第18話 ないものを見つめて
出来上がったポップはさっそく店内に飾られた。休憩をはさみながら、午前中で作ることができたポップの数は、僕が2枚、雨月が1枚だった。僕も集中すると周りが見えなくなるタイプだが、雨月にもその気質があり、僕たち2人はほとんど会話することなく作業をこなした。
その沈黙はとても心地が良かった。ペンが紙の上を走る音、時計が時間を刻む音。僕が水を飲むときに聞こえるごくごくという音、雨月が時々行う深呼吸の音。そこに言葉がないだけで、僕たちの周りにはいろんな音があって、それらすべての音が僕たちを包んでくれているような気がする。少しオレンジがかった部屋の明かりは温かくて、沈黙の中の作業は気持ちよく進んでいった。
桜火は出来上がったポップを見て、
「僕が作った傘をこんなに素敵に紹介してくれてありがとう」
と目を輝かせて喜んだ。桜火はそのまま居間の隅にあるおばあちゃんのお仏壇の前に座り、ポップを見せながら何やら話していた。
お仏壇の写真に写る僕のおばあちゃんはとても若くて、きれいだ。優しそうに笑う顔が、僕のお母さんそっくりである。桜火が高校生の時に亡くなったらしいので、ずいぶん早いお別れだったと聞いている。その写真に写る女性があまりに若いので、僕は『おばあちゃん』と呼ぶのに少し抵抗がある。桜火は小学2年生の時に実の両親を亡くし、十花さんとともにおばあちゃんに引き取られたらしい。『自慢のお母さんだったんだよ』といつだったか語ってくれた桜火は遠い目をしていた。
「ごめんくださーい」
「はーい」
昼ご飯を食べ終わり、僕と雨月が2人で学校の宿題をしているとお客さんがやってきた。桜火が早足で玄関に向かう。
「子供用の傘が欲しくて」
低い男性の声がした。雨月がぴくっと肩を震わせ、