しているだろう人物がなぜここにいる?」


 ノエルに給仕してもらったお茶をゆっくりと啜るのはマナレイ学院の魔力研究室の室長を務めているロザミア・エル・ヴェヌアーボだった。


「実は数日前に解析がひと段落したのだけどね、その時にほかの研究室が横やりを入れてきてね、例の結晶に対処するための魔道具作りの役割を奪われた」

「一番しんどい部分を終わらせたら成果を横取りされたわけか。それも弱小研究室のため抗議の声も受け入れてもらえない、か」

「心にグサグサと来る言葉をありがとう」


 一度大きくため息を吐くとカップの中のお茶を飲み干す。


「本当に、あいつら最初はどういった原理で魔法が使えないのかわからないと白旗を挙げたのに、こちらが原理を突き止めた瞬間、飢えた狼のごとく群がってきた。それもさながら自分の研究室の成果ですよという顔をしていたのが腹立たしい」


 それからロザミアの口から長々とほかの研究室の愚痴が零れ落ちる。話を流しながら聞き、ちょうどこちらのカップが空になったタイミングで愚痴が途切れた。


「それで、本題は?」

「もう少し愚痴に付き合ってくれてもいいんじゃない?」

「俺としてはかまわないが、そっちはいいのか?」


 ロザミアも様々な対応に追われていると思ったがそうではないらしい。


「いいの、いいの。一応私は対策室の幹部的な立ち位置だったのだけどね、あいつらこっちをロー爺のコネで推薦されたと思って、大したことが無いと見下してきた。それを見返すために原理を突き止めてやったというのに、あいつらは自分たちでもできると自惚れたからもう無理だと悟ったよ」

「まだその愚痴続くか?」

「いや、ここからが本題さ。見下されて、手柄を横取りされ、仕舞には研究室からはじき出される。さすがに温厚な私でも聖人じゃないからさ、見限ることにした」


 クメニギスの貴族にしては堂々とした裏切り宣言だ。


「こちらに付くと?」

「正確にはもうやる意味が無いが正しいね。私の予定ではあと5日で試作品、また半月で実用化ができるプランだったのだけど、あいつらの力量じゃ、おそらく一年かけても実用化はできないだろうね」


 その後、ロザミアは『私にしたように研究が一歩進むごとに手柄の奪い合いが始まるだろうね』という。しかも実際にロザミアが追い出されているため、その事態になるのはかなりの高確率だろう。


「一応良識ある人たちは仲間に入れてくれそうで、その人たちと研究を続けてもいいんだけど、どうやらバアルのプランの方が早かったらしいから研究するだけ無駄だと悟ったよ」


 たとえロザミアが通常通りの立ち位置でもすでに時間切れらしく諦めたらしい。


「それが完成すればクメニギスの対応は違うとは思わないのか?」

「わかっているくせに。たとえあの結晶を無効化できる道具を開発できても、それは『獣化解除ビーステッドディスペル』を邪魔されないというだけだ。グロウス王国にもノストニアにも効果はない」

「だろうな」


 もう少し早くに装置が完成していたのなら話は別だが、すでにゼブルス軍もノストニア軍もアルバングルにいる。封魔結界をどうにかしてもルンベルト地方に侵攻することは容易くない。


「それに少し前にエレイーラの百客・・が動き出した」


 クメニギスの第一王女の私兵団、通称“百客”。グロウス王国でも何度か噂を聞いた。


「何度か耳にしたことがあるな」

「詳細は?」

「凄腕の集団だということは」

「まぁ、調べればある程度わかるから一応教えておこうか」


 ロザミアの話では“百客・・”とはエレイーラ自身が国内国外問わず集めた門客のことらしい。戦闘、政治、商売、鍛冶、薬学、あらゆる分野のエキスパートをエレイーラ自身が見出して囲っているという。詳細はなかったが、彼らが在野に居れば確実に貴族派閥での取り合いになるほどの人材らしい。


「あの集団が動き出したのならおそらく近いうちに何かが起こる。このタイミングで戦争に消極的なエレイーラが動くことの意味は一つだろう」

「そうだな」


 すでに二日後にクメニギス国王との会談を行うとレナードから連絡を受けていた。当然その会談にはエレイーラの手が回っていると報告があったため、どうなるかはある程度判明している。


「だいぶ、横道にそれちゃったね。それで本題なんだけど、戦争が終わったら君はどうするのかな?」

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