ちょっぴり甘酸っぱすぎる思い出の話 ー高校2年生ー

 ふとした瞬間に、思い出すことがある。今ならそんなことしないのに、若かったんだなあって恥ずかしくなるような経験。思い返すにはちょっぴり甘酸っぱすぎる経験。誰にだってこんなことの一つや二つあると思う。私の場合はこれ。

「北条さん、俺ずっと北条さんのことが好きだったんだ」

 あの時、クラスメイトからの告白を引き受けたこと。『好きではないから付き合えない』と言った私に、彼は食い気味に『それでもいい』と言った。『これから好きになってくれればいい』と言った。その言葉に甘えて私は彼の手を取った。



「えー!まゆちゃんに彼氏ができた!?」

 その日の夕方、笑美さんのお家に寄った。夕飯を作るのを手伝いながら、なんとなしにことの次第を伝えると、彼女は想像以上のリアクションを見せた。

「わ、声大きいよ笑美さん!桜火たちに聞こえちゃう」

「あら、桜火には言ってないの?」

「…それは…」

 私は何も言えなくなる。

「あーあ、だっけ(だから)桜火には早くまゆちゃん捕まえておきなさいって言ったのにねえ。もう高校2年生だものねえ、恋人くらいできるわよねえ」

 笑美さんはそんなことをぶつぶつ言いながら包丁を動かす。乱れない一定のリズムが耳に心地よい。

 その音を聞きながら私は考える。私はとてもずるい。

 桜火と当たり前のように長い時間を過ごしていく中で、彼に好意を抱くようになるまで時間はそんなにかからなかった。好きだとか、そんな言葉で形容するにはまだ未熟かもしれないけれど、それでも他の人よりも特別な存在であることは確かだ。あわよくば私だけのものになればいいだとか、私だけ見てくれればいいのにとか、そういうことをふとした瞬間に思うくらいには、彼のことを思っていた。

 なのに、それなのに。私はクラスメイトの告白を受け入れた。理由は単純。桜火に少しでもあせってほしかった。なかなか振り向いてくれない彼の気を引きたくて、他の人になびくそぶりを見せたかった。そんなゆがんだ気持ちを精一杯もとに戻そうとして口にした『好きな人がいるから付き合えない』という最後の砦みたいな私の言葉に、クラスメイトが食い気味に『それでもいい』なんていうもんだから、甘えてしまった。今までは横道にそれそうになる自分の気持ちをいさめて『好きな人がいるからごめんなさい』って言えたのに。

「どーしたの、そんなに暗い顔して。彼氏ができてウキウキルンルンじゃないの?」

「ウキウキルンルンだよ」

 私は腰をくねくね振ってルンルンさを表現する。腕もつけようか。

「私に彼氏ができたときはね、もうそれはもうウキウキルンルンで!すぐ三郎さんにバレちゃったの。フフフ、恥ずかしい恥ずかしい」

 笑美さんはそう言って鍋の中身をかき混ぜる。私に背を向けて、彼女もさっきの私と同じように腰をくねくね振っている。

 しばらくそのまま鍋に向かい続けて、笑美さんはルンルンで料理をしていた。後はもう手伝えることはなさそうなので、居間に戻ろう。桜火にどんな顔で会えば…

「まゆちゃん」

「ん?」

 居間への一歩をためらっていると、不意に声をかけられた。

「今日はうちでお風呂入っていったらいいわ。考え事があるときは温かいお湯につかってゆっくりするのが一番よ。好きな香りの入浴剤でも入れてね。うん、名案」

 笑美さんはそう言いながら振り返り、へたくそなウインクをして見せた。

 笑美さんのいつも通りの優しさで胸がいっぱいになる。

「両目つぶっちゃってるよ」

「フフフ、いいのよそれで」

「笑美さん、ありがとう」

「いーえ!」

 私の目には料理をする彼女の背中がとても温かく映った。



 結局、そのまま笑美さんの家に泊まることになった。温かいお風呂に入って、ゆずの香りの入浴剤に癒されて。十花と風花と今はやりの少女漫画の話で盛り上がって、桜火と一緒に宿題を片付けた。

