第37話 伝えなきゃいけないことがあるんだ

 放課後、桜火の家に行くと玄関に見慣れない革靴が置いてあった。27.5センチの桜火の靴と同じくらいの大きさだ。傘屋くもり空のお客さんは靴を脱ぐことはないので、桜火の個人的な来客だろう。

 僕はなるべく音を立てないようにして居間へと向かった。

「あ…」 

 居間の扉を開けて中を覗き、僕はすぐに扉を閉めた。机を挟んで向かい合うようにして、桜火と博さんが対面していたからだ。

 一瞬しか見えなかったが、博さんはスーツに身を包み、背中を丸くしてうなだれているようだった。 

 悪趣味だとわかりつつも、僕は扉に耳を当てて2人の会話に耳を澄ます。

「桜火さん、この前は本当に申し訳ございませんでした」

「いや、頭をあげてください。僕もあの時は感情的になってしまって申し訳なかったです」 

 どうやら博さんは、桜火に謝りに来たようであった。スーツを着ていたのはこのためか。あ、仕事帰りの可能性もあるか。声の様子からして憔悴しているようだ。

 僕は桜火が謝るのを聞いて、胸が痛んだ。なんだろう、家族が謝っているのを聞くのは少し嫌な気分だ。弱い部分が全面に押し出されるようで…

 僕はこれ以上盗み聞きするのはよくないと思って、自分の部屋に向かうことにした。なるべく音を立てないように階段を上る。

 部屋の扉を開けて中に入り、壁に背中を添わせるようにしてそのままへたり込んだ。

 なんとも言えない気分であった。さっき見た博さんが、この前動転した様子でこの家に乗り込んできた博さんや雨月の話で聞いた博さんから、僕が頭の中で構築していたの人物とはかけ離れていたからだ。

 正直、僕は博さんに腹が立っていた。大人の勝手な事情を押し付けるなと言ってやりたかった。雨月には素敵な家族に囲まれていてほしかった。雨月が悲しむようなことを言ったこの人はなのだと思っていた。

 でもさっき見た博さんは、ひどく反省した様子で桜火に謝っていて、とてもとはいえなかった。一面しか見ずに人を決めつけていた自分に気づいて、自分に嫌気がさした。

 ガラガラガラガラ

 玄関の扉が開く音が僕の記憶を刺激する。頭の中に雨に打たれてぼろぼろになった雨月の姿がよぎった。それと同時に、先日心の内を打ち明けてくれた雨月が最後に言った言葉が頭をよぎる。

『ねえ雪斗、私ね、×××××××××××××××××』

 僕の胸に必死にしがみついて、眠ってしまう前に雨月がいった大事なこと。博さんに伝えないといけないような気がした。

 僕は反射的に立ち上がり、階段を駆け下りた。

「え、雪斗くん?帰ってきてたの?」

 桜火がきょとんとした顔をしている。玄関に博さんの姿はない。革靴もない。帰ってしまったか?いや、今なら間に合う。

「え、ちょっと雪斗くん!」

 桜火の困惑する声を背後に聞きながら、僕は玄関を飛び出した。

 少し離れたところにある駐車場から車のエンジンがかかる音がした。

「博さん!」

 僕はまだ駐車したままの車の中に博さんがいることを確認して、精一杯の大きな声を出した。わ、僕こんなに大きな声が出せるのか。

「雪斗くん…かな?」

 車から降りてきた博さんは、肩で息をする僕を不思議そうに見つめた。見つめられて一瞬僕は正気に戻る。思い付きで追いかけてきてしまったけどよかっただろうか。うまく伝えられるだろうか。いや、もうそんなことは考えずに腹をくくろう。

「はい、そうです。博さんにお話したいことがあるんです」

 僕は前置きとかそういうものは全部無視して、こういった。

 エンジンの音が『ここまで来たなら突っ走れー』と言っているように聞こえた。

 

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