第66話 てるてる坊主、逆さにつるしておくね
夏休みが明けた。
『9月』と聞くと、僕は秋のイメージが強いのだが太陽は相変わらず僕の肌を焼こうとしている。夏は6月から8月までで、9月からは秋。このイメージを持っているのは僕だけだろうか。
僕の12年の人生の中で、思い出すことのできる9月は等しく8月の暑さを引きずっていたのに、『9月は秋』というイメージは僕をつかんで離さない。いや、僕が話したくないだけなのかもしれない。
「何考えてるの?」
「わ、雨月」
昼休みの喧騒の中で、雨月の声が間近に聞こえた。ここは新夏小学校6-5の教室。夏休みの高揚感は過ぎ去り、一抹の寂しさのようなものを抱えながら、いつも通りの学校生活が再開している。
「雪斗が本読んでないの、珍しいね」
「読みかけの本を家に置いて来ちゃったんだ」
「他の本を読んだらダメなの?」
「うーん、続きが気になって、他の本を読んでも集中できなくて」
「あ、もう試したんだね」
雨月が、僕の机の上に横たわっている本に視線をやった。これは僕がさっき、学級文庫の中から選んできた本だ。うまく集中できなかったので、僕は今本を閉じてぼーっとしていたところなのである。
「それで、何を考えていたの?」
雨月が僕の隣の席に座った。隣の人はたぶん今ごろ体育館で鬼ごっこでもしているのだろう。隣の席の田中君はいつも、昼休みが終わるぎりぎりの時間に汗だくで帰ってくる。
「9月は秋に入るのかなーと思って」
僕は雨月に向き直って言った。僕と目が合った雨月は『はて?』とでも言いたげに首を傾げた。僕の言ってることがうまく呑み込めないといったような表情だ。そんなに難しいこと言ったかな。
「そんなの決まってるじゃん」
雨月は僕から目をそらし、窓の外に視線を送った。
「空見てどう?今日の気温は何度?」
雨月がもう一度僕の目をまっすぐ見つめる。
「…青いです。太陽がギラギラしています。今日の気温は30度です」
「夏じゃん?」
…はい、雨月の言う通りです。彼女は紙面で暦を見るのではなく、感じたもの見たもので季節を決める人らしい。
確かに、今世界中のカレンダーというカレンダーがなくなって、空を仰げと言われたならば、僕も確実に『夏』と答えるだろう。
「雨降らないかな」
見上げた空があまりにも青くて澄んでいて、思わず雨を願ってしまった。
「私も今、同じこと思ってたよ」
雨月がにっこり僕に微笑んだ。
雨を願うことは、なんとなくネガティブに捉えられがちだ。雨には悲劇がよく似合う。
だけど、僕はただ純粋に雨が好きで、『雨が降ってほしい』という願望の裏に、なんら他の感情は隠していない。
だから、まっすぐ僕の小さな願望が雨月に伝わったことがなんだか嬉しいし、彼女が同じ気持ちを共有していることに口角が上がる。
「ちなみに明日の予報は快晴だよ」
雨月が意地悪く微笑んだ。
「知ってる」
「あ、そういえば昨日一緒に天気予報見たんだったね。くもさんの家で」
「そうだよ。雨はしばらく降らなそうだった」
「傘が売れなくて、くもさん困っちゃうね」
「大丈夫だよ。桜火は日傘も…」
「城崎くん、ちょっといいかな」
一瞬、僕と雨月の顔から表情が消えて、会話は音を失った。
僕と雨月は声の主の方を向いた。
会話を遮ったのは担任の先生だった。僕は先生の存在を認識し、その顔に浮かべられた憐れみを含んだ笑みを見た瞬間、『あ、またか』と思った。自然と眉間にしわが寄ってしまっていたことに気づき、慌てて眉間をグリグリする。
この先生は定期的に僕に近況を尋ねてくる。
『最近、おうちはどう?』
廊下に呼び出された僕は、
僕は以前、この話を雨月にしたことがある。『雪斗って定期的に先生に呼び出せれてるよね、何話してるの?』と聞かれたので、全部話したのだ。雨月は真剣に話を聞いてくれた後、『雪斗が悪いことして怒られてるんじゃなくてよかったぁ』と少し冗談っぽく笑ってくれた。
「今、私と大事な話してたんです」
僕の顔をちらっと見た雨月が、屈託のない笑顔を浮かべながら先生に言った。雨月が気を遣ってごまかしてくれたことが分かる。
「あら、なんの話かしら?先生もまぜて」
「ダメですよー秘密の話なんです」
雨月がいたずらっぽく人差し指を口元で立てた。
「いいわね、楽しそうで。…城崎くん、お話が」
「分かりました」
「え、雪斗…」
先生が僕に向き直り、真剣なまなざしを向けてきたので、僕は素直に先生に従うことにした。雨月が心配そうに僕を見ている。
「すぐ終わるからね」
先生がそんな雨月にそっと声をかけた。
「うん、すぐ戻って来るよ」
僕は立ち上がって、雨月に言った。僕の表情を見て、さっきまで心配そうな顔をしていた雨月が白い歯を見せて笑った。
「てるてる坊主、逆さにつるしておくね」
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