第54話 正解がないなら、どれも正解
「僕は、小学2年生の時に両親を失ったんだ」
「‼」
桜火の口から直接過去の話を聞くのは初めてだった。思わず目を見張る。
「ハハハ、びっくりした?僕もびっくりした。交通事故だったんだ。僕、まだ小さかったから何が起こったのかよく分からなくて。でも、お父さんとお母さんにもう会えないってことは分かったよ」
「それは…たくさん泣いた?」
僕は、『それは』の後に続けようとした『辛かったね』という言葉を飲み込んだ。そんなこと言うまでもなく、辛いなんて言葉では言い表せないくらいの出来事であったはずだから。
「泣かなかったよ」
「…え」
桜火は少し考えるように斜め上を見上げてから、僕の目をまっすぐ見つめた。桜火の返答は予想外で、僕は戸惑う。
「どうして?」
僕が尋ねると、桜火はまた斜め上を見上げた。言葉を丁寧に選んで話そうとしているようであった。
「お父さんが…お父さんがね、いつも僕に言ってたんだ。『男の子は泣かないで、困ってる子を助けてあげないとな。泣いてる女の子を助けてあげな』って。今思えばあまりにも泣き虫な僕に、はっぱをかけるためにお父さんは言っていたんだって分かるけどね。僕、あの頃は絶賛ヒーローにあこがれてた時期だったから鵜呑みにしちゃって」
「…うん」
「泣かなかったんだよ、本当に。泣くことを飲み込んだのどの痛みが今も思い出せそうだよ。十花はすごい泣いてたけどね。いつもは僕より断然強かったくせに」
桜火が少し微笑んだ。記憶の中の、男勝りな十花さんを思い返しているのだろうか。
「あんなに僕より強かったのにさ、あまりに泣くもんだから…」
桜火が大きく深呼吸をした。
「ああ、僕が守ってあげなきゃって。今までたいして『家族』とか意識したことなかったけど、その時はっきり『家族』を意識した。十花だけになっちゃったからね。この時感じた『家族』は『血のつながった人』っていう感覚が強かったかな。今思えばね」
「…うん」
桜火の『十花だけになっちゃったからね』という言葉が、冷たく僕の背中を撫でたような気がした。一体桜火はどんな気持ちだっただろうか。いつもは取り立てて考えたことのない『血のつながり』というものを、当時小学2年生の桜火が否が応なく考えざるを得なかったことが、とても悲しい。
「それで僕は笑美さん…この呼び方はなんだかくすぐったいな。雪斗くんから見たおばあちゃん。ほら、そこのお仏壇に写真があるでしょ?あの人」
桜火は居間のすみにあるお仏壇の方を見た。僕もつられてお仏壇を見る。今日もきれいなお花が供えられている。
「それで、僕と十花はお母さんに引き取られたわけ。あ、2人目のね」
「分かってるよ」
「風花ともそこで家族になった。そうだね、この時僕が家族をなんだと思ってたかっていうと『法律上のつながり』かな。お母さんと風花を、最初は十花と同じようには思えなくて。血がつながってないのに『家族』って変なのって思ってたよ」
僕は想像してみる。今まで他人だったはずの人が、急に『家族』になるってどういうことだろう。形式的なものに感じるかなあ。急に一緒に暮らすのは大変そうだ。気を遣って疲れてしまうかもしれない。
「でもさ、そんな僕をよそにお母さんはそりゃもうフレンドリーに接してくるもんだから面食らっちゃって。『ずっと家族ですけど?』みたいな感じで僕の事抱きしめるわ、叱るわ、ほめるわで。気付いたらなんのためらいのなくお母さんと風花を『家族です』って言えるようになってたよ」
「優しい人だったんだね」
「そりゃもう、世界一だよ」
桜火が嬉しそうに目を細める。おどけていないまっすぐな笑顔。桜火がこういう顔をするのは珍しい。
「お母さんはね、本当の血のつながったお母さんに負けないくらい僕の『お母さん』だったんだよ。…まさか死んじゃうなんて思ってなかった」
