第73話


「……でもな」

 この子は今、私なんて眼中にない。クラスメイトの“三島さん”には。

“せんせぇ”を思い浮かべて話す晴は、私の知っている晴ではなくて。

「俺のこと、ちゃんと見てくれる人やねん」

 晴がこんな顔を他人に見せるなんて、すごく意外だ。


「今まで何人かカテキョはおったんやけど、みんな俺をゆーわくしてこようとすんねん」

「え!?中学生相手に!?」

 私が初めての家庭教師なんだと思ってた。だって成績どん底だったじゃん!!

「せんせぇは、俺が頑張ったことを認めてくれる。調子悪い時もガッカリせえへん。俺の背中ちゃんと押してくれて、結果がええときも悪いときも、いつも笑ってくれんねん」

 ……一体どんな家庭教師がついてたの、アンタ。ゆーわくする前に、このカラッカラの頭ん中どうにかできなかったかね!?


 視線を彷徨わせて、やっと目が合った──と思ったら。

「……俺、あの笑顔がめっちゃ好きなんよ」

 にっこりと、無邪気に笑う。

 ……こんな顔を見せられて、落ちない女はいないわ。アラサーでも、ちょっとキュンってきたもん。


「……素敵な人、なんだね」

 これは無意識にポロッと出た言葉。自分の話だってことを一瞬忘れていた。それぐらい、晴が愛おしそうにするから。

「……うん、俺史上最高の女やから」

 今まで言われたことのない賛辞の言葉を、うまく飲み込めなかった。

「まあ、地味やけどな」

「……フラれてしまえ」

「なんで!?」

 ……ほんっと、変わってない!!



 晴はスキップしそうな足取りで保健室を後にした。

 私はその背中を見送ってから、やたらスースーする膝丈のスカートに違和感と羞恥心を抱いて、まだ見ぬ我が家へと足を進めた。


「中学生で一人暮らし……何者なの、ミシマ リエ」

 小綺麗なマンション。表札は紛れもなく“三島”。

 鞄の中に入っていた鍵を使って部屋へ入れば、当たり前に見知らぬ光景が広がった。

 明らかに一人暮らしだと想像できるこの部屋。洗面所で鏡を見てみれば──。

「マジで……」

 そう、確かに“ミシマ リエ”だった。

「すっぴんのリエちゃんだ……」

 会社の後輩であるリエちゃんの面影がありすぎる。高校生の時から変わってないんだね……。

 名前だけでなく、顔までも。矛盾が生じないように徹底されているようだ。


「……ま、久々に学生ライフ楽しみますか」

 これが夢だろうがトリップだろうが、ポジティブに生きよう!こんな体験、滅多にできないんだから。

 そう思って伸びをした。


 晴がどんな学生生活を送っていたのか、見てみたかったのは事実。モテるモテると言っているけど、実際どの程度なのかも。

「あの生意気中学生がどんな風に生きてきたのか、非常に興味深いなぁ」

 私の独り言は、冷たい空気に消えた。

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