第50話 線香花火の1ページ
どれくらい経っただろう。花火の残りが、わずか4本になっていた。
「なんで4本なんだよーーー、3人しかいないのに」
僕は4本の花火を見て言った。
「あまる1本をかけてじゃんけんをしたらどうかな」
桜火が言った。
「そうだね」
と言って雨月が、拳を握る。
花火が入っていた袋の上に横たわった4本の花火たちは、図体の大きい人間3人に囲まれ、さぞかし肩身が狭いことだろう。しかもこの後火にさらされることになるのだから、恐怖で震えているかもしれない。
「よし、最初はグ…」
「あ、僕はいいよ。大人だからね」
雨月が気合十分に、いつもより大きく振りかぶって『グー』を出そうとすると、桜火が遮った。
「え、いいの⁉」
雨月がうかがうような目で桜火を見つめる。
「うん、もちろん」
…ここまでの会話を聞いていると、桜火はとてもやさしいおじさんのように思えるが、そうではない。さっきから『僕、えらくない?』と言いたげな視線で僕に目配せをしてくる桜火が残念でならないよ!その少しムカつく顔さえなければ、完璧なのに。
「…僕もいいよ。雨月が2本やりな」
「え?」
桜火のドヤ顔を無視しながら、僕は雨月に言った。
別に、桜火に対抗して譲ったわけではない。花火がやりたくないわけではなかったが、
「本当にいいの?」
「うん」
「フフ、ありがとう!」
この雨月の最高の笑顔を見ることができるのなら、花火の1本や2本譲ってみるのもいいと思った。
4本の花火はあっけなく終わり、残すところは線香花火のみとなった。
「はい、これは雨月ちゃんの分ね。これは雪斗くんの分」
そういって線香花火を分けてくれた桜火であったが、なぜか僕たちが線香花火を持つまで線香花火を手に取ろうとしなかった。ちらちらと僕や雨月の手をうかがっている。怪しい。
「桜火」
「ん?」
「何か言いたいことあるなら言ってよ」
「…線香花火ってどっち持つんだっけ?ヒラヒラの方…?」
「…」
僕が問い詰めると、桜火はたいしてかゆくもないであろう頭を掻いて、恥ずかしそうにうつむいた。僕と雨月は顔を合わせて一瞬沈黙する。
「…プッ」
「…ハハハ、ヒラヒラの方を持つんだよ。分からなくなるよね。アハハ」
僕は思わず吹き出してしまったが、雨月は優しく教えてあげていた。どっちが年上なんだか分からなくなってきたぞ。
「そうだったそうだった。じゃあさっそく」
桜火はきちんとヒラヒラしている方を手に持って、線香花火を火にかざした。
線香花火は軽いので、ろうそくの火に当て続けるのには少し集中力が必要だ。少しでも手元が動くと、『クイッ』と花火があらぬ方向を向いてしまう。
「線香花火って、優しいよね」
パチパチ音を立てる花火を眺め、雨月がしみじみとつぶやいた。
「そうだね」
燃える炎は激しいが、見た目とは裏腹に音は小さい。だんだん大きくなる先の塊が、いつ落ちるものかとヒヤヒヤする。それでも炎は優しく、温かく、愛おしいものを守るように僕の手に。それはまるで…まるで…
『おい、雪斗。ここの火のところは触っちゃダメなんだぞ』
火の球を触ろうとした僕を、優しくいさめる幼き日の父のようで。
「なんで今…?」
急に脳裏に浮かんだ父の存在に自分が一番驚く。さっきまで少しも思い出してなんかいなかったのに。
僕はぼんやりと線香花火の火花を見つめながら、父の姿を思い出す。
『雪斗がやけどしたら、お父さん悲しいぞ』
大きな手で頭を撫でられた。初めて線香花火をした時の記憶。
その日の僕は、普通の手持ち花火より線香花火は熱くないように見えて、触りたくなったんだったかな。
『お父さんが悲しいのはダメだから、触らないよ』
なかなか健気じゃないか、僕。
何気ない一瞬が、深く心に残ってふとした瞬間に思い出されることがある。別にそれが劇的で、最初で最後の出来事ではなかったはずなのに、ある1ページだけが思い出されることがあるんだ。
例えば、何度も何度も転んだはずなのに、学校の帰り道で転んだその1ページだけが印象深かったり、何度も何度も怒られたはずなのに、宿題の答えを写してお母さんにばれた1ページだけが印象深かったり。何度も何度も花火なんてしたことがあるはずなのに、お父さんとやった線香花火の1ページだけが印象深かったり。
『雪斗は優しいなあ。雪斗は優しくて、一生懸命な子になるんだぞ』
ジュ…
「あ…」
線香花火が地に落ちた。
『落ちたな』とだけ思った。悲しいとか、寂しいとか、そんな感傷的な気分にはならなかった。ただ、記憶に根深い暴力的な父の印象の中で、こんなに温かい父もそういえばいたのだと、半ば他人事のように考えていた。
父を思い出すのは、いつも火が付いたいつかは消えてしまうものばかりだ。
「もう一本やろうか」
僕がそう言って立ち上がると、雨月が何かに驚いた表情で僕に駆け寄ってきた。
「どうした?」
「…なんで雪斗は泣いてるの?」
「え?」
雨月の言葉を頭で認識すると、自分の頬を流れる温かい涙の存在に気づいた。
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