酒癖の悪い2人 ー28歳ー

 桜火が『傘作りがしたい』と言いだしたのも、笑美さんが亡くなった時と同じような土砂降りの雨の日だった。

「どうして?」

 私は理由を尋ねた。

「雨から、守ってくれるものがほしいんだ」

 桜火はぽつりといった。

「そっか。昔から空が好きだもんね。桜火にぴったりなお仕事だよ」

 桜火の願いが切実すぎて、私は思わずはぐらかしてしまった。

 桜火は、傘だ。十花と風花にとっての、傘だ。笑美さんが亡くなった後、『2人を守ってね』という笑美さんの言葉を忠実に守って2人を支え続けた。風花が別居に際して仕事を始めるようになって、家で1人でいることの多い雪斗をこの家で面倒を見ている。彼はずっと、いろいろなものから姉妹を守る傘であり続けた。

 だけど、私は思う。そんな傘を守るのは誰なのか。彼が作る『傘』なんかで、彼を守り続けることができるのか。傘は雨から桜火を守ってくれても、傷は癒してくれない。

「…いつか、誰かの笑顔のために傘を作れるようになるといいね」

 桜火が傘を作る理由が、いつか明るいものになればいいと心の底から思った。




 笑美さんが亡くなってから10年近くたった。風花は26歳、私と桜火は28歳、十花は30歳になっていた。

 私は大学を卒業しておじいちゃんのパン屋さんを継ぎ、桜火は傘屋をはじめてお互い収入もだいぶ安定してきていた。

 相変わらず私は桜火の家に、週に何回かは訪れていた。桜火の様子が気になるのもそうだし、風花の子の雪斗がかわいくて面倒を見に行きたいという気持ちも強かった。

 雪斗は、いつも本を読んでいた。まるでそれがお守りかのように常に一冊は持ち歩いていて、暇さえあれば本を開く。少し経つと、呼びかけてもこちらの反応に気づかないくらい雪斗は深く集中する。まるで、何かから懸命に自分を守っているかのようだった。外界をシャットアウトしてような。いつだったか、雪斗に聞いたことがあった。

「どうしてそんなに本が好きなの?」

 彼は『面白いからだよ』とそっけなく答えた後、ふと私の目を見た。それから私の真剣なまなざしに気づいて、もう一度口を開いた。

「集中すると、周りの音が聞こえなくなるから」

 『なんの音を聞きたくないの?』とは聞けなかった。私は、彼の両親が不仲で別居中なことを知っている。一緒に暮らしていたころはよく口論をしていたことも知っている。

 誰にでも、何歳になっても、心の深いところに傷を負うことは避けられないのだなと、まだ幼い10歳の男の子を見て思った。私はいまだに気分が沈んでいる時に赤信号を見ると胸が痛むし、桜火はまだ雷が苦手だ。

「真弓~!飲んでるぅ?」

「飲んでる飲んでる。ちょっと赤崎くん、飲みすぎよ」

 急に現実に引き戻された。そうだ、今は飲み会の途中だった。飲み会と言いつつほとんど合コンみたいなもので、結婚ラッシュにのりたい独り身が相手を探しに来ているようなちょっとめんどくさい飲み会。私は人数合わせで呼ばれただけで、ここで漁る気は毛頭ない。

 仕事が忙しくて、正直遊んでいる時間は全然ない。大学生の頃も、こんな風に質の悪い飲み会には何度も参加したが、いい寄ってくる殿方の見え透いた下心と、体に伴ってこない精神年齢に辟易した。少しいい感じになっただけで机の下で手を握ってきたり、足でつつかれたり。直接的な言葉で誘ってきたり。本音を言えばちやほやされることに一抹の優越感のようなものはあったが、やっぱり少し居心地は悪い。

 居心地が悪いと感じたとき、頭に浮かぶのはいつも桜火の顔だった。あの家の桜火の隣ほど、落ち着く場所はない。一緒にいると、『ああ、ずっと一緒にいたいな』なんて考えてる自分がいて、あきらめの悪さに自分でもびっくりする。

「真弓、雲松と付き合ってんの?」

「はい?付き合ってませんよ。何よ、いいなり」

 ちょっと動揺して度数の高いお酒を一気に煽る。

「赤崎ー元カノにそんな質問して良いのかよー狙ってんだろー?」

「狙ってるから気になるんだよ、馬鹿」

 赤崎くんは、高校の時半年付き合っていた例の彼だ。もう別れたのに狙ってるとか意味深なこと言わないでほしい。気まずいじゃない。

「じゃあ雲松のこと好きなの?」

「んん?いや、どうかなあ」

 少し酔いが回ってきた。舌がうまく回らない。お酒、おいしい。

「はぐらかすなよー」

「秘密ぅ」

 はいはい図星、好きですよ。ずっとね。理由なんてないですよ。いや、ありすぎて選べないだけかな。

「相変わらずかわいい酔い方するんだな、真弓」

「えー?そうかなぁ、ありがと、アハハ」

 あー、お酒おいしい。

「真弓、あんなにモテモテだったのに、まさか結婚遅いなんて思ってなかったよなあ。このブームの波に乗らないともう結婚できないかもよ。どう、売れ残り同士俺たち付き合わない?雲松より、俺の方がいいと思うんだけど」 

