その頃彼は2

 僕は決めた。


 不可能かもしれない。無駄かもしれない。馬鹿だと言われるかもしれない。生きているかだってわからない。


 それでもいい。

 体が弱いせいで、なかなか捗らない勉強を無理やり詰め込むことにした。ダンスのように立って体力を使うことは無理だけど、それ以外は完璧に……いや、完璧以上になるために。

 期限は20歳。歴代の国王はこの歳に即位する。


 もし僕の病気が治って、国王になって、リーナを迎えることが出来るのなら。現時点では可能性がほぼゼロな状況。

 だけど……万が一のその時のために、出来ることは全てやるべきだと思った。

 国王になる理由としては不純かもしれない。けれど僕にとってリーナは特別な存在だ。彼女のためなら苦痛や苦難なんて乗り越えてみせる。


 だから。

 僕が生きて堂々とリーナの前に出られるまで、僕が自分の名前を堂々と名乗れるその時まで……彼女とは会わないと決めた。


 しかし実際彼女に会うと、気持ちが揺らいでしまった。アメシストのようにキラキラと輝く瞳を、空と同じ色の揺れる髪を、可愛い笑顔を見られなくなると思うと、寂しくて。これから会わない人生を歩むなんて想像が出来なかった。そのままもう会えなくなったら?明日僕が死んだら?

 ううん、自分で決めたことだ。今諦めたら、僕は絶対に後悔する。揺らいだ決意を締め上げた。


 僕の感情を全部伝えた。大好きだって伝えた。

 リーナも僕の事好きだって言ってくれた。


 将来の約束を、した。


 僕にとって、彼女との約束は生きる目標になった。


「ジルジート様!」


「ゲホッ……ごめんね」


 リーナの姿が見えないところまで来ると足の力が抜け、両手を地面につく。そばで口を出さずに見守ってくれていたいつもの侍女が僕を抱え上げた。長年王城に仕えている30代半ばのこの侍女アリアだけはいつも、僕のことを差別せずに見てくれていた。

 感謝しかない。


「いつも、ごめん。僕を運んでもらって……」


「もう慣れましたよ。おかげですごい筋肉がつきました。レディーに筋肉をつけさせるなんて、どうしてくれるんですか?これならジルジート様が20歳になっても遠慮なく運べますね」


「ゲホッ……じゃあそれまでに治さなきゃ……」


「あちらのご令嬢はスコットレイス公爵令嬢だとお聞きしました。あのお嬢様が、ジルジート様を治す薬を作ってくれるといいですね」


「うん……きっとリーナなら出来るよ。だって僕のリーナだもん」


「まぁ、恋しちゃったんですね。素敵なことです」


「もう!……でもいずれ紹介するからね?」


「楽しみにしています」


 力が入らない僕を抱えた侍女は笑いながら部屋へと戻る。

 バルバリエラの花が庭園から毒草園に移されたらしく、いつものベンチの前から消えていた。今日は寂しい気持ちが重なった。



 あれから、何年もの時が経った。

 20歳まで1年を切り、なんとか勉強が弟に追いついた。とりあえず生きている。ヴィンバートも目的が出来たらしく、一緒に父上に直談判し、条件付きだが僕が国王になる可能性が出てきたのだ。

 だから僕達兄弟は作戦を練り、ヴィンバートは僕のフリをしてリーナと結婚の話を進めてもらい、リーナには何よりも優先で薬を開発してもらうことに力を注いでもらった。



 ……。


「なんであいつ、リーナの顎に指を当ててるんだよ!」


 弟がつけているブローチから魔法でリーナのことを見ていた。久しぶりに見た彼女はとても美しくなっていて、早く会いたかった。早く話したくて、早く触れたくて。


 なのに!!

 いくら僕のフリしてるからって、リーナに触れるのはナシだろ!リーナもどうして照れてるの!?それは僕じゃないのに!ああもう!

 そんな苛立ちをベッドの上からブローチ越しに向けるも、リーナとヴィンバートに伝わるわけがない。

 するとヴィンバートはリーナを連れてどこかへと行くようだ。映像は見られるけど音が聞こえないため、なぜ移動したのかがわからない。

 凝視して見ていると、ハッと気づく。壁をつたい、力の入らない足をなんとか動かして窓側の椅子へと移動した。


「リーナ……」


 部屋の窓を見下ろすと、そこには色とりどりの花を咲かせた毒草園がある。ヴィンバートはそこに彼女を連れてきたのだ。


 声をかけたい。僕に気づいてほしい。

 でも……。


「こんな足じゃ……嫌われちゃうな」


 ヴィンバートとは比べ物にならないほど細く、力がすぐに抜けてしまう自分の足を撫でて、切ない気持ちになった。リーナと最後に会った後から少しずつ悪化し、18歳になるとついには庭園に行くのでさえ耐えられなくなっていた。


