北条三郎

「ああ、こりゃたまらんなあ」

 初めて産まれた孫を両手でそっと抱きしめた時、思わずそんな声が出た。

 妻と一緒に大事に大事に育ててきた娘が産んだ、初めての孫。赤ん坊特有の甘い香りを胸いっぱいに吸って頬ずりをすると、その赤ん坊は泣いてしまった。

「あ、もう三郎さん。ひげが痛かったのよ」

 妻に軽く叱られたことをよく覚えている。

 ほわほわと泣く赤ん坊の声は、一生懸命泣いているのに申し訳ないがとても愛おしい。どんなに聞いてもいやな気分にならない弱弱しい声を聞いて、怒られたばかりなのにまた頬ずりをしたくなった。

 こんなにも愛おしいものかと、自分でもびっくりした。把握反射だと分かっていても、あのちんこたい(小さい)手で俺の指をつかまれると思わず口元がゆるくなる。自分の娘ではないのに、守ってあげたいと本気で思った。

 そんな孫の成長は瞬きをする間もないほど早かった。気付けば小学校を卒業し、中学校まで卒業していた。

「おじいちゃん、またごみ捨てするの忘れてたでしょ。もうー月曜日は燃えるごみの日!忘れないで!!」

 高校から帰ってくるなり台所に直行してごみが捨てられているか確認しに行った真弓に、捨て忘れたごみを発見されてしまった。

「ありゃ、やっちまった。完全に忘れてた。すまんな、真弓」

「何ニヤニヤしてるの」

「なんでもねえよ」

 まったく、こりゃたまらん。うちの孫がかわいくてたまらん。

 妻に似てべっぴんさんに育った娘に似て育ったうちの孫は、これまたべっぴんさんで若い時の妻によく似ている。気立てもよく、勉強もできて、優しい。そして怒った顔もかわいい。たまらんたまらん。

「もうーー次の燃えるごみの日は水曜日だからね!忘れないでね!!」

「水曜日な。わかったわかった」

「絶対だよ!私着替えてから桜火の家行ってくるから」

 そういって真弓は自室へ消えていった。今日はみんなでお菓子作りをするらしい。みんなというのは十花と風花、桜火くん、笑美、真弓の5人だ。

「楽しそうじゃねえか、俺も混ざりてえなあ」

「おじいちゃんはまだ仕事残ってるでしょ」

 玄関で靴を履く真弓に羨望のまなざしを向けると、一蹴されてしまった。

「冷てえなあ」

「またみんなでやればいいじゃない。今度お店使ってみんなでパン作り体験でもしたら?絶対楽しいわよ」

「そりゃ名案だ。考えておくよ」

「うん。行ってきます」

 そういって真弓はにっこり微笑んで、ルンルンで出かけていった。

 ほとんど毎日笑美の家に行っているのに、よく飽きないななんて思いつつも、いい関係だと思う。普通、こんなに長く一緒にいたらやることも話すこともなくなるだろう。それなのに、あの5人は次から次へと楽しそうなことを見つけてはそれをみんなで楽しもうとする。すれてないというか、曲がっていないというか。あ、いや別に曲がってもいいんだ。若いんだから。でも、まっすぐなことはとてもいいことだ。できるだけまっすぐでいてほしいと願っているし、そのためなら俺は何でもする。本気だぜ、俺は。

「さ、店に戻って仕事すっか」

 少し長めの休憩を終えて、俺は商店街の店へ戻った。


「田中さん、店番どうもありがとね」

「いーえ!おかえりなさい。さ、もう一仕事頑張りましょうね」」

 店に戻ってパートの田中さんにお礼を言う。長いことうちで働いてくれている優秀なパートさんだ。ふくよかな体形で、その見た目は『The肝っ玉』。人当たりもよく面倒見もいい。彼女のそんな人柄が、このパン屋の雰囲気をグンとよくしてくれている。

