第27話 どんなにたくさん願っても4ー雲松桜火、高校3年生ー

 それからいくつもの季節が過ぎ去り、僕は高校3年生になった。

 真弓とは同じ高校に通い、毎日一緒に帰っている。今日も一緒に帰宅し、商店街まで真弓を送ってきたところだ。

 毎日お母さんが作ってくれるお弁当はおいしいし、十花も風花もますます美人になってきて、充実した日々を送っている。お母さんや風花を血がつながってないことを思い出すことなんてほとんどなくなってきて、小学2年生の時に亡くなった実の両親のことを思い出して涙を流すことも無くなった。これでもないくらいにお母さんからは愛情を注いでもらい、僕は幸せ者だとつくづく思う。

 制服のポケットに右手を突っ込むと、高校進学とともに買ってもらった携帯電話が手にあたる。滅多に使うことはないが、家族や真弓と連絡が取りやすくなったのはありがたい。

 傘を叩く激しい雨の音を聞いていると、右手に振動を感じた。

「もしもし…十花?どうしたの?」

 電話の相手は十花であった。用件は何だろうか。突然の雨だったから『傘持ってきて』とか言いそうだな。天気予報は晴れになってたけど、今日は雨が降りそうな気がしてたから、傘持っていきなって言ったのに。

「桜ちゃん!お母さんが、お母さんが!病院に…」

 病院に…病院に…病院に…

 十花の言葉が頭の中でこだまする。十花の言っていることを理解できないまま頭の中を駆け巡った単語が、意味を持って理解された時、僕は全身の血の気が引いていくのを感じた。

「どこに⁉」

「夜刀町北病院…」

「え!そんなに重症なの⁉」

 夜刀町北病院は最新の技術がそろう病院で、主に重症の人が運ばれる。

「うん…今、私も風花も急いで向かっているわ。桜ちゃんも急いで向かって。じゃあ病院で…」

「…うん」

 ツーツーツー

 電話が切れた。




 僕は走る。傘などそこらにおいて。タクシーを探す時間も、家まで自転車を取りに行く時間もない。病院はすぐそこだ。急がないと。急がないと…

「お母さん!」

 僕は勢いよく病院の扉を開ける。

「おか…あ…さん…」

 そこには変わり果てたお母さんが横たわっていた。全身至るところに管や線がつながれている。朝は何ともなかったのに。いつもと変わらず『行ってらっしゃい』とお弁当を渡してくれたのに。

「桜…火…」

 お母さんは青白い顔で僕の名を呼んだ。苦しそうに息をしながら、か細い声で。直感的に、お母さんの命が長くないことが分かった。手が震える。

「やっぱり桜火が一番なのね…」

 お母さんが嬉しそうに目を細める。いつもはその顔を見ると安心するはずなのに、今日は痛々しくて目をそらしてしまいたくなる。

「な、なにかしてほしいことは?」

 僕はとっさに聞く。

「特にないわ…ただ…」

「ただ?」

「桜火がそばにいてくれればそれでいいわ」

「…っ」

 僕は泣きそうになる心を必死でつぶす。今、一番泣きたいのはお母さんだ。僕が泣いてどうする。僕がくらい顔をしたらお母さんはどんな気持ちになる。

「桜火…家に帰ったら、本棚の上に置いてある本を開いてね。手紙が…入っているわ」

 お母さんが消え入りそうな声で言う。もういい。もう話さなくていい。

「お母さん、辛そうだよ。もう、しゃべらなくていいよ。楽にしてて、いいよ」

「フフフ、大丈夫。桜火がいてくれるから、大丈…夫」

 嘘だ。お母さんは噓つきだ。こんなに辛そうじゃないか。

「桜火。十花と風花を…守ってあげてね…」

 いうな。そんなこと言うな。それじゃあまるで最期のお別れみたいだ。

「桜火、大好き」

 やめてくれ。もうこれ以上…

「フフフ、ありがとう」

 握っていたお母さんの手から、力が抜けた。

「おか…お母さん…!!」

 せめて十花と風花が来るまで、待っていてほしかった。

 病院の窓には雨がたたきつけられていて、外は何も見えなかった。閉塞的な空間に、激しい雷の音が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る