第33話 居酒屋くもり空

「雪斗くんいらっしゃい。今日はほうじ茶にする?それともそば茶?白桃緑茶なんておしゃれなのもあるよん」

 傘屋くもり空の玄関を開けると、珍しくエプロンを着た桜火が出迎えてくれた。桜火のエプロンは桜柄だ。

 なんだその『あなた、お風呂にする?ご飯にする?それとも私?』みたいな話し方は。僕と桜火は新婚夫婦か。

「…白桃緑茶」

「りょうかーい」

 桜火はそう言って居間に駆けていった。

 人が何を着ようが自由であるし、それにとやかく言う権利は誰にもなのだが、たぶん世間の32歳のおじさんは桜柄のエプロンを着ないだろう。桜火の持ち物には桜柄の物が多いということもあるだろうが、その桜柄のエプロンを着こなせているのだから桜火はすごい。

「白桃緑茶ご注文入りましたー」

「はいよー」

 居酒屋の店員さんみたいな声で真弓さんが答えた。なんなんだ2人のこのテンションは。というか…

「桜火!まさか料理するつもりじゃないよね⁉」

「うん、そのま・さ・か」

「ぬおーーーー」

 桜火は人差し指を『ま・さ・か』のリズムで左右に振って、ウインクをした。僕は大げさに頭を抱えて見せた。終わりじゃあ。僕の胃は今日で終わりじゃあ。

「雪斗、今日はいつもよりいいリアクションするわね。なにかいいことあった?大丈夫よ。この北条真弓様がつきっきりで指導するから!」

 真弓さんが台所からやってきた。いつもの藤色のエプロン。今日も似合ってる。

「え、そうかな。今日お母さんと作ったのっぺが初めてにしてはうまくいったんだ。それでテンションがいつもより高いのかも」

 僕はそう言って右手の人差し指で鼻の頭を掻いた。

「そうなの。それはよかったわね。そのタッパーに入ってるの?後でお茶と一緒にお皿に盛って部屋までもっていくわね。貸して頂戴」

「ん」

 真弓さんが目を細めた。桜火も『うんうん』と首を上下に動かして首肯している。

 こうやって見ると、2人は本当にお似合いだ。小学生のガキンチョに言われるのは不本意かもしれないが、とっても素敵なカップルに見える。休日に2人でエプロンをつけて料理をするんだろ?僕も将来そんなことがしてみたい。

「雨月ちゃんもう2階にいるよ。雪斗くんのこと待ってる」

「わかった。すぐ行く」

 桜火に促されて、僕は階段を駆け上った。


「失礼しまーす」

 僕は手書きで『202十花の部屋』と書かれた張り紙の張ってある扉をノックした。その張り紙は、紙が劣化して黄色くなっているが、捨ててしまうにはもったいないくらい思い出が詰まっているもののように感じた。

「どうぞー」

 中から雨月の声がして、僕は扉を開けた。雨月がベッドに寄りかかって床にちょこんと座っている。僕もその横に腰かけた。

 しばらくすると真弓さんが、お茶と僕がお母さんと作ったのっぺを持ってきてくれた。

「白桃緑茶の方ー?そば茶の方ー?のっぺここに置いておきますね。ご注文は以上でよろしいでしょうか」

「はーい」

 雨月が居酒屋設定に乗って楽しそうに答えた。もう、放っておこう。ツッコんだら負けな気がするぞ。

「ごゆっくりどうぞー」

 真弓さんはそう言って部屋から出ていった。





「…よし。これであの子たち心置きなくお話できるかしら?私たちは料理に夢中で、部屋にはこないだろうってきっと思ってくれるわよね」

 2階から降りてきた真弓が『ふう』と息をついた。

「そのために『今日は料理がしたい』なんて頼んできたんでしょ?桜火。居酒屋設定も空気を暗くしすぎないため、なんでしょ?」

「真弓は何でもお見通しだなあ」

 くりっとした大きな目で見つめられて、僕は取り繕うことをあきらめた。僕はこの目に弱い。

「まあ、三郎さんを見習ってね」

 僕はそう言って冷蔵庫から玉ねぎを取り出す。

「先生、ご指導ご鞭撻のほどよろしく頼みますよ」

「任せたまえ」

 雪斗くんと雨月ちゃんが、有意義な時間を過ごせますように。

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