その頃彼は3

 時は無情にも過ぎてゆく。父上との約束の期限が近づいてくる。


 仮面舞踏会でヴィンバートに力を借り、リーナとの再会を果たした。震える手に力を込め、彼女の肩を軽く叩くと、美しく成長したリーナがいた。目の前で、直接見ることが出来た。嬉しくて嬉しくて、抱きしめたい気持ちをぐっと堪えながらダンスをした。

 一度も習えなかった、リーナと踊ることは出来ないだろうと思っていたダンスを踊ることが出来たのだ。これも薬の力だ。


 ダンスの途中まで、リーナは僕だとは気づいていなかった気がする。気づいてほしい気持ちと、気づかれてはいけないという気持ちが頭の中を交差する。“病弱な弟”の僕がこんなところにいるのは本来ならば駄目なことなのだから。


 僕のことをじっと見ていたリーナが目を大きく見開いて、こう口にした。


「あなた……今のあなたはヴィンバート様ではないのですか?」


 彼女の言葉で、大きく心臓が跳ね上がった。返事をしようと慌てていて、自分の名前じゃなかったために首を横に振った。

 でもよく考えれば、リーナが今の僕のことを“ヴィンバート扮するジルジート・デライド”とは別人だと思っている。

 彼女が、弟のヴィンバートなのかと指摘したのは当然だ。


 リーナが。気づいてくれた。仮面を被っていても、薬の副作用で言葉が出なくても、リーナは僕のことをわかってくれたんだ。

 嬉しくて視界が滲む。だけど返事が出来ないせいで、リーナに何も伝えられない。口を開けては閉じ、何か言おうとしても喋ることが出来なくて口を噤む。どんどん不安な顔になっていく彼女に、僕は何もすることができない。彼女の仮面の奥から流れる涙を指で拭った。ようやく愛するリーナと再会できたのに、僕は彼女を泣かせてしまった。

 僕はなんて無力なんだろう。


『リーナ』


 薬の副作用で喋ることはできない。だけど口の動きでだけでも、彼女の名を呼びたかった。

 リーナは僕を見て、驚いていた。そろそろ薬の効果が切れる。急いで立ち去ろうとすると、幼い頃に会ったのは僕だと確信したような顔で、僕の腕を掴んだ。


「ルビーと」


 僕達の合言葉。僕とリーナだけの秘密の言葉。


 ああ……リーナ。

 やっぱり僕の愛するリーナだ。

 今でもこの言葉を覚えていてくれた。僕が毎晩呟く言葉を。いつか会えると信じて、ずっと口にしていた魔法の言葉。


『アメシスト』


 力が入らなくなってきた。薬の限界だ。でも、僕がリーナを今でも愛していると伝えたい。気がつけば、彼女の手を取り、口づけを落とした。そして急いで立ち去った。


 様々な感情が交じる。

 会えた。

 覚えていてくれた。

 ……僕が治らなければ弟の妻になる。

 次に顔を見られるのはいつになるかわからない。弱った僕の姿を見たらなんて思われるのだろう。


 ギリギリなんとか薬が切れる前に、ヴィンバートの待機する部屋にたどり着く。ベッドに横になってぐったりしている弟に感謝をすると、やめてくれよ気持ち悪いと笑われた。


「スコットレイス公爵も、ありがとうございました……」


「いえ。娘のことを愛してくれているのならいくらでも手伝いますよ」


 みるみるうちに弱っていく自分の足。ついに立てなくなり、地面へと倒れた。これが本来の自分なのかと現実を突きつけられる。

 これじゃあリーナの横には立てないんだ。僕にはもう、時間が残されていないのに。

 徐々に諦めていく心を読まれたのか、体が元に戻ったヴィンバートがベッドから起き上がって僕をおんぶした。


「おい、諦めないでくれよ兄上。僕だって愛するナビエラがいるんだ」


「そう、だね」


「俺らは生まれたときから運命が決まってるんだから、せめて好きな人と結婚したいじゃん?」


 ハハハと笑いながら、ヴィンバートは僕を馬車に運ぶためにパーティー会場からこっそり連れ出してくれた。弟の優しさに心が温かくなるのと同時に申し訳無い感情が襲う。


「いつも……ごめん。僕がこんな体のせいでヴィンバートには迷惑をかけてばっかりだ……。本当なら仕事だって僕がするはずなのに、ヴィンバートに任せてしまって……」


 弟の前で弱音を吐くのは何度目だろう。でもここまで気持ちが沈んだのは初めてかもしれない。ヴィンバートはヨイショと言って、おんぶした僕を抱え直すと正面を向いたまま話し始めた。


