第44話 梅雨が過ぎ去った証の夏だったけど
「はーい、2人ともコソコソ話はそこまでにして。目的地に着きますよー」
「え!」
「ひ」
10分ほど前からコソコソ話をしていた僕たちは、桜火に気づかれていないと思っていたので『そこまでにして』と言われて、とても驚いた。一瞬心臓が止まったと思う。
「…気づいていたの?」
僕は恐る恐る聞いてみた。
「え?大丈夫!荷物の中身が何なのかの議論なんて聞いてないから!」
…つまり聞いていたってことでいいんだな。聞いていなかったのなら、荷物の中身がなんであるかの議論だなんてわかるはずもないし、桜火がここまで焦って弁明する必要もない。
「わかりやす…」
必死に弁明している桜火と、その様子を呆れたように見ている僕を見て、雨月はそうつぶやき、『もう我慢できない…』というように笑い出した。
僕も全くの同感である。こういう時、すぐに目が泳いでしまう桜火は、隠し事の類が苦手だ。隠し事の方から逃げていくレベルだぞ。
「ハハハ、もう、くもさん」
「ハハハ、お腹いたーい」
雨月と桜火はツボに入ってしまったのか、プルプル震えながらお腹を抱えて笑っている。うんうんあるよね、そういう時。たいして面白くないことが、やけにツボに入っちゃう時。その時は本当に面白かったのに、振り返って誰かに伝えようとするとうまく伝えられなくて、しまいには自分でも何が面白かったのか分からなくなるやつだ。
「ふう、ふう」
「僕、自分でもびっくりするくらい分かりやすかったよね。自分がこんなに分かりやすい発言をするなんて知らなかったよ」
僕は知ってたぞ。僕はあえて心の中で突っ込みを入れる。
「あ、雪斗くんなになにその目。じとーってしてるよ」
「いや別に?」
僕は『ぷいっ』とそっぽを向いた。
「わ、ひどい。あ、もう少しだよ。ここを曲がったらすぐだ」
桜火がそういうのと同時に、僕たちは桜火が指さす角に差し掛かる。
「…わ…きれい…」
太陽に顔を向け、自信満々に咲くヒマワリが植えられているお家を右に曲がると、雨月が感慨深げに声を漏らした。
「すごい…」
僕も思わずつぶやいてしまう。
春には美しい桜を咲かせるであろう桜の木の葉が、まだ赤くなっていない紅葉の葉が、その他にもたくさんの美しい緑が真昼より少し暗くなった空に揺れている。時折吹く生暖かい風に身を任せ、抗うことなくゆっくりと。そんな光景を見て、僕は『すごい』としか言えなかった。
「きれいなところでしょ?」
空に揺蕩う木々の緑に目を奪われていた僕と雨月に、桜火は静かに問いかけた。
けれど、問いかけた桜火の目は、雲一つない青とオレンジに染まる空をまっすぐに見つめていて、僕たちと目が合うことはなかった。混ざり合いそうで混ざり合わない青とオレンジが、この上なく美しかった。
「うん」
僕も雨月も、桜火がこの空に見入っているのだと分かった。桜火は時々、遠い目をして空を見上げることがある。このままどこか遠くへ行ってしまいそうな、少し切なそうな顔。昔はそんな顔を見ると不安になって、思わず彼の服の袖をつかんでしまったりなんかもしたけれど、今は黙ってそばにいることができるようになった。桜火はどこにもいかないと知っているからだ。
だから僕も桜火と同じように空を見つめた。桜火と同じ景色が見たい気分だった。空を見上げる桜火は、いつもの桜火となんだか違って見える。ずっと見上げていれば、桜火と同じ空が、僕にも見えるようになるだろうか。…なんて、少し感傷的になってしまうほど、暮れなずむ空はきれいだったんだよ。
「行こうか!」
桜火がふいに言った。僕と雨月の目を交互に見つめる。いつもの桜火の目に戻っていた。真顔でいても、どこか笑っているように見える優しい顔。
「ねえ雪斗、少し暗くなってきたね」
歩き始めると、雨月がワクワクを隠しきれない楽しそうな声を出した。
「本当だ。でもまだまだ全然明るいね。冬とは大違いだ。夏も、面白いかも」
僕は雨月の言葉にこう返す。
よく考えてみると、自分でも意外な発言だった。夏も面白いかもなんて感じたのは初めてかもしれない。ただ暑くて、みんなのテンションが高くて、梅雨が過ぎ去った証かのようにやってくる、一年で一番生きにくい季節だったはずの夏。それを面白いかもなんて思わせてくれたのは、他でもない雨月と桜火だと胸を張って言える。まだ、夏休みは始まったばかりだけど。
流れるように落ちたこの言葉が、僕の心にじんわりと広がっていくのを感じた。
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