第19話 お父さんと暮らしてない子はかわいそう?

「…いつも通りだよなあ…」

 新夏小学校6-5の教室の隅で、僕はぼんやり考える。

 教室の中央で友達とトランプをしている彼女は、昨日幸せいっぱいの家族の背中を見つめて遠い目をしていた雨月とは別人だ。思わず見入ってしまうような明るい笑顔をしている。

 いつもと変わらずに心底楽しそうに笑う雨月を見ながらも、僕は言いようのない違和感をぬぐえずにいる。昨日の彼女は、初めて傘屋くもり空に来た日の雨月を思い出させた。忘れかけていたが、彼女には雨の日にずぶぬれになりながらもあの店に助けを求めざるを得ないくらい、大きな悩みを抱えているんだ。その心の影が、昨日の雨月の横顔に垣間見えた気がする。

「家族…の悩みなのかな」

 ふと思い浮かんだ考えにはっとする。…僕と同じ…?

「何か力になりたいんだけどな」

 机に肘を付き、少し歯がゆいことを考えてみる。そして急に恥ずかしくなってきた。

「僕…雨月のことばかり考える…」

 意識してしまうと、恥ずかしさは波のように押し寄せてくる。教室の隅で読書をする僕と、教室の中心で談笑する彼女とでは釣り合わないにも程がある。ぶんぶん。僕は頭を振り、両手で頭を抱えて違うことを考えようとする。

「雪斗」

「何!?」

 急に耳元で雨月の声がした。驚いて振り返ると、雨月も驚いたように目を丸くしていた。

「そんなにびっくりした?今日もくもさんのところいく?」

 雨月が小声で話しかけてくる。雨月の背後に『なんで雨月と雪斗が話してるんだろう?』と言いたげな目でこちらを見ている雨月の友達が見える。

「い、いくよ」

 僕はオロオロして、少し噛んでしまった。…情けない…

「本当?じゃあ今日も放課後会えるね」

 雨月が白い歯を見せて笑いかけてくる。その雨月の顔にドキドキしてしまって、僕は言葉を発せない。

「楽しみにしてる」

 彼女はポカーンとした僕を取り残して去っていった。なんの下心もない、無邪気な笑顔。かわいい、ずるい。僕だけ一人でどぎまぎしている。なんだか傘屋くもり空で会うことが、僕と雨月の2人だけの秘密のような気がして、口元がゆるむ。

「城崎くん」

 僕が百面相していると担任の先生が声をかけてきた。僕は少し身構える。

「はい」

「少しお話いいかな」

 担任の先生はそう言って人気ひとけのない廊下に僕を連れ出した。

 僕はひどく落ち着いた心で担任の次の言葉を待つ。先生が何を言い出そうとしているのか大体想像がついていたからだ。

「最近、おうちはどう?」

 ほら見ろ。僕が思った通りだ。さっきまで雨月のことを考えて高鳴っていた気持ちが、急速に冷えていくのを感じる。僕の顔から表情が消える。

「浮かない顔をしてるわね。やっぱりまだおうちに不安があるの?」

 またか。またこの話をするのか。

 僕はまだ何も言っていないのに、担任の先生はどんどん話を進めていく。僕が浮かない顔をしているように見えるなら、それは間違いだ。僕はただ、分かったような口ぶりで話を進めていく先生に、いい加減嫌気がさしているだけだ。

「大丈夫です」

 僕はそれだけ答えた。

 先生がこうして僕を呼び出すのは、もう4回目くらいであった。僕の家族を心配するとき先生は、『お父さんと一緒に暮らしていないかわいそうな子』として僕を見る。フィルターをかけられているなと小学生の僕でもわかる。

「そう?本当に大丈夫?」

 先生は眉をひそめて僕の顔を覗く。いやな気分だ。

「はい、先生いつも心配してくれてありがとうございます」

 僕がそういうと先生は満足そうに笑って、

「悩んでいるのは城崎くんだけじゃないからね。一緒に頑張りましょうね」

 と言って去っていった。

 先生の後ろ姿を見送りながら、心が暗い気持ちで満たされていくのを感じる。先生はいつもそうだ。『心配している自分』に酔っている感じが否めない。他人と比べて僕の幸せを定義しようとする。僕の家庭環境が、人が描く理想像に届いていないから不幸せだと決めつけている。本当はそうじゃないのに。僕は、どんなにお父さんが恋しくて、お父さんとお母さんに囲まれた家族をうらやんでも、自分が『かわいそうな子』だとは思っていないのに。どうして先生は僕だけの苦しみを、人の苦しみと同化させようとするのだろう。僕みたいに家族に悩みを抱えている子はたくさんいることは分かってるが、この苦しみは僕だけのものなのに。

「早く桜火の家で真弓さんが作ったパンが食べたい」

 僕は一人残された廊下の隅で、教室から洩れてくるにぎやかな声を聴いていた。

 

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