「僕は兄上に助けられてるよ。わからないことがあったらいつも兄上のところに聞きに行ってるだろ?僕も結構頑張って勉強したんだけどなー、頭の良さは兄上には勝てないや」


「ダンスを踊れたのはヴィンバートの力を借りたおかげだよ、本当にありがとう。もう二度とリーナと踊れないかもしれないし、僕が死んだらリーナを頼むよ……」


「だーかーらー!諦めるな!兄上は僕の分身みたいなものなんだから、兄上が悲しいのは僕だって嫌なんだよ。僕も確かに大変だけど、兄上が体に鞭打って必死で勉強していた10年間、僕は全部知ってるんだから。リーナだってずっと頑張ってきたと思うよ。絶対に大丈夫。リーナなら薬を作れる!なんで兄上より僕がリーナのことを信じてるんだよ。兄上が信じなくてどうするんだよ!」


「信じてるよ……僕だってリーナのこと、信じてる!」


「なら、うだうだ言うな!生きてるなら、それだけで可能性はゼロじゃないだろ!」


「うん、ありがとうヴィンバート……。あとリーナって呼ぶのやめて……」


「ぷっ、しつこいなぁ兄上は」


 なんだかんだ良いヤツなんだよな、ヴィンバートって。彼の明るさに何度助けられただろう。体重を預けると「重い!」と怒鳴られた。


 馬車に僕を乗せていると、部下から「スコットレイス公爵令嬢様がお一人で馬車に乗り王城へ帰られました」と報告が入る。僕もヴィンバートも驚いて目を合わせた。  


「ったく!レディーが一人で帰るなんて……。兄上、僕は戻るよ」


「ああ、こればかりはヴィンバートの意見に賛成だよ。リーナのことよろしくね」


「よろしくされるのは今回だけだよ。僕にはナビエラがいるんだから」


 お互いが笑って別れた。

 いつか……僕が、彼女を送り迎えすることが出来るようになればいいな。僅かしかない可能性を願い、夢を描いた。





 あと数日で20歳になる。

 もうここまで来てしまった。

 父上に条件を出してもらったけど……やっぱり薬は出来なかったんだ。


 僕は治らない。リーナとの結婚も出来ない。死期がどんどん迫っている。

 僕の生きている意味なんて、ある?リーナが他の人と結婚している姿なんて見たくもない。僕のこの弱った体を見られたくない。


 絶望に打ちひしがれ、どうせ死ぬならと最低最悪な選択を考えていたとき。

 一報が入った。


 侍女が息を切らしながらやってくる。


「ジッ、ジルジート様っ……。くすっ……ハァハァ、く……がっ……」


「落ち着いてよ。どうしたの?」


 侍女アリアは彼女らしからぬ様子で、壁に手を付き、息を頑張って整えようとしている。早く言いたい気持ちと、おもいっきり走ってきたであろう息の荒さが混じっていて、うまく聞き取れない。

 息を落ち着かせるように侍女にゆっくり呼吸をしてもらう。いつも僕が彼女にやってもらうことをやってあげた。


 ようやく落ち着いて呼吸が出来るようになった侍女が、ふうっと大きく息を吸い込んだ。


「スコットレイス公爵令嬢様が、ジルジート様を治す薬を開発されたのです!」


 その言葉を聞いて、一瞬、時が止まったようだった。

 侍女に渡そうとしていたタオルが手から滑り落ちる。


「薬が……」


「左様でございます!症状を取る薬ではなく、“瘴気を取り除く薬”を開発されました!ジルジー……ト様……。ようやく……治るのですよ……おめでとうございますっ……」


 僕の面倒を小さな頃から見てくれたこの侍女アリアは、王子の私室だというのに大声で叫び、ベッドまでやってくると顔を突っ伏して泣きながら喜んでくれた。そんなのを見てしまえば、僕だって我慢していた涙が溢れる。


