彼が傘を作るのは ー現在ー

「…ハッ」

 ずいぶん深いところまで落ちたような、体を引き込む眠りについていた。目覚める瞬間、体が『ブルッ』と震えた感覚が色濃く残っている。

 どうやら私は桜火につられて二度寝してしまったらしい。寝るつもりなんてなかったのに。

「今何時…」

 頭の中でそんなことを思いながら、手で時計を探す。確かヘッドボードに置いてあったはずだ。上を向くのが面倒なので、少し無理がある角度だが意地でも手で探す。

「9時50分…ほぼ10時じゃん…」

 せっかく早起きできたのに、もったいない。もう、こうなるのが嫌だったから二度寝なんて御免だったのよ。

「…幸せそうな顔しちゃってさ」

 そんな気持ちも、横で寝ている桜火の顔を見ると消えていくんだから不思議だ。

「あれ、カーテンいつの間に」

 なんだか暗いなと思って窓の方を見ると、二度寝する前に開けたはずのカーテンが閉まっていた。

「…曇ってきたわね。降るかしら」

 カーテンを開けると、先ほどの空とは打って変わって灰色の空が広がっていた。今にも雨が降りそうな重たい雲。新潟の空は相変わらずくもりが多い。

「ん…」

 くもりと言えど、遮光カーテンを開ければそれなりに明るい。顔にかかった自然光によって、桜火が起きてしまった。

「あ、ごめん、起こした?」

「…ん」

 桜火はなんとなく頷いて、窓の外を一瞥し、布団をかぶった。眩しいのだろう。

「もう10時だよ」

「ん」

 なんだ、『ん』しか言えないのかこの生き物は。布団の中でもぞもぞ動きよってかわいいな。まったくもう、けしからん。

「なんか久しぶりに夢見た」

「ん?」

 桜火の隣に寝転んで、昔のことを思い出していた。そして私はそのまま寝てしまったのだ。

「どんな夢だったの?」

 布団の端から少し顔を出して、桜火が尋ねてくる。

「んー平たく言うと昔の事」

「アバウトだね」

 桜火が目を閉じたまま笑う。

 思い出していたのは、桜火に関係する過去の出来事ばかりだった。それも鮮明に覚えている節目の出来事ばかり。

「桜火に初めて会った時の事」

「転校してきたとき?」

「そう」

 桜火が嬉しそうに頬を緩めた。

「何笑ってんの」

「真弓がお祈りしてたこと思い出した」

 『フフフ』と桜火が声を漏らす。『桜火も覚えてたの?』なんて野暮なことは聞かないが、桜火も同じ思い出を共有していることは素直に嬉しい。

「あの時、すごく嬉しかったのを覚えてるよ。不安だったんだ、とっても」

「顔に『不安』って書いてあったわよ」

「でしょ?知らない土地は緊張するよ。親もいなくなっちゃってたし」

「そうね」

 桜火はなんてことないような顔をして過去のことを話す。今まではきっと、もう少し悲しそうな顔をしていた。今は以前より柔らかい表情で本当の両親のことを話すようになった。

「あとは?」

「桜火に振り向いてほしくてたいして好きじゃない人と付き合ったこと」

「え⁉」

 桜火が勢いよく体を起こした。濁点が付いたような『え』だった。

「いついつ」

「高校生の時」

「だれだれ」

「赤崎くん」

「赤崎くん!?あのイケメンの?」

「イケメン…まあそうかも。綺麗な顔してる」

「剣道部の?」

「そう剣道部」

「えー…」

 怒涛の質問攻めが終わると、桜火は再び布団の中にもぐった。

「いやー、真弓が誰かと付き合ったとかいう噂は聞いたこと会ったけど、赤崎くんだったんだ」

「半年付き合ってたから結構みんな知ってたと思うんだけど。桜火知らなかったんだ」

 私はとぼけて見せる。本当はやっぱり桜火に知られたくなくて、頑張って隠してた。つくづく赤崎くんにはひどいことをしたと思う。隠したい相手がいるような後ろめたさをかかえたまま人様と付き合うなんて最低だ。

 数年前に彼にあった時、このことを謝ったことがある。

「なんだよ急にかしこまって。いいんだよ。俺ずっと知ってたし、真弓が雲松のこと気になってるの。それでもいいって言ったのは俺だしな。俺も『学校一可愛い子が彼女』っていうステイタスに目が行ってた部分あるし。あ、いや、本気で好きだったよ?そこは疑うなよな」

