第57話 たまにはおしゃれをしてシーフードカレーでも3 ー雲松桜火ー

 シーフードカレーを食べ終わり、僕たちはホットコーヒーをいただいている。

 あれから修学旅行話にスイッチの入った真弓は、小学生の頃だけでは飽き足らず高校の修学旅行の話をし始めた。

「修学旅行といえばやっぱり夜更かしよね。好きな子の話した?」

「うーんどうだったかな。したかもね」

「いやー、フフフ、さぞかし盛り上がったんでしょうね」

 僕は修学旅行の夜を思い出す。高校2年生の秋のことだ。確か6人部屋だった。その中の一人が唐突に言った言葉が頭をよぎる。

『北条ってかわいいよな』

 ああ、その通りだよと、その時の僕は心の中で思った。その一言を皮切りに、男子高校生の夜モードスイッチが入った。

『あー俺も思ってた。目も大きいし、スタイルいいし』

『そうそう。気さくで、気遣いも上手だよな』

『俺、この前告白して振られたんだよ』

『え⁉マジ?詳しく聞かせろよ!』

 だんだん思い出してきたぞ。真弓はクラスの男子の間で人気だった。僕は自分に話が振られないように慎重に話を聞いていた。

『なんて言って振られたんだよ』

『好きな奴がいるってさ』

『はー、好きな奴って誰だよー。くそ、うらやましい』

 ポテトチップス片手に話すのは楽しかったなあ。懐かしい。その後結局、僕と真弓が幼馴染なことがばれて色々問い詰められた。

「桜火ー、思い出に浸りすぎよ。戻ってきてー」

「あ、ごめんごめん。盛り上がったよ。クラスの男子の中で真弓はすごく人気があったよ」

「またまたー」

 真弓はそう言って両手を胸の前で振った。

「ご謙遜を」

 僕はそう言って窓の外の海を眺めた。遠くにゆっくり進む船が見えた。

 僕たちはこれまでお互いの恋愛事情に踏み込むことはなかった。中学・高校の頃は情報が回るのが早くて、その中の浮ついた話の中に真弓に彼氏ができた、なんて噂の1つや2つ耳に入らないことはなかったが、大学に入ってからのことは全く知らない。

「そろそろ帰りましょうか」

 僕たちはお会計を済ませて車に戻った。



「はあー、おいしかった!また来ようね」

「そうだね。今度は雪斗くんと雨月ちゃんも連れてこよう」

「そうね。このシーフードカレーのおいしさを布教しないと」

 車の中に籠もった空気を一掃するために全開にした窓から、海岸沿いの少し強めの風が入ってくる。真弓の髪が、視界のすみで暴れている。

「真弓」

「ん?」

「今日はありがと」

 僕が言うと、真弓はゆっくり窓を閉めてから、

「なんのことかしらね」

 そう言って少しうつむいて微笑んだ。



 家に帰ると、雪斗くんが机に突っ伏して眠っていた。真弓はそんな雪斗くんを見て、

「今日の夜はグラタンね」

 とつぶやいて台所に消えていった。

 雪斗くんが目を覚ました後、僕と雪斗くんは家族について話をした。久しぶりに真面目に頭を回転させて、少し疲れた。

 相手を傷つけないように、相手に誤解されないように言葉を紡ぐのは、意外と体力を使うものだ。大事なことを伝えたいときほど言葉が見つからないのは、いつもより何倍も何倍も気を付けて言葉を探しているからなのだと思う。その見つからなさが、自分の口下手さを表現しているように思えて真剣な話をするのが嫌に思えるのかもしれない。

 そんな僕の話を、真剣な顔で聞いてくれている雪斗くんを見て胸が締め付けられた。僕の目を見る彼の、何の邪推も偏見もないまっすぐな瞳。時々、僕の言葉をうまくかみ砕けなくて眉間にしわを寄せる彼は、難しい話から逃げることも、お父さんと向き合うことから逃げることもしない。分かったつもりで終わらせないで、きちんと考えようとする等身大の彼のまっすぐさが、僕にはとても大事なものに思えた。

 僕は、どうだろうか。そんな疑問が、頭に浮かんだ。僕は等身大の自分で逃げずに何かに向き合えているだろうか。

「雪斗、思ったより落ち込んでなくてよかったわね」 

 シンクの端に手をついて、真弓が言う。僕に背中を向けたままだ。

「うん、そうだね」

 僕はその背中に向けて答える。台所には僕と真弓しかいなくて、チーズがこんがり焼ける匂いが鼻をくすぐる。ここからは雪斗くんは見えないし、声も聞こえない。

「私は…」

 真弓が消え入りそうな小さな声でつぶやいた。

「いつになったらその『家族』に入れてもらえるのかしらね」

 彼女の声はとても小さく、耳を澄ませていなければ聞こえなかった。

 僕は言葉に詰まった。ああ、僕は。僕は、彼女にこんな悲しそうな声を出させてしまったのか。そう思うと胸が痛んだ。

 大きくなると、何かにとらわれるとなかなか逃げられなくなる。あるとき感じた強い思いが時間の経過とともに変化していくこともあると知りながら、その思いを長い間抱え続けると、捨ててはいけないもののように感じて執着してしまう。執着すればするほど、それが大事なもののように思えてくる。

「もう絶対に家族を失いたくない」

 本当の両親が事故に遭ったときに感じたこの気持ちも、お母さんが亡くなった時に感じたこの気持ちも、まったくもって嘘ではないけれど、その気持ちに折り合いをつけて、前に進んでいくことがこんなにも難しい。

 大人になればなるほど、自分の考えを変えることはどんどん難しくなっていく。向き合おうと思うと、向き合ってこなかった時間の長さも見つめなければならなくなって、逃げ続けてきた自分の弱さがどうしようもなく情けなくなる。

 でも、そんなことを言っている場合ではないのかもしれない。子供たちが進んでいる今、本当に進まなければならないのは自分なのだと痛いほど実感している。これ以上、真弓を傷つけるわけにはいかない。

「今のは、聞かなかったことにして頂戴。さ、グラタン食べるわよ」

 真弓がくるりと振り返って微笑んだ。

 藤色のエプロンが、はかなげに揺れた。

 

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