第6話 屋敷に住まうもの(二)

 ところで。

 客間に向かう家令と小僧を、先ほどからずっと、見ているものたちがいる。


〈風〉は、家令がまた道に迷ったことにあきれ、とりあえず衣服を乾かしてやった。もちろん客人にはそれ以上に心地よいようにした。

〈水〉は、小僧が家令の呼びかけに応じて、助けの手を伸ばした機転を知って感心し、彼の大切な馬をもてなした。

〈地〉と〈火〉は、親方を歓迎し、部屋を急いで暖めた。

 かれらは何者か。

 この屋敷には、精霊たちが取りついていて、頼りない家令の世話を焼いていたのである。


 さらに、なにか騒ぎだすものがある。


「あれ、誰かいるのかい」

「こら、静まりなさい」

 家令が声をかけると、一旦は静まった。

 しかし、やがてまた、騒ぎだすのだ。

 どうもそれは、書庫の方面から聞こえて来るようだった。

「誰か、書庫を使っているのかい」

「なにかあったのですか」

 親方の耳にも届いたらしく、客間から飛び出してきた。

「いいえ、これは……」

 また、家令は言いよどんだ。

「あ、あ、あの、あちらの部屋に、茶菓の支度ができておりまして」

「え、書庫に入れてもらえるのかい?」

 家令は、そのときはじめて、自分がうっかり申したことの重大さに、凍り付く思いをしたのだが、親方と小僧にはなんとか取り繕えた。

「このわたくしの、いのちの恩人である、お二人です。

 ぜひ、ご挨拶を、と、そうした騒ぎなのでございます」

「あなたのほかにも、誰かがいらっしゃるんだね」

 親方は、それでこれまでのことが得心でき、うなずいた。

「ま、まあ、そんなところでございます」

 さらに言いよどむ。

「……そう、茶菓の支度を、食堂から書庫の応接室へ移しておくれ。わたくしの作業部屋ではない、応接室だよ」

 小声で何者かに言いつけて、

「さて、こちらでございます」

 この屋敷を訪ねてよりずっと、奥の奥で鎮座している、重い二枚の扉に一歩一歩、近づいてゆく。


  * *


「やあ、兄弟たちの運び手が、二人もこちらへくるらしいぞ」

「嬉しいね、嬉しいね。来客など何年ぶりだろう」

「しかし、あいつは気が利かぬ。われらの元まで客人を導いてなどくれようか」


 かの声はそれぞれ、〈空〉、〈おか〉、〈水〉である。


 我々がその姿までを確かめられるかどうかは、かれらの言葉通り、家令にかかっているのである。


  * *


 書庫の扉には、家紋であろうか、樹木と開いた書物、そして蛇の模様が彫り付けてあった。

 家令は鍵を取りだし差し込むと、重々しい音を立ててそれは回った。


「あれ」

 騒がしさがどこからか聞こえるのは変わらぬのに、誰の姿も見えず小僧はあやしんだ。

「騒がしいものは、奥におります。まずはこちらのご案内を。

 こら、静まりなさい」


 親方は、この書庫の様子を見れば、学舎の教授たちはこちらへ来られるよう、家令に懇願するに違いないと思った。

 通路を挟んで左右に、天井までの書架が、奥まで堂々と並んでいる。どれも丸背の、革や絹の装丁だ。

「手前には、かような書物の棚ですが、奥には革の巻物や古地図の引き出しもございます」

「この光景、町の学者たちが、うらやみましょうな」

「主人も常に、ここにあるものがもう少し開けた書物であれば、役立つものもあるのに、と、申しております」

「どれも、むつかしそうだものなあ」

 小僧が目を見張り、書架と書架のあいだを速足でいくつも抜けた。

 けれど、親方は、これらの書架の異様に、じきに気がつき、足が止まった。

「これは」

「さすが、お気づきですか」

 これら書物の背をいくつも見るうち、小僧も気がついた。

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