 そういって赤崎くんは私を許してくれた。

「付き合ってた時、楽しかったことは嘘じゃないからさ。後悔してるなんていうなよな」

「後悔なんてしてないわよ。甘酸っぱい思い出をありがとう」

 私がお礼を言うと、赤崎くんは嬉しそうに笑って、

「雲松と仲良くやれよ」

 と言ってくれた。

 自分がひどいことをしてしまったとき、素直にそれを認めて謝るということはとても難しい。思わず保身に走りたくなって、墓穴を掘ってしまう。だけど、あの日、素直に謝れて本当に良かった。飲み会ではちょっとキレちゃったけど、いいやつなのだ、赤崎くんは。

「夢はそこで終わり?」

 桜火が尋ねてくる。窓の外はより一層重たそうな雲でいっぱいになっている。

「ううん。笑美さんが亡くなった時のことも思い出した」

「…」

「あの時の赤信号が、たまに頭をよぎるの。病室の冷たさもね」

「僕もよくあるよ。雷はいまだに苦手だ」

 桜火はそう言いながら天井に手を伸ばした。そしてそのまま手を思いっきり布団の上に落とす。『ボフッ』という鈍い音がして布団の空気が抜ける。ほこりが少し舞って、桜火が起き上がった。

「真弓、おいで」

「え?」

 桜火が両手を広げて私を待っている。『おいで』って…。そう言われると少し照れる。照れるけど、嬉しい。

 えい。私は頭突きをするくらいの強さで桜火の胸に顔を突っ込んだ。

「あったかいでしょ」

「うん」

 私は桜火の胸に顔をうずめて頷く。あったかい。病室とは大違いだ。

「僕ね、真弓がいてくれて本当に良かったと思ってるんだ。ありきたりな言葉で恥ずかしいけど、本心だよ。だいぶ遠回りをしてここまで来た気がするけどね。真弓といると、楽しいことが素直に楽しいんだ」

「ちょっと意味わかんないわ」

「えー。どんなことでも気にせず遠慮せずに楽しめるってことだよ」

「なるほど」

「それと、真弓が隣にいると、悲しいことを思いっきり悲しめる」

「それっていいこと?悲しいことを和らげられる存在の方がよくない?」

 私が言うと、桜火は大きくため息をついた。

「はあー、真弓は分かってないなあ。悲しいことを悲しいときに悲しまないとダメでしょ。悲しむような出来事はできるだけ避けたいけど、悲しむこと自体は悪いことじゃないと僕は思うんだよね」

「いいこと言うじゃん」

「でしょ」

 私は思わず上がってしまう口角を必死に戻す。桜火から私の顔は見えないが、なんか恥ずかしい。

「あ、雨が降ってきた」

「えー、洗濯しようと思ってたのに」

「部屋干しだね」

 会話が途切れた。しばらくお互い何も言わずに互いの温かさをかみしめる。

 私はそれが嬉しい。好きなだけ下心を持ったまま桜火の腰に腕を回せることが。桜火も同様に下心を持っていることが。

 今までは、寂しさを埋めるようにしがみついてくる桜火を、素直に抱き返すことができなかった。でも今は違う。素直に温かさをかみしめて、心を満たすことができる。変わってきた関係が愛おしい。

「そろそろお仕事しなくちゃ」

 桜火がふいに口を開いた。

「今日は休みじゃないの?」

「休みだよ。でもなんか傘作りたい気分なんだ。雨を見てたら、雪斗くんと雨月ちゃんの笑顔が浮かんできて、2人の為に傘を作りたい気分だよ」

 ああ、よかったと心の底から思う。

『いつか、誰かの笑顔のために傘を作れるようになるといいね』

 こんな風に願った過去の私に今の言葉を聞かせてあげたい。

「まずはご飯食べなきゃでしょ!温め直さなきゃ」

「はーい」

 私と桜火は2人で布団を出て、階段を下りる。

 雨の音が、とてもやさしく響いた。



※真弓編完結です!次は雨月のお話を書こうか三郎さんにしようか少し迷っていますが、読んでくださると嬉しいです。


 

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