第59話 雑巾がけはいい運動
僕は居間で体操着に着替え、桜火の指示のもと雨月とともにさっそく掃除を始めた。まずは玄関の掃除からだ。
麦わら帽子を脱いだ雨月の恰好は、先ほどよりもダサくない。体操着がダサいのは、もうどうしようもないのだ。僕も同じ格好なので何も言えない。体操着ってどうしてこうも何とも言えないデザインなのだろう。
「くしゅんっ」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
掃き掃除を始めると、すぐに雨月がくしゃみを連発し始めた。
「アレルギー性鼻炎なのよね、くしゅんっ、はあー」
雨月のくしゃみはとてもかわいらしい。肩を上げて、頭を少し下げる。声も控えめで、聞いていて不快感がない。
『ぶはっくしょい!雪斗!ティッシュくれ』
豪快極まりない三郎さんのくしゃみがなぜか頭をよぎる。三郎さんはヘドバンでもするのかっていうくらい頭を上下させてくしゃみをするのだ。三郎さんと比べると、雨月のくしゃみがよりいっそうかわいらしいものに思えてくる。
「辛いなら無理しなくてもいいんだよ。ほこりが出なそうなところの掃除をすればいいし」
「大丈夫!やる!やりたい!」
「…そう?」
僕が心配すると、雨月は前のめりになって玄関の掃き掃除の続行を宣言した。
そんな雨月に対して『いや、本当に無理しなくていいから』と言わずに食い下がったのは、学校での大掃除の時の雨月の嬉々とした顔を知っているからだ。
彼女は教師が泣いて感謝をしてもいいくらい、気立てが良くてしっかりした生徒だと思う。年末の大掃除の時は嫌な顔一つせずにみんなが嫌がる雑巾がけを買って出て、
『雑巾がけって普段使わない筋肉使うからいい運動になるよね!楽しいし!』
と100点満点の笑みを浮かべる。それを見た他の人もつられて雑巾がけを買って出る。ああ、なんて素晴らしい生徒なんだ…同い年の僕から見てもクラスに1人はほしい人材だと思う。
「掃除、好きなの?」
「うん、好き。特に大掃除は好き。なんか非日常感があって楽しくない?机を教室から出した後の狭い廊下とかなんかワクワクするじゃん!くしゅんっ」
雨月はそう言って、マスク越しでも分かるくらいのはじける笑顔を僕に向けた。おまけのくしゃみ付きで。目をつぶるのがかわいいな。
確かに、大掃除の時の非日常感は僕も好きだ。学校全体が同じことをしていることに一体感を感じて少し気分が上がる。
「雨月は大掃除の時、雑巾がけを買って出てたよね。雑巾がけが好きな人ってなかなかいなくない?冬だと手冷たいし」
「よく覚えてたね。うーん、それは…」
雨月はほうきを持ったまま少し止まった。そして少し考えてから恥ずかしそうに、
「そのとき読んでた漫画の主人公が、『雑巾がけは普段使わない筋肉使うからいい運動になる』って言ってたのみて真似しただけなの」
と僕に耳打ちしてきた。
「かっこよくて真似したけど、真似したってばれたら恥ずかしいからみんなには言わないでね。くしゅんっ」
雨月はそう付け加えて掃き掃除を再開した。シャッシャッシャッシャという軽快な音を立てながら、雨月はほこりを掃いていく。
「恥ずかしがる必要ないのに」
「え?」
思わず僕はつぶやいた。うまく聞き取れなかった雨月が聞き返してくる。
「かっこいいと思って実践できるのはすごいことだと思うよ」
僕は掃き掃除をする手を止めて雨月に向き直った。僕の言葉が予想外のものだったのか、雨月が目を丸くしている。
「…ありがとう。そんなふうに言われるとは思ってなくてびっくりした」
雨月がはにかんで見せた。少し耳が赤くなっている。…もしかして照れている…?
「そ、そういうなら雪斗だってすごいよ」
「え、僕?」
照れているそぶりを見せる雨月を見て、なんだか僕も少し恥ずかしくなってきたところで雨月が言った。
「うん。雪斗はいつも誰に対してもちゃんと『ありがとう』っていうよね。配りもの係が配りものしてくれたらありがとう、給食係からお皿を受け取ったらありがとう。それって係が仕事するのがあたりまえだって思ってないから言えることでしょ?ずっとすごいなあって思ってたよ。それに…」
雨月がだんだん早口になってきた。
「私のお父さんと話もしてくれて、自分のお父さんともちゃんと向き合って…」
雨月がうつむいた。前髪が彼女の顔に影を落とす。僕は黙って続く言葉を待つ。
「でも私は何もできなかった」
ほうきを持った彼女の手に力がこもっているのが分かった。
「雨月…」
「おーい、2人ともー!掃き掃除の手が止まってないー?仕事仕事ー!!」
…なんて間の悪い…。桜火が居間からこちらに向かってきながら軽く叫んだ。この家の廊下は無駄に長いので、桜火からは僕たちの会話はまるで聞こえていなかったのだろう。
でも、でも!こんなにタイミングが悪いなんて!恨むよ、桜火!
「ごめんなさーい!話してたら手が止まっちゃってた。くもさんも手伝ってよー」
雨月がくいっと顔をあげて、明るい声を出した。
「もっちろんだよ!」
「やったー。玄関の上の窓掃除をしてよ。私たちじゃ届かないから。あ、窓から掃除すればよかったかな。掃除は上からが基本なのにー」
「ごめんごめん。これは僕の指示が悪かったよ」
「そんな日もあるよね」
「ねー」
雨月と桜火の楽しそうな会話を、僕はなんとも言えない気持ちで聞いていた。
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