 今の時刻は午後5時ちょっと前。俺の仕事はまだまだ続く。

 これは俺のちょっとしたこだわりなのだが、月曜日と金曜日はいつもより長く営業して午後9時まで店を開けている。仕事で疲れた人たちに焼き立てのパンを食べてもらいたいからだ。月曜日は休み明けから頑張った人にちょっとした休息を、金曜日は一週間頑張った人にちょっとした休息を。その一息つく時間に、俺が作ったパンが隣にあったら嬉しい。パンは夜に食べるイメージは少ないかもしれないが、食後のお茶の時間に甘いパンがあったら最高だろ?甘いもんは別腹だぜ。

 実際夜にパンを買いに来る人は多い。夜用に焼いた焼き立てのパンも人気だが、朝焼いたパンの値引きを狙ってくる人も多い。ようは繁盛してるってことだ。ありがてえ。

「あ、いらっしゃいませー」

 田中さんの声がした。お客さんが来たらしい。

「いらっしゃい!」

 俺も田中さんに続いて声をかける。

 お客さんは高校生の男女2人組だった。手をつないで入ってきたのでカップルだなあ。眩しいなあ、おい。

 その2人を見て自然と真弓と桜火くんが思い浮かぶ。真弓は明らかに桜火くんのことが好きだが、桜火くんはよくわからない。おそらく真弓に対して好意は抱いているのだろうが、奥手で一歩が踏み出せないのだろう。そういうふうに俺には見える。はたから見たらすごくお似合いだし、付き合ってると勘違いされてもおかしくない親密さなのだが、この距離を維持しているのは今の関係を大事にしたい気持ちの表れなのだろう。いいぞいいぞ、大いに悩むがいい若者よ。

 真弓の祖父として少し厳しめに彼を見ても、素敵な少年だと思う。たまに、『どうして真弓ちゃんは桜火くんが好きなのかしら』と常連さんから聞かれることがある。そういう人たちの気持ちも分からなくはない。明るく活発で人気のある真弓と、物静かな桜火くんが真反対にいる存在に見えるのだろう。だが、その人たちには桜火くんの静かな優しさや、彼が作り出す居心地の良い雰囲気がうまく伝わっていない。

 普段は物静かで、言ってみればぱっとしない彼。気を許した人の前ではのらりくらりと何も考えていないかのように振舞う彼。そんな彼は誰よりも周りをよく見て状況を把握し、自分の身の振り方を考えている大人びた少年だ。

 放課後、帰宅する真弓と桜火くんを見かけるときは必ず彼が道路側にいる。真弓の髪にほこりがついていれば、さりげなくとってくれる。真弓と桜火くんと俺の3人で買い物に行けば、必ず他の家族にお土産を買って行こうと提案する。俺がうっかり机に突っ伏して寝てしまった日、朝起きたら毛布が掛けて合って『お仕事お疲れ様。今日はもう帰ります』なんて置手紙まで置いてあったときには感嘆のため息が出た。辛いことがあっても隠そうとするし、一人で泣ける強い子だ。

 もっと、日の当たるところにいればいいのにと思うこともある。彼は日の光の下で目立つことを避けて、陰で走り回っていることが多い。でもきっと、それが桜火くんの良さで、真弓が好きな桜火くんなのだろう。

 桜火くんも、真弓がそんな自分のことを分かってくれているということを分かっているから真弓の前では比較的子供じみていられるのだと思う。彼が涙を見せるのも、弱音を吐くのも、基本的に真弓の前だけだ。

「若いっていいなあ」

 微笑ましさに口角が上がった。

 今頃2人は、笑美たちとお菓子を作っている頃だろう。

 誰が何をしても『フフフ』と笑っている笑美。桜火くんが何かやらかすたびに軽くうんざりしてみせる十花。黙々と作り続ける風花。失敗しまくる桜火くん。そんな桜火くんのフォローをする真弓。そんな5人の様子が目に浮かぶ。みんな俺のかわいい孫みたいな存在だ。え、笑美は娘だろうって?いーや、あいつは他の若い4人と同じテンションでお菓子を作っているぞきっと。それに実年齢より若く見られたーって喜ぶようなやつなんだ、あいつは。

「さあ、もう一仕事だ」

 楽しそうにしている5人を想像して、俺は一層気合を入れて仕事に励んだ。





※ちんこたいは新潟弁で「小さい」という意味です。

 

 

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