第7話 屋敷に住まうもの(三)
「これは、何の本だい?」
藍色の書物を指して、家令に尋ねる。
「『古代の薬草とその系譜』で、ございます」
「これは?」
緋色の書物を指して、さらに尋ねる。
「そちらは、『天候の解釈』で、ございます」
「やっぱり、お仕えしている人は違うなあ。みんな頭に入っているんだね」
まこと素直に小僧は感心した。
なにせ、ここの書物は、学舎の図書館のように、分類を示す小標が背の下方に貼りつけてあるほかは、内容を示すものは一文字も書かれていないのである。異様な感を覚えたのは、そのためだった。
「まあ、これには、からくりもありますのです」
親方は活字拾いの、と呼ばれる人物らしく、主人の趣向で書物のすべての書物の装丁を変えてしまったものかと考えていた。製本屋がそのような大量の注文を受け、嬉しくも大わらわになっているのを何度か見たことがある。
だが、書物の題名もない、というのはどのような傾向だろう。これからまとめて箔押しでもさせるのだろうか。
それにしても、先ほどからの騒がしい音は、止まないのであった。
「騒がしく、重ねて申し訳ありません。
その……」
どうも家令は言いよどみが多い。
「なにか、こちらに居られるという方は、訳がおありなさるのかね」
「ええ。実は。
いらしたばかりのお客さまに、お伝えするには少々事情があるもので、歯切れわるく、失礼いたしました。
けれど、その事情は、こちらの書物にもかかわりがあるのです。
お手数をおかけしますが、何でも一冊、お手に取っていただけますか」
親方は黒革の書物を、小僧は黄色い布張の書物を手にした。
「どうぞ中を」
言われるまま書物を開いてみると、
「なんだい、これ?」
小僧が思わず声をあげる。
開けた頁は、白紙だった。
「こちらも」
親方の方も、どこまでも白紙である。
「すべて、ここの書庫にあります書物は、かようなものなのです」
「なんと」
これだけの書庫を、立派な装丁ばかりの紙の束で埋めるとは、奇特なことだと親方は思った。
「ところが、読める者には読めるのです」
「ばかには見えない、てぇやつかい?」
そんな昔話を、小僧は聞いたことがある。
「いいえ。知恵のあるなしには関わりがないのです」
家令は、慎重である。
「ご内密に願いたいのですが、こちらの屋敷は普通の人間はほとんど立ち入りません」
何らかの訳があろうとは感じていたが、いかようなことであろうか。
「先ほどから騒がしいのは、おもに精霊たちなのでございます。
みなさまを歓迎しているゆえなので、お許しください」
精霊、と言われて、親方も小僧も虚を突かれた。
「そして、この書庫は、」
息を継いだ。
「魔術を学ぶ定めの者が代々引き継いできた、書物庫なのでございます。
そして、ここの書物は、その定めの者にしか読み取れぬのです」
「魔術」
そういえば、このあたりは、かの魔女の土地、と、聞かされている。
「もしや、」
「はい。現在、この屋敷の主人は、みなさまの紙の町に住んで茶や薬を扱う、あの魔女様なのでございます」
ははあ、と、親方は得心した。
「泉のそばに住まわれていたという、それがこのお屋敷でしたか」
小僧も申した。
「じゃあ、あなたも魔術の心得が? それとも、白紙の本の中身を覚えているの?」
「わたくしは、館をお守りする者ですから、いささか読むことを許されております。ここの書物は、こう見えて背にすべて、金の箔押しでその題が記されてございます」
親方、小僧には無題に見えるが、家令にはそうではないということか。
「しかし、あの、先ほどから騒がしい、奥の三冊は、屋敷の主人のみ、読むことができるのです」
奥の三冊。
ここからはまだ、見えない。
「それらが、先ほどから、あなた方を歓迎して、やかましいのでございます」
「なぜ?」
「『旅する兄弟たちの運び手に挨拶を』、そう申しております」
旅する兄弟たち。
「貸本のことかい?」
家令はうなずいた。
「なにせ、書物の申すことですので。興をおぼえるものが、我らにはわかりかねるところが」
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