第8話 鎖のついた書見台
書庫の奥にはさらに部屋があった。
家令は、その鍵も回し、扉を開いた。
黒檀の書見台が三台並んだきり。明かり取りの窓がひとつあるだけの簡素な部屋である。
その書見台の古めかしさときたら。それぞれに鎖がついて、書物をつなぎ止めているのだから、驚かされる。古い時代に賢者たちの集う場では、書物をそのように扱っていた。
「それぞれ、〈空〉、〈
本当に、あの三冊が騒がしかったのであろうか。
とにかく、親方と小僧が部屋に立ち入った途端、騒ぎは止んだ。
「あの装丁は」
三冊とも。
常にゆらゆらとその色を変え、水面のようにきらめいて見える。何を用いての装丁か、ただの書物とは見えない。
「さすが親方。お気づきですか。
〈空〉は、空の最も深い青の部分、〈陸〉は、陸のいまだ形の定まらぬ部分、〈水〉は、水が雲となるそのうつろいの部分で書物の形といたしました」
「触れられるのですか」
さきほどから、家令は、ふたりをさりげなく制止し、書見台より離れるようにうながしているのだ。
「残念ながら。
触れることがかなうのは、あれら装丁にじかに触れても、それぞれの理に巻き込まれのみ込まれることがない、許された者のみでございます」
小僧はそっと、一歩下がった。
「どうぞ、お楽に」
家令はあわてて言った。
「あの三冊は、おふたりを歓迎しておりますので、ご安心ください。それゆえ、この部屋の鍵も開いたのですから」
「魔術を修める者は最後の仕上げに、あの三冊の書物に取り組み、空の
なにより大切な理についての書物ゆえ、鎖にてつなぎ、どのような時にあっても次の魔術の跡継ぎを待つ。そのような掟となっているのです」
家令が、難しい話をはじめた。
「ここは、魔女さまご卒業の部屋のようなものでありましたか」
親方は、感心している。そして、
「どうも、このたびは、立ち寄りをお許しいただき、恐縮にございます」
そう申して書見台にお辞儀をし、小僧もあわててそれにならった。
すると書見台の三冊は、にわかにまた騒がしくなった。
ばたりばたりと、音を立てて、それぞれ開閉を繰り返すのである。
そうするうちに、〈空〉と〈水〉が響いて嵐が起こり、〈水〉と〈陸〉が響いて地鳴りがし、〈陸〉と〈空〉が響いて雷鳴が轟いた。
「これ、」
家令が制するが、止まぬ、を繰り返し、やがてある頁で三冊ともようやく騒ぎを止めた。
「……おや、なんと」
白紙のはずの、そのそれぞれの頁には、文字がたしかに浮かんでいた。並んだ三冊が、行儀よく見えた。
「見えるし読めもするが、年寄りの目では危なっかしいな。どうかね」
「見えるよ」
触れることができない特別な書物に、顔を近づけて読むには遠慮がある。
となると親方の目には、少々遠い。小僧には、はっきりと見えているものの、文字に自信がない。
「……『旅をする兄弟の』、
……ん? なんだ、『よき旅路を』、
……『いつまでも』」
読めた。
「鎖にてここにある宿命ゆえ、大勢いる貸本の仲間を頼もしく思っているようですな」
「頼もしい」
「そうではありませんか。このように、天候を読みながら、書物のなきところへ届ける、運び手に恵まれた仲間、それが嬉しいようですな」
さすが、書物の申すことである。人の理解を超えているところがある。
「さて、ようやく静かになりましたし、わたくしも隠し事を話せて、気持ちが軽くなりました。
支度をした者も、待ちくたびれております。どうぞこちらで温かいものを」
応接室もまた、暖炉で充分に暖まって、親方と小僧を待ちかねていた。
泡立てクリームのついた焼き菓子と、熱いお茶を呼ばれて、そうするうちに雨もすっかり上がった。
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