第22話 一本分の距離

 ぼんやりと、窓にあたる雨の音を聞いていた。

 空に浮かぶ灰色の雲は、昼下がりの教室を暗くするには十分すぎるくらいに重たそうで、外の明かりを補うようにつけられた蛍光灯は、この6-5の教室の輪郭をはっきり外から区別しているようだった。

 こんな色彩の薄いモノクロの世界の中で、僕と雨月だけが目をかがやせている。窓際の列の一番後ろという誰もがうらやむ席に僕は座り、雨月は窓際から3列目、前から3番目の席に座っている。僕の席からは、先生が書き込む算数の問題には目もくれず、窓の外の雨を眺める雨月がよく見える。

「おいおい学級委員長、授業ちゃんと聞かなくていいのかよ」

 僕は心の中でそんなことを思いつつ、彼女の雨を喜ぶ横顔から目が離せなかった。



「雪斗ー!!雨!雨だね、今日も!」

 放課後、下駄箱で靴を履き替えていると雨月が走ってこちらにやってきた。雨月の後ろから、彼女の友達が追いかけてくる。

「今日もくもさんのところ行くよね?一緒にいこー!」

「え⁉」

 急なお誘いに心臓が『トクン』とはねた。雨月はいつも一度家に帰ってから桜火のところに来る。今日は直接向かうのか。2人で…?一緒に行く…?

「と、友達と一緒に帰らなくていいの?」

 僕が尋ねると、雨月はくるりと後ろに振り返って、

「あゆみー、みのりー、今日はおじさん家にそのまま帰るから、今日は一緒に帰れないや。ごめんね!!」

 友達2人に謝った。両手を胸の前で合わせ、小さくなって謝る雨月を見て

「あ、そうなの?残ねーん」

「明日また一緒に帰ろうね」

 友達2人は手を振って帰っていった。雨月はそんな2人の背中を見送って、

「さ、一緒に帰ろう?」

 傘を勢いよく差した。パステルグリーンの傘が、花開く。灰色の景色の中に一つ色が増えた。僕はお気に入りの深緑色の傘を差して、彼女の横に並ぶ。

 細い道で傘を差して並んで歩くのは少し難しく、2人の傘は何度もぶつかった。僕たちの間にできた人一人分くらいのわずかな距離。踏み込みたいけど、踏み込めない。この何とも言えない距離は、まるで僕たちの距離を現しているかのようであった。もっと近づければいいのに。

「ねえ雪斗、ラスク買っていかない?」

 僕が物思いにふけっていると、雨月が不敵に微笑んだ。

「本当は寄り道なんてしたら怒られちゃうけど、真弓さんなら許してくれるよね。先生のばれなきゃ大丈夫だよね!」

 ヒヒヒ、と彼女は魔女のような笑い声を出す。

「学級委員長がそんなことして良いのかなー?さっきも算数の授業の時、雨ばっか見てただろ」

「わ、雪斗見てたのー?大丈夫、大丈夫。先生が見てるときはマジメに授業受けてたから」

「雨月もそんなことするんだね。もっと真面目なのかと思ってたよ」

「みーんなそういう。真面目真面目って。ほめてくれてるんだろうけどさ。真面目ばっかじゃ疲れちゃうでしょ!」

「ハハハ、それもそうだね。寄り道しちゃおうか」

「やったー!」

 雨月が傘を持ってない方の手でガッツポーズをした。その瞬間、


びゅーーーーーーっ バキ


 突風が起こり、雨月の傘からいやな音がした。

「いやーーー!折れた!傘が折れたー!お気に入りだったのに!!」

 雨月の傘の骨組みは、それぞれあらぬ方向にねじ曲がり、無残な姿になっていた。雨月は雨に打たれながら、必死に傘をたたもうとしている。傘が壊れてしまうというのは厄介だ。雨から身を守る術を失うだけでなく、ぐしゃぐしゃになった持ち帰りづらい傘の残骸を抱えて歩かないといけない。たまに見かける道端に打ち捨てられた壊れた傘は、きっと持ち主が面倒くさがって持って帰ってあげなかったものなんだろう。

「雨月、濡れちゃうよ」

 僕は慌てて彼女に傘を傾けた。少しかがんだ彼女が、僕を見上げる。お気に入りの傘が壊れてしまい、悲しそうな目をしていた。眉毛を下げて、口をとがらせている。

「その傘は…残念だったね。後で、桜火と一緒に新しい傘を選ぶといいよ。それと、真弓さんのところでラスクだけじゃなくてクロワッサンを買おうか。雨月お気に入りの。ね、だから元気出して」

 僕がそういうと、雨月はコクッとうなずいて、

「雪斗も一緒に新しい傘選んでね」

 といった。

「もちろん」

 僕はそう言って歩き始める。

 一人分の傘に入り、僕たちの距離は少し近づいたような気がした。

 

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