 ピキッ

 彼の物言いが癇に障った。何その言い方、ムカつく。お酒が入って気が大きくなってるな、赤崎くん。桜火がどれだけ素敵な奴か分かってないだろ。

「誰が好きで売れ残ってると?」

 低い声が出た。周りの人の視線が一気に私に集中する。赤崎君の口角がぴくぴくしている。

「あ、いや」

「売れ残りって何よ、その言い方」

 誰が、好きで一人でいるもんか。遊んでいる暇がないことは、何も結婚願望がないことを意味しない。人並な恋愛もしたいし、結婚だってしたい。28にもなって恋愛なんて、だから婚期逃すんだよとか言われるかもしれないけど、したいものはしたい。

 でも、だけど。桜火はそうじゃないんだよ。ずっとあの日におびえてるの!私でも埋められないの!いつまでもうじうじしてんな、馬鹿桜火。いい加減振り向いてよ。

「結婚がすべてか?ステイタスか?売れ残りで悪かったな!でも私はそんな安い女じゃないんだよ!ていうかまだ28だし!遅くないし!」

「なーにー⁉真弓が結婚⁉そんなの俺が許さんぞ!誰だ相手は!」

「わ、パン屋のおじいちゃん!」

 グラスを持ったおじいちゃんが乗り込んできた。同じ店で飲んでたのか。

「許さん、許さん。真弓は俺のもんだ。誰にもやらん。あっちいけ、あっちいけー」

「ちょ、サブちゃん。酔いすぎだぜ。相変わらず酒癖が悪いんだから。あ、真弓ちゃんじゃねえか」

「あ、神崎さん」 

 商店街副会長、肉屋の神崎さんが廊下からトコトコやってきておじいちゃんの肩を支える。

「なんだぁ、真弓ちゃんもここで飲んでたんか。さっきの怒鳴り声は真弓ちゃんかぁ?じじに似て酒癖わーりいな!アハハ。サブちゃんもさっきまで全然酔ってなかったのに急にこのありさまなんだ」

「真弓ぃ!!」

「あ、ちょ、サブちゃん」

 おじいちゃんが私の手を引いて出入り口にずかずか進んでいく。

「会計は頼んだぜカンちゃん!!ガハハ!」

 そのまま、私とおじいちゃんは家へ向かった。


「…おじいちゃん、本当は全然酔ってないでしょ」

 夜風にあたって少し酔いがさめた。家に着くなり私はおじいちゃんに問う。

「ん?ハハハ、ばれたか」

「助けてくれたの?」

 おじいちゃんは、一回も『結婚しろ』なんて私に言ったことはなかった。周りにどんどん彼氏ができて、結婚していく。商店街のお客さんがおじいちゃんに『真弓ちゃんはまだ結婚しないのか』と聞いているのを見たのだって、一度や二度じゃない。

「真弓の好きなようにすりゃいいんだ。結婚したけりゃすればいい。でも妥協はしてほしくねえなあ」

「うん」

 おじいちゃんは、何もかもお見通しだ。

 私は分かっている。桜火とどうこうなりたいなら、思いっきり行動すればいいのだと。大声で気持ちを叫んで困らせてやればいい。それができないのは、家族を失うのが怖い桜火を気遣う優しさなどではなく、私の弱さだ。周りから見れば、『じれったくてイライラする』レベル。私もたまに自分で自分に腹が立つ。イライラする。でも、私はどうしようもなく今の距離も好きだ。付き合うことがすべてじゃない、結婚することがすべてじゃない。今は望んでいないなら、無理をする必要はない。そう言い聞かせているだけ?そうかもしれない。欲がでたら、その時に行動しよう。

「でも結婚したらさみしくなるなあ。しなくてもいいぞ、ガハハ」

 おじいちゃんの豪快な笑い方が、この上なく優しく響く。

「さ、俺は戻ってカンちゃんにネタバレしてくるわ。真弓の分の会計も置いてきてやる」

「おじいちゃん、あなた神様?」

「三郎様だ!ガハハ」

 ニカっと笑っておじいちゃんは走って居酒屋へ戻っていった。

 

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