「リーナ……会いたいよ。会いたくて胸が苦しい」


 もうすぐ20歳だ。薬が開発されなかったら、僕は国王にもなれないし、リーナと結婚も出来ない。

 ヴィンバートも今の恋人と別れてリーナと結婚しなくてはいけない。死期も迫る。変えることのできない未来を考えると、今更リーナに会ってしまったら僕の感情が抑えきれなくなりそうで……彼女に声をかけられなかった。


 それからというもの、勉強の時間以外はずっと窓の外の毒草園を眺めることが多くなった。

 リーナが来るのを見ることが出来た日はとても気分が良く、体調を崩さなかった。


「リーナ……。フフッ、今頃鼻血が出てるんじゃないかな」


 両腕を曲げて窓にかけ、そこに顎を乗せて空色の綺麗な髪を一纏めにした彼女を眺める。きっと毒草に興奮しているのだろうと想像して、笑みがこぼれた。



 いつものように魔法がかかったブローチで様子を見ていると、ヴィンバートかリーナに抱きついた様子が映った。


「ヴィンバート……あいつめ、性懲りもなく!」


 イライラしてヴィンバートが来るのを待っていると、ニヤニヤしながら彼は僕の部屋に入ってきた。


「……お前、リーナに抱きついただろ!何話してたんだよ!お前にはナビエラがいるんだろ?!」


「えー、だってあの状況じゃ抱きつくのがベストかと思って。それに、兄上との違いに気づき始めたぞ?眉毛の中にホクロがあるの、僕知らなかったんだけど」


「いや、僕も知らなかった……」


 ヴィンバートに手鏡を取ってもらって中を覗くと、たしかにホクロがあった。僕ですら知らないことを10年前に会ったきりのリーナが覚えてくれていた。

 リーナ、僕のことをちゃんと見てくれていたんだ……。そうか僕のことを……。


「兄上、顔が気持ち悪いよ」


 無意識にニヤけてしまった僕を、引きつった顔をしながら眺めるヴィンバート。

 しょうがない、だって僕のリーナへの想いが日に日に増してるんだから。会えないのに、気持ちだけがどんどん高まっていくのだ。


「あ、そうそう。これ、リーナが毒草で開発した薬らしいよ。本当すごいよねリーナって」


「リーナって呼ぶな」


 弟にリーナって言われるの、なんか癪に障るんだよな……。代わりをやってもらうからそう呼ぶのは仕方ないんだけど……。彼は手に持っていた瓶をベッドの横にあるテーブルに置いた。


「最悪、僕がジルジートとして国王になっても、兄上はリーナと仲良くしてくれていいからね?兄上とリーナに子供が出来ても、僕と同じ顔だからバレないだろうし。僕は惻妃にナビエラを入れたいけど……駄目なんだよなぁ。ナビエラの家は婿入り必須だし」


「なっ!こ、子供って!そんなことっ……まだ早い!」


「何真っ赤になってるんだよ。結婚したら当たり前のことだろ」


 なぜ僕は弟の前で赤面することが多いんだ……。なぜ僕達は双子なのに、こんなにも人格が違うんだよ……。女慣れしすぎだろヴィンバート!どこでそんなの覚えてきたんだよ!頼むからリーナにだけはやめてくれ……。


「じゃあまた来るよ、兄上」


「お、おい。この薬はなんだよ?」


 テーブルに置かれた、小瓶の液体。なんだかわからないものを置いていかれても困る。


「きっと兄上のために作ってくれたんだよ。兄上、体が弱いから将来必要じゃないですか?“男性が元気になる薬”だから」


 微笑みながら答えるヴィンバートの言っている意味が最初、わからなかった。

 数秒考え、使い方を理解して再び赤面する。


「っ、おい!ヴ、ヴィンバート……!なんてものを……!」


「大切に保管しときなよ〜。失くしたら今度はリーナに直接頼まなきゃいけなくなるぞ?じゃーなー」


 ドアに向けて投げた枕はヴィンバートに届かず、床に落ちる。ひらひらと手を振って部屋を出ていったヴィンバートが閉めたドアをしばらく眺めたあと、ベッドの横のテーブルに残された薬をじっと見つめた。何でこんな物を置いていくんだ、恥ずかしいし捨てようと思った。


「……」


 ……もし僕の体が薬で治って、リーナと結婚が出来たとしても、そんなすぐには体力が戻らないかもしれない。リーナがもし……そのことで僕に幻滅したら……。想像して背筋がブルっと震えた。

 これをリーナが作ってくれた?リーナが僕のために?


 ……。


 そっと丁寧に。テーブルの引き出しの、一番取り出しやすい位置に置いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る