第26話 どんなにたくさん願っても3ー雲松桜火、中学2年生ー
それから数年がたった。僕は中学2年生になった。
「桜火~!学校行こー!」
朝から元気な声が聞こえる。
「真弓、待ってー」
北条真弓。パン屋の娘。僕が引っ越してきてから、仲良くしてくれている同い年の女の子だ。
「行ってきます!」
カバンをひっつかみ、僕は玄関へと駆け出す。せわしないいつもの日常。
「あ、桜火!お弁当、お弁当」
「おっと」
お母さんが慌てて追いかけてきた。僕は急いで駆け出した足に、ブレーキをかける。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、お母さん」
最初は本当のお母さんではないのに『お母さん』と呼ぶことをためらっていた僕であったが、7年近くたった今ではもう慣れてしまった。胸を張ってお母さんと呼べる。
「いってらっしゃい!」
母、姉、妹に見送られ、今日も一日が始まった。
「ねえ、桜火」
「何?」
「今日遊びに行ってもいい?本読みたくてさ」
「あ、いいよ。僕も本読む」
こんな他愛のない会話をしていても、飽きない。僕と真弓はそんな関係になっていた。僕たちは学校帰りによくうちで本を読む。お母さんの旦那さんが集めていたという膨大な数の本を、何を話すわけでもなく一緒に読むのだ。
「今日、数学ある?」
信号待ちをしていると、真弓が唐突に聞いてきた。
「うん」
「はあ~、私あの先生ニガテなのよね」
「…僕も」
僕たち2人は頭の中で同じ人物を想像し、顔をゆがめた。真弓は『ニガテ』の部分を、初めて見る単語を発するときのようにカタコトで発してみせた。僕たちの学校の数学の先生は癖が強く、授業もはっきり言って分かりにくい上に、すぐ感情的に怒るので僕も苦手だ。
「まあ、お互い頑張らなくちゃね!」
信号が青に変わり歩き始めると、真弓は一歩僕の前を歩き、少し振り返って笑って見せた。髪が風にたなびき、かすかにいい香りがする。主張の激しくないさりげない香りに、ふと女の子らしさを感じて戸惑う。
「おーい、真弓ー」
信号を渡り終わり、歩道を歩き始めるとバイクの音とともに、一人の老人がやってきた。
「お、桜火くんも一緒か」
「おはようございます」
北条三郎。この人は真弓のおじいちゃんだ。
「ほら、焼き立てのメロンパンだ。真弓も、桜火くんもメロンパン好きだろ?歩き食いするもよし、昼に食べるもよしってことで、俺のおごりだ。ありがたく食えよ!じゃあな」
三郎さんは風のごとくやってきて、風のごとく去っていく。去り際を心得た大人の
余裕を感じる。残された真弓と僕の手には、そんな三郎さんが作ってくれたメロンパンが握られている。
「かっこいいなあ、三郎さん。バイクが本当によく似合うよね」
「わざわざ届けに来てくれたんだから、よっぽどうまく焼けたのよ。自慢したいだけなんだから」
「ハハハ、いいじゃん、メロンパンおいしいんだから。かわいい孫に一番に食べてほしかったんだよ」
「そうかな」
真弓がはにかんで見せた。小学生の時はしなかった表情だ。最近、真弓はますますかわいくなってきているような気がする。真弓といると落ち着くのはもちろん、幸せな気持ちで胸が満たされるのはどうしてだろう。
「おいしいね」
三郎さん自慢のメロンパンを食べながら、僕たちは笑いあった。
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