第55話 たまにはおしゃれをしてシーフードカレーでも1 ー雲松桜火ー
線香花火を見つめて静かに流す雪斗くんの涙は、線香花火の火の玉と同じくらい大きかった。
お父さんに会いたいかと尋ねた僕の言葉に彼がはっきりとうなずいたとき、彼の前に進もうとする背中を後押ししたいと強く感じた。それと同時に、お父さんに会うことを提案した僕の言葉は、彼の背中を押して崖から突き落としかねないような気もして落ち着かなかった。
次の日、雪斗くんのお父さん…
『平日の午前中ならいつでもいい』
と言われた。久々に聞く明さんの声には、疲れがにじんでいた。
日付を指定したのは僕だった。傘屋くもり空の定休日に合わせたことは言うまでもない。仕事のある日だと、僕は雪斗くんのことを考えすぎて仕事が手につかないと思ったからだ。
明さんは僕が指定した日付を電話越しにメモを取ると、
『すまないね』
と言って電話を切った。
ツーツーツーという無機質な音を聞きながら、
「伝える相手を間違えているよ」
と思った。その言葉を届けたい相手は、電話の向こうにはもういなかった。
「桜火、私シーフードカレーが食べたいわ。付き合って」
雪斗くんがお父さんと会う約束をしている日の前日の夜、真弓から電話がかかってきた。
「別にいいけど。いつ?」
「明日」
「あー…明日は無理なんだ」
「なんでよ。明日定休日でしょ」
「あ、いやー休日はゆっくりするのが僕のモットウだから」
「平日じゃないと混んでるのよ、あのお店。もう予約してあるから、また明日ね。おしゃれしてきてよね。デートなんだから」
「あ、ちょ」
ツーツーツー
…まるで突風が吹き抜けるかのような速さと、逆らえなさであった。僕は苦笑いにも近い笑みをこぼす。
彼女がここまで強引なことをするのは珍しい。こういう時はたいてい僕のためを思っての行動だと、僕は知っている。
「雪斗くんがお父さんと会うのが明日だってばれてたか…」
本当は雪斗くんの後をつけていきたいくらいの気持ちだったんだけど、我慢だ。
全く、真弓には逆らえないなあ。おしゃれしてきてよねってまた無理難題を…前日の夜に言うなんて親切じゃないなあ。真弓のおしゃれした姿は見たいけど。
僕はそんなことを考えながら自室へ向かい、鏡とにらめっこを始めた。
ツーツーツーという電話の音が、明さんの電話の時と全く違って響いて不思議な感覚だった。
「いい感じじゃない。かっこいいわよ」
集合時間より5分早く僕の家までやってきた真弓が、開口一番ほめてくれた。よかった。夜中の1時まで悩んだ甲斐があった。
「真弓も…その…」
「ん?」
「かわいいよ」
「フフ、ありがと」
真弓が小首をかしげて恥ずかしそうに微笑んだ。
真弓が長いスカートを履いているのを久しぶりに見た。青と白のストライプが、夏の青空によく似合っている。いつもはつけないような大きめのイヤリングが耳元できらめき、目元がキラキラしている。腕時計も仕事用のものではなく、細くて白い腕によく似合う小さめのデザインで、髪もふわふわいいにおいを漂わせている。
メイクやファッションに疎い僕でも、彼女が『おしゃれ』をしてきてくれたことが分かる。それが僕のためだと思うとドキドキする。違う違う、シーフードカレーのためだ。舞い上がるなよ、自分。
「行きましょ。予約の時間過ぎちゃう」
「分かった分かった」
僕はそう言って運転席に乗り込み、真弓は助手席に座った。
彼女がシーフードカレーを食べたいという時はいつも、決まったお店のシーフードカレーを指している。ここから車で一時間ほどのところにある、海が見える素敵なカフェがあるのだ。
「桜火が車運転してるの久しぶりに見たわ」
「そうだね。真弓の前ではあんまり運転しないね」
そんな会話をしながら、僕はエンジンをかけた。人を乗せて運転するのは久しぶりなので少し緊張する。
「いやーあっつい」
真弓はそう言って窓を全開にした。夏の暑い日、車に乗った瞬間というものはどうも不愉快だ。こもった空気が全身にまとわりついてくる。これが好きな人っているのかな。
運転を始めると、全開にした窓から心地よい風が吹き抜けた。その風は真弓の髪をなでて、彼女の髪を揺らしている。気持ちよさそうに目を細めた彼女は、窓の外を眺めてぼーっとしている。
「よそ見しないの」
「あ、ごめんなさい」
横目で真弓のことを見ていたことがばれた。いや、信号赤の時とか余裕のある時しか見てないよ、さすがにね。
「なんか音楽かけてよ」
「僕運転中は音楽かけないんだよ。だから何も入ってない」
「えー、じゃあ私が歌おうか」
「真弓が歌うのー?」
真弓はそう言って高校の校歌を歌い始めた。
「え、なんでそのチョイス。面白いからやめてよ。運転に集中できない」
「いいじゃんたまには思い出さないと忘れちゃうでしょ」
僕の発言など気にも留めず、彼女は校歌をきっちり3番まで歌い切った。
「相変わらず歌うまいね」
「声楽部でうまくなかったらまずいでしょ」
「そうだね」
「なんかさー、子供のころには分からなかったことが分かってくるから大人ってなんだか切ないわよねー」
「急にどうしたの?切ないことでもあった?」
僕は進行方向を見つめながら彼女に問うた。
「いや、なんかさ。私たちの校歌に、『故郷の山を見ながら学ぶ楽しさ』を歌ってる歌詞があるじゃない?」
「うん」
「高校生の時はよく分からなかったけど、大学に入ってなんとなく分かった瞬間があったのよね。たいして気にもしてなかった名前も知らない山だったけど、あの山、そこにあるだけでなんか安心させてくれる力があったなあーって。ここからはあの山見えないや…ってなんか悲しくなったの。その気持ちを今思い出した」
「今日はそういう詩的な日なのかな」
「そうかも」
そんなとりとめのない話をしていると、あっという間に目的地にたどり着いた。
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