「まだ6時…」

 ふと目が覚めると、朝6時になったばかりだった。

「寝れない…」

 もう一度寝ようとしたがなんだか目が覚めてしまってなかなか寝付けない。

「…起きよう」

 意を決して私は布団から出てカーテンを開ける。シャッという音が軽快になる。その軽快さは、まだけだるい私の体には似合わない。

「おはよう、笑美さん」

「わ!びっくりした。まゆちゃんかぁ、おはよう」

 台所に行くと、笑美さんが朝ごはんの支度をしてくれていた。その背後から声をかけると、笑美さんはびくっと肩を揺らして勢いよく振り返った。

「何か手伝うことある?」

「そうねえ、じゃあお味噌汁作ってもらおうかしらね」

「りょうかーい」

 私はこうやって笑美さんと肩を並べて料理をする瞬間が好きだ。いつも楽しそうに料理をする笑美さんが作るご飯は格別においしい。

「お料理、上手になったわよね」

 味噌汁を作り終えると、笑美さんがにっこり目を細めた。

「おじいちゃんと笑美さんのおかげだよ」

「フフフ、嬉しいこと言ってくれるじゃない~」

「わ、髪ぐしゃぐしゃになる~」

「どんな髪型でもかわいいわよ。よし、じゃあみんなを起してきて」

「はーい」

 笑美さんに頼まれて、私は階段を駆け上がる。

「十花ー起きてー」

「うん…」

 まずは十花の部屋へ向かう。十花はすぐに起きてくれた。

「風花ー朝だよー起きてー」

「…」

「風花!」

「はい!」

 次は風花。なかなか起きなかったけど、少し大きな声を出したら勢いよくベッドから起き上がった。

 最後は桜火の部屋。コンコンコン。少しいつもより強めにノックする。

「桜火ー?入るよー…ってあれ、起きてたの?」

 部屋に入ると、桜火はベッドの上で半身起こしてぼーっとしていた。まだ寝ぼけているのだろうか。

「桜火、おーい」

 ぼーっとしている桜火に声をかけながら近づいていく。すると、桜火がようやくこちらを向いた。

「あ…真弓」

「もうごはん出来た…わっ」

 ゆっくり立ち上がって私の前まで来た桜火が、急に私を抱きしめた。

「え、ちょ、なに、どうしたの」

 突然のことに心臓が高鳴る。桜火、また大きくなった気がする。手、大きい。力、強い。でも私は昨日、彼氏が…

「起きて誰もいなかったから」

「っ」

 喉の奥が『キュッ』となった。その言葉を聞いて思い出した。そうだ、最近こういうことあんまりなかったけど、桜火は朝急にしがみついてくる人だった。

 そのことを思い出して、急に冷静になった。桜火はこんなに寂しそうに私を抱きしめているのに、そこになんの恋愛感情も感じられなくて急に悲しくなった。こんなことしてくるからには私は特別な存在であるはずなのに、私が求めてる特別はこの特別ではない。私はこんなにドキドキしているのに、なんだ、桜火は全然ドキドキしてないじゃん。なんだ、私だけ…

 そう思ったら急に胸が痛くなって、涙が出そうになった。桜火に焦ってほしくて他の人の告白を受けいれた自分の愚かさが、どうしようもなく腹立たしかった。人の気持ちを踏みにじるようなことをしていることが申し訳なかった。だから、もう、桜火を好きでいるのはやめにしよう。ふと、そんなことを思った。

「も、もう。びっくりしたでしょ。大丈夫よ、ここにいるわ」

 泣きそうになっていることを隠したくて、私は桜火の胸に顔をうずめた。

 結局私はそのあと、クラスメイトとしばらく付きあうことになる。半年くらい過ぎたころ、その彼とは円満に別れた。



※更新遅くなりました。作中の笑美のセリフ「だっけ」は、新潟弁で「だから」という意味です。

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