「ありがとう……。アリア、今まで本当にありがとう。君がいたから僕はここまで成長出来たんだよ……たくさん迷惑をかけたよね……ごめんね」


「いえっ……私はジルジート様を本当の息子のように思っておりましたから……。よかった、本当に良かったです……うぁぁぁ……」


 何故か僕がアリアの背中をさすりながら慰める状況になってしまったが、僕も同じく涙が止まらなかった。


 リーナが僕の薬を作ってくれたんだ。リーナが……

 やっぱりリーナはすごいんだ。君は僕の女神だったんだ。


 その後、別の侍女が紙を持ってやってくる。


「デルンジェの実のことについて、書いてほしいそうです」


「デルンジェ……」


 それは、僕とリーナしか知らない想像の実。

 僕とリーナで作り上げた夢の世界の実。


 彼女と話した言葉を鮮明に頭の中に浮かべ、一言一句違わずに書いた。

 リーナはもう、完璧に気づいているんだ。僕がデライドだということを。

 嬉しくて、鼓動がドクドクと大きく速いスピードで鳴り続ける。嬉しくて自然に笑みが溢れる。手を胸に当てた。


 しばらくすると、父上と母上、弟のヴィンバートが部屋に入ってくる。


「……リーナは?」


「兄上、そんな弱々しい姿をリーナに見せるつもりなの?それとも、リーナの薬を飲んで元気になった姿を見せるの?」


「ジルジート、これがアンジェリーナ嬢が作った薬だ」


「……色が……」


 父上から預かった小瓶には、どこからどう見ても毒薬としか思えないような色の液体が入っていた。

 これ……本当に薬なの?毒じゃないの??僕を殺そうとしてない???


「ジルジート、毒だと思うだろうが薬だ。見た目とても毒薬だが、薬だ」


 あまりにも僕の顔に疑問が出ていたのか、父上は2回も説明してくれた。


「飲み、ます……」


「待って!」


 蓋を開けようとすると、母上がそれを止めた。


「どうしたのですか?」


「わ、私達は少し下がるから……ね?陛下」


「そうだな。あと数秒待ってくれ。バルバリエラの匂いは強烈なんだ」


 両親と弟が全員ベッドから一番遠い壁にピッタリとくっつく。それを確認してから蓋を開けた。


「バルバリエラの花、すごく落ち着くいい香りなのに」


 そんなことを呟きながら、毒薬みたいな液体を一気に口の中へと入れた。


「……うっ!うぁぁっ!ゴホッ!ゲホッ!いぁぁぁぁ!」


「どうした?!」


「デライド!」


 懐かしい名前が呼ばれる。王族のみに与えられ、家族や恋人にしか呼ぶことを許されない特別な隠し名。愛情の名とも呼ばれている。しかしリーナに会う前からその名を両親に呼ばれた記憶がなかった。僕の病気のせいで僕達は幼い頃から入れ替わることが多く、呼ばれる名は表向きの“ジルジート”と“ヴィンバート”だけだった。


 呼ばれたの、初めて聞いたかも……。でも僕の体中の痛みのせいで発せされる自分の叫びにかき消されていった。

 全身が張り裂けそうで、燃えるような。体が爆発してしまいそうに痛くて苦しかった。


「薬が偽物だったのか?!」


「そ、そんなわけ……」


「じゃあこれはどういうことなのよ?!」


 遠くで家族の言葉が聞こえる。何を言っているのかがわからないけど、もしかしたらこれが僕の最後なのかもしれない。リーナ、もう一度会いたかった……。今の自分の姿でも会っておけばよかった……。


「ゲホッ!!」


 大きな咳とともに、何かが喉を無理矢理通って口に来る感覚があった。そして吐き出す。


「っハァ……。えっ?」


 僕の目線の下に、モヤモヤとした拳ほどの大きさの黒い塊があった。な、なんだこれ。僕の口から出てきたのって、これ?!こんな大きい塊が喉を通るわけ?!


「父上!これ瘴気!多分瘴気!兄上、離れて!瘴気!瘴気!」


 焦るヴィンバートの叫びで、父上がハッと我に返る。そして急いでその瘴気を手に取り破壊の詠唱をした。


 ピカッ!


