第271話 声の獣

狡知鬣犬スライヒエナ


 アルバンナに生息するハイエナの特徴を持っている魔獣。魔獣の中では珍しく、特筆した戦闘の長所を持たない。ただその代わりに声帯が特徴的な発達している。その声帯は様々な音や鳴き声に変化することが出来る。そのため獲物や天敵の声を学び、模倣することで、狩りや逃走、罠を仕掛けるのにもよく用いられる。そして夜行性であり、群れを成す。暗闇に紛れて獲物に近づき、獲物と同族の声を発し、近くに来たことを悟らせないようにする。また天敵に対しても暗闇の中、天敵のさらに天敵の声を模倣して、追い払ったり、孤立したところを集団で襲い掛かると言った襲撃方法を取る。


 そして“狡知鬣犬スライヒエナ”の特徴はこれだけにとどまらなかった。普通の状態でも様々な声色を使い分けて、獲物や天敵を騙すことが可能だが、彼らの声は魔力を通すことである効果を生む。


 それは――













「お前の能力は『煽動』や『洗脳』あるいはそれに属する何かだな。違うか?」

「どうしてそう思った」

「簡単だ。ライルを殺そうとしたあの場面で、俺を止めた方法を考えるとそれがもっともな候補に挙がる」


 傭兵の襲撃を返り討ちにしてライルを殺そうとした時、あの場面でそれが可能になるのは先ほどの候補しかありえない。


(止められはしたが、本格的に拘束して物理的に止められたわけではない。かといって言葉による説得されたわけではない。だとすると、あの場で俺が止められたのはそれ以外の方法となる。そしてそれは――)


「あの時の行動は俺の思考に反して止められていた。となれば考えられるのはお前が俺を操るという一点のみ」

「………“狡知鬣犬スライヒエナ”はその声に魔力を流すとその言葉自体に力を持たせる『誘思の声』が使える」


(暗示のようなものか………発動条件が声だけだとするならば厄介さは天井知らずで上がっていくな)


 エナの力の正体は予想がついていたが、発動条件はいくつか考えられていた。あの場では手を着かれていたことや視線を合わせていたことも条件のうちに入っていたが、その中でも広域に発動できる声は最悪の部類に入っていた。


「とは言ってもオレの力は誰かを劇的に変化させるものじゃない」

「………もう少し具体的に言え」


 エナの言いたいことは何となくではあるが伝わっている。だが本人のからもう少し詳しく聞き出す必要があった。


「オレの声は思考を少しだけ誘導するというもの。そいつがある思考の道を歩いているとしたらほんの少しだけ道を逸らすことしかできない」


 エナの声ができるのはエナの声による意見を思考に干渉させて、思考の結果を変化させる物らしい。


「俺の思考にお前の声を介入させて、思考の方向を少しだけずらすということか?」

「ああ、だがそれだけだ。俺の思ったとおりに動かせるわけでもないし、そいつの本質を変える力でもない」


 例えばとある人物がいるとしよう。その人物には、その人物だけの性格、気質、思考、感情があり、エナはそれを変えることはできないという。例えるなら店先である商品を選んでいる人物にエナがほかの商品のことをお勧めして、意識をそちらにずらしているという。


「その能力の解除方法は?」

「簡単だ、自分の違和感に自分で気づくことだ。自身の疑問でもいいし、ほかの奴からの指摘でもいい」


 奇しくも俺がエレイーラに自身の違和感を指摘されたことが解除方法に繋がっていたらしい。


「今までの発言で嘘はないな?」

「ない」


 後ろを確認すると像が反応はしていなかった。


(なるほど、短期での効果は期待できるが、長期での効果は期待できないか)


 エナの能力は言い換えるなら相手の心理に誘導する能力と言っていい。だが聞いているところそこまで使い勝手がいい能力ではないらしい。


 要は違和感を持たれない思考誘導なら問題ないが、それは裏を返せばそいつの行動が普段とあまり変わらないことを意味する。もちろんその範疇で能力を使うのならまだしも、劇的に相手の行動を変えてしまえばすぐに違和感を持たれることになる。


「言葉がわからない相手にも通用するのか?」

「いや、無理だ。会話ができる相手じゃないと力は使えない」


 やはり声だけで相手を誘導するのは無理らしい。相手とのコミュニケーションが取れるのが最低条件だという。


(それもそうか、そうでなければ呻き声でも効果を発揮してしまう)


 相手に自分の言葉の意味を伝えられなければ、思考を誘導すらできないことになる。


「それでその能力を無力化するにはどうすればいい?」

「簡単だ。オレの言葉のすべてを疑えばいい」


 相手の声が自身の深層心理に作用すると知っていて、その声を聴いているなら効果は無いとのこと。


「(その声の力を知っていれば、聞いたところで意味が無いということか)もう一度聞くが今までの言葉に嘘偽りはないな?」

「ああ」

「そして同時にお前の能力で隠している部分はあるか?」

「二つあるな。一つオレの誘導能力だが、こちらを信頼している分効力が大きい。二つ目に個人によって効力が違う」

「今の言葉に嘘は?」

「ない」


 言葉で深層心理に作用すると言っても状況や個人の心理状態によって効果が変わるらしい。


「ちなみにそれはレオン達にも使っているのか?」

「いや、使っていない。というよりもあいつらには使う気もないし、意味も無い」

「どういう意味だ?」

「なに、簡単だ。オレの声は小難しいことを考えている奴にはよく聞くが、単純明快な馬鹿には全くと言っていいほど効かない」


 エナの言葉にある意味納得する。


(当たり前と言えば当たり前か。思考に介入する能力なら、単純な思考回路より複雑な思考回路の方が介入した時のずれ幅は大きいからな)