「桜火…」
桜火がうつむいたのを見て胸が痛んだ。今日に限って流された桜火の前髪は、ちっとも桜火の顔を隠してくれない。悲しそうな表情が、ダイレクトに見える。お仏壇のおばあちゃんはいつもと変わらずに優し気に微笑んでいる。
「雪斗くん、僕にとって『家族』はね、『血のつながった人』だった時もあれば、『法律上のつながり』だった時もある。家族の定義なんて、言葉にしてしまえば案外あっさりしたものだ」
「…じゃあ今は?今の桜火にとって家族って?」
「分からないよ」
「え?」
僕は素っ頓狂な声をあげてしまった。今の流れで『分からない』と言われるとは思っていなかった。
「間違いなく言えるのは、『絶対に失いたくない存在』で、『僕が1番大事にしたい人』、『僕を大切に思ってくれる人』ってことかな。でもなんだかどれを取ってもしっくりこない」
「うん」
「だからみんな理想を描くのだろうね。家族って何なのか、どんな存在になれば家族と言い張れるのか。分からないから理想は膨らんでいくのかもしれないね」
僕には難しい話だった。僕は自分の眉間にしわが寄っていくのを感じた。
「しかめっ面だね」
「桜火の話が難しくて」
「お父さんとお母さん、揃っていれば幸せ?そうかもしれないね。家族で一緒にいる時間が長い方が幸せ?そうかもしれないね。じゃあ雪斗くん、君はお父さんと一緒に幸せに暮らしている未来が見えたかい?」
「…」
僕は言葉に詰まった。そんな未来、僕には見えなかった。
「人には適度な距離感というものがあるんだよ。無理に理想に近づこうとすると、幸せから遠ざかっていくことになることもある」
「言いたいこと、なんとなくだけど分かるよ」
「何が言いたいかってね、雪斗くんが目指す理想の家族を、世間の理想に近づける必要はまるでないってことだよ。前にも言ったけど、君の苦しみが君だけのものであるように、君の幸せも君だけのものだから」
僕ははっとした。いつの間にか、自分の理想が世間が抱く理想に似通っていたことに気づいたからだ。
「家族って何なのか、分からないままでいいと思うんだよ、僕は」
家族とは何なのか、僕にとってお父さんがどういう存在なのか。分からないままでいいのか…?
「分からなくてもいい。考えていけばいい。変わってもいい。分からないってことは、どれも正解になりうるってことだよ」
「どれも正解…?」
「そう。正解がないなら、どれも正解。君にとっての家族、僕にとっての家族。違っても真反対でも全部正解。もっと肩の力を抜いて考えていいよ」
ストンと桜火の言葉が胸に落ちていくような気がした。僕にとっての家族が、人が抱く理想像と違っていてもいい。そんなふうに言われている気がした。
「うーん…?やっぱり難しいよ」
「フフフ、いいのよそれで」
「わ、真弓さん、来てたの?」
盛大に頭を抱えた僕の背中を、急に現れた真弓さんが軽くたたいた。藤色のエプロンからなんだかいいにおいがする。
「ゆっくりかみ砕けばいいわ。偉そうなこと言ってるけど、桜火もずっと悩んでるんだから」
「ちょっと真弓ー言わないでよー。せっかくかっこいいこと言えてたのに」
桜火が頬を膨らませる。
「雪斗、私はいつだってあなたと一緒に悩んであげるわよ」
「真弓さん…」
真弓さんが少しへたくそなウインクをして見せた。桜火の癖がうつったか。
「でもその前に、ご飯食べましょ。いっぱい考えてお腹空いたでしょ。今日の夕飯はグラタンよ」
「グラタン⁉やったーー!」
台所から、僕の大好物のグラタンの匂いがした。その匂いは、少しだけ軽くなった心に、いつにもましておいしそうに香った。
※更新遅くなりました…脈絡のない話になっていたらごめんなさい。
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