第58話 壊滅的なセンス

 お父さんに会ったその日の夜、迎えに来てくれたお母さんは僕の顔を見てほっとしたような顔をした。

「お父さん、元気だった?」

 家に帰る途中で、お母さんは僕の一歩前を歩きながらぽつりと聞いた。

 元気じゃなさそうな顔で、お父さんは『元気だったよ』と言っていた。僕はなんて答えようか少し迷ってから、

「元気だって言ってたよ」

 と言った。嘘はついていない。

 お母さんは振り返り、

「あの人が元気だっていう時は元気じゃないのよ。本当に元気な時は『元気だ』なんて言わないんだから」

 と困ったような顔をして見せた。

 その顔はなんだか、不思議な顔だった。困った顔でいて、少し愛おしそうな。

『あの人って昔からそう』

 というセリフが聞こえてきそうな、そんな顔。いろいろ思うところはあるのだろうけど、お母さんもお父さんのことを気にかけていて、昔と変わらない一面が垣間見えたことに少し安心したような顔だった。

「雪斗、ありがとう」

 お母さんが僕に目線を合わせるように少ししゃがんだ。

「うん。久しぶりにお父さんに会えてよかった」

 僕はそう言って歩き出した。お母さんの真剣な目を見つめ続けるのは少し恥ずかしかったからだ。

 お母さんが言った『ありがとう』という言葉が、何を指して言った言葉なのかはよく分からない。お父さんに久しぶりに会ってくれてありがとう、一歩を踏み出してくれてありがとう、意味は色々あるのかもしれない。

 感謝をされるようなことをしたとは思っていないけれど、お母さんが久しぶりにお父さんの話をしてくれたことはなんだか嬉しかった。

 夏の夜の香りが鼻をくすぐる。僕とお母さんは肩を並べて家と帰る。帰る家が違うお父さんも、同じ香りを嗅いでいるといいなあとぼんやり思った。



 お父さんと会ってから一週間が過ぎた。劇的に何かが変わるなんてことはなく、僕はいたって普通に過ごしている。

 今日は雨月とお店のお手伝いをする日だ。今日の仕事内容は『店のお掃除』である。

 約束の時間は午前9時半。現在の時刻は午前9時23分。そろそろ雨月が来る頃である。

 一週間以上雨月とは会っていなかったので、久々の顔合わせだ。夏休み前は学校で毎日会っていたし、放課後も桜火の家で遊んでいたのでこんなに会わなかったのは久しぶりだ。会ったら最初は何を話すべきかなあ、いつもってどんな話してたっけ…

「おはよーうございまーす!」

 そんなことを考えていると、玄関から陽気な声がした。

 僕の胸が、玄関につながる廊下を早歩きする自分の足音に合わせて少しずつ高鳴っていく。雨月は今日、どんな服を着ているのか…

「あ、おはよう!雪斗」

「あ、うん、おはよう。その恰好…」

 僕は、雨月を見て言葉を見失ってしまった。

「今日はお掃除の日だから気合入れてきた!」

 そういった雨月は、マスクに麦わら帽子に学校の体操着というダサ…不思議な恰好をしていた。左胸のあたりに書かれた大きめの『河合』の文字が、ダサさ…いや、ちょっとした異様さを際立たせている。

 かわいい私服を想像してしまっていたので少しがっかり…いや、こんなに気合を入れてくるなんてすばらしい心遣いだ!きっと桜火も喜ぶ。

「…その恰好でここまで歩いてきたの…?」

 僕は意を決して聞いてみた。できることなら返答は『No』であってほしい。

「違うよ!」

 雨月が胸の前で両手を振った。僕は少し安堵する。

「お父さんが車で送ってくれたの。さすがに私もこんなだっさい恰好で外歩けないよ!」

 雨月がそう言ってケラケラ笑いながら僕の肩を軽くたたいた。あ、よかった。雨月にも、その恰好が『ダサい』という認識はあったのか。僕の感性がずれているのかと思ったよ。

「お父さんはかわいいって言ってたけど、信じられないよね。この恰好のどこがかわいいのかな。特に麦わら帽子がお気に入りらしいよ。お父さん、もしかしてセンスない?」

「…ちょっとセンスないかも」

「だよね」

 僕と雨月は顔を見合わせて笑った。

 娘が何を着ていてもかわいいってことなのか、ダサさが逆にかわいいということなのか、それとも本当にかわいいと思っているのか。多分全部だろう。

「お、雨月ちゃん久しぶり。かわいい恰好してるね」

「「えー…」」

「え、何なに。二人とも何その目」

 僕たちが博さんのセンスを疑っていると、もう一人壊滅的なセンスの人物が後ろから現れた。その名は、雲松桜火。悲しきかな、僕たちのおじさんだ。

「どこらへんがかわいいの?」

 雨月が少し引きつった顔で尋ねる。

「麦わら帽子と体操着の組み合わせがいいね」

「へ、へえー、アリガト」

 『あ、この人本当にセンスない人だ』とでも言いたげな憐れむような目で、雨月は桜火を見つめた。マスクに麦わら帽子に体操着なんて、畑仕事でもするのかっていうくらい田舎っぽい恰好なのに。

「桜火、センスないよ…」

「急に悲しくなるようなこと言わないでよ。雨月ちゃんは何を着ていてもかわいいってことだよ」

「あー、まあ、それはそうだね」

「え、雪斗まで⁉」

 …しまった。つい桜火の言葉に同意してしまった。

「あ、いや、服がかわいいとかそういうことじゃなくて、雨月は何着てもかわいいっていうか、あれ、僕何言ってるの」

「雪斗くん、それって雨月ちゃんはかわいいねって言ってるのと同じだよ」

「え、あ、いや、あの…あー!もう!はやく掃除しよ!」

「あ、雪斗ー」

 桜火が意地悪く微笑み、僕は恥ずかしさを隠すように居間まで走った。

 

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