 常日頃から理屈めいた思考を取っていれば、エナの声で大いに思考の行き先は変わるだろう。だが単純な奴にはわざわざ能力を使わずともエナの言葉を聞くため意味が無いのだろう。


(愚直だからこそ、他人の声が入っても意味が無いのだろうな)


 ただまっすぐ歩きたい奴と、短距離だからだという理由でまっすぐ歩いている人物に回り道をさせるとき、単純に真っ直ぐ行きたい奴はこちらの言葉を聞いてもまっすぐに行きたいからという理由でまっすぐ歩くだろう。だが短距離だと思っている方は回り道の方が短距離だと言ってしまえばそちらに誘導できてしまう。これと同じような物らしい。


 そして今まで出会ってきた獣人達は何人かの例外を除けば、ほとんどが愚直と言えるため、エナの能力の効きが悪いのだろう。


「ほかには」

「ない」


 再び後ろを確認するが、像に変化はない。


「……聞くがお前は俺に何度その能力を使った」

「5回だな」


 思ったよりもその効果を使っていた。


「なるほど、さて………」


 一度質問をやめて思考する。エナを生かしておくか、それとも能力の厄介さを考えて今ここで殺すべきか。


 エナを配下に加える、それは本来は未来を予知できるという技能を持っているゆえに考えたことだ。これだけだと引き入れる選択し一択なのだが、同時に『思考誘導』の力も持っているため、悩ましい。


 なにせ『思考誘導』は稀有な力だ。エルフのような魔力を見る種族でなければ会話の中で能力を発動させることも可能となる。そのため実用性は大きいのだが、その反面裏切る時の損害が大きすぎる。


(全員に周知させておけば防げるだろうが、それではもしその情報が漏れた際にエナの能力は対策され使えない。逆に能力のことを伝えておかなければ、今度はいつの間にかエナの能力が使われている可能性がある、か。いっそのことエナの能力をあらかじめ周知させ、未来予知の能力のみとして役立てるか?だがやはり『思考誘導』の力は惜しい)


 考えは堂々巡りしていたが、一度その思考を止めて最後の疑問点を問いただす。


「さて、じゃあ最後の質問だ。エナ、お前はクメニギス国内に人族の協力者・・・・・・がいるか?」


 この質問が出てきたのは一つ、エナ達の行動で不審な部分が存在していたからだ。


「ああ、いる・・


 エナの答えは是だった。


「誰だ?」

「……それは―――」


 そしてその答えは予想通りだった。
















 その後、すべての尋問が終わるとその場で二人を開放する。


「……どうやら殺されずに済んだな」


 尋問中何もしゃべらなかったティタが拘束された手首をさすりながら安堵の息を吐く。


「ああ、だがこれは信用したわけじゃない」

「それでいい。オレたちはお前が獣人のために動く限り勝手に尽くすだけだ」


 完全な利害関係、だがそれが今の俺たちには最適解だった。


「それとエナ、お前にはあとで首輪をしてもらう、いいな?」

「ああ、それがお前の指示ならばな」


 エナの危険性については主要な連中に能力の詳細を話し、無力化させる。そしてエナ自身を完全な監視下に置くことで対策することにした。


「それで、後ろにいる奴には説明しなくていいのか?」

「ああ」


 実はエナとの会話はリンと、ノエル以外には一切聞かせていない。


(場合によってはあの中の誰かに使う可能性もあるとは言えないからな)


 あの部屋ではリンとノエルにそれぞれ指示を出していた。


 ノエルに対しては糸を部屋中に巡らせて、監視者を妨害すること。そして同時に俺の命令によって二人を拘束すること。


 そしてリンにはティタが揮発性の毒を使用した際に備えて、風の流れを作り出して、風の流れをこちらに向けないこと。そしてもう一つが、俺、リン、ノエル以外に二人との会話を伝えないこと。


(エナの口から何が語られるかわからない限り、ルドルの耳には入れられないからな)


 一応の意味合いで指示していたのだが、今回はそれが功を奏した。


 そして杖だけを近衛から受け取るとエナとティタと共に部屋を出る。


「以前言ったな、『オレは汚い手を使っても仲間を裏切ることはない』と」


 それぞれの部屋に戻る道すがら、エナは口を開く。そしてその仲間というのは誰を指しているか、先ほどの会話から察することが出来た。


「オレは仲間は裏切らねぇ。だが筋を通してからならオレは」

「……期待しないでおく」


 通路の別れ道、最後の言葉を告げてそれぞれの方向に分かれていく。

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