 視界が全て無くなるほどの光が部屋中にあふれると、父上の手の中にあった瘴気らしきものがひとかたまりもなく消え去っていた。


「……あ……」


 瘴気が消えたことにも驚いた。だけど僕は僕自身の体にも驚いていた。

 今まで、血なんて通ってないかと思うような青白く冷たい肌に熱がこもるのを感じたのだ。全身に初めて血が通ったかのようだ。生きていることを、初めて信じることができた。

 怠くて動けなかった体は、腕を回しても、足を曲げることも出来るし、全然痛くない。力が入る。僕は思わずベッドから飛び降りた。


「お、おいデライド……」


「歩ける……。僕、歩けるよ!全然痛くないし、全然疲れない。呼吸だって苦しくないよ!」


「本当なの?!」


「やった!兄上!」


 床でジャンプした。

 部屋の中を走った。

 ベッドに足だけで乗った。

 どれも、夢じゃない。

 現実なんだ!


「父上!母上!ヴィンバート!僕、もう病気じゃないよ!僕……っ、治ったよ……。まだ生きられる、んだ……」


 自分の体に驚いて動き回ったあと、部屋の真ん中で立ち止まった。自由に歩けるなんて、夢なのかと思うほどに信じられなかった。膝から崩れ落ちると、父上と母上がやってきて抱きしめてくれる。


「父上、母上……。これから僕のこと、デライドって呼んでくれますか?呼んでほしいです……」


「おお……デライド。今まですまなかった……。お前のその名を呼んでしまうと、万が一お前がいなくなったときに悲しみが増すと思い、呼ぶ勇気がなかった……。許してくれ」


「デライド。私も同じ。あなたを失うのが怖くて、愛情の名であるデライドと呼ぶことが出来なかったわ……。ごめんなさいっ……うっ……」


 泣きながら抱きしめてくれる両親に、さっきたくさん流したはずの涙が再び流れ出てきた。

 僕も今ならわかるよ。リーナと結婚出来ないのかと思えば思うほど、愛称の“リーナ”と呼び続けることで気持ちが強くなり、心が離れられなくなっていったのだから。


「父上、母上。あのー、僕のこともデオルドって呼んでくれますか?」


 近くにいてぽつんと立ち尽くしていたヴィンバートは、恥ずかしそうに自分も混ぜてと遠回しに呟いていた。弟を初めて可愛いと思った瞬間だった。


「デオルド、こっちに来い」


「私の愛する息子たち、デライド、デオルド。あなた達は私の宝よ」


「デオルド」


「いや兄上は呼ばなくていいです。にしてもなんだよデルンジェって。聞いてないよ!」


「あはは、ごめん。リーナと内緒の話だから言いたくなかった」


「僕が恥をかいただろうが!バカ兄上!」


 ヴィンバートはそう言って、僕の背中をバシッと叩いた。少し前なら、僕がすぐ倒れてしまうので背中を叩くようなことはされなかった。

 でも今は違う。ヴィンバートも、『もうお前は大丈夫なんだよ』と暗に教えてくれているようだった。


「さて。今回の功労者を呼ぼうか」


 しばらく感動の時間を過ごしていた僕達だったが、父上の言葉でみんなが姿勢を戻す。誰のことかがわかると、急に心臓がバクバクと鳴り出した。

 リーナに会える。

 病気が治った姿で、会えるんだ。


 自分の名前をようやく言えるんだ。


 息が荒い。だけどこれは瘴気のせいじゃない。

 僕がずっと待ち望んでいた人に正々堂々と会える喜びの興奮のせいだ。


 ドアが開き、公爵が先に入ってくる。ずっとソワソワしっぱなしの僕は少しずつドアのほうへと歩みを進めた。

 数秒遅れて、俯きながら部屋に一歩入ってきたリーナを見て、僕は無意識に駆け出して彼女を強く抱きしめた。


 リーナ……リーナ!

 僕、生きてたよ。

 またリーナに会うことが出来たよ。


 会いたかった。


 やっと君を迎え入れられる自分になれたよ。


 ずっとこの時を待っていたんだよ、愛するリーナ!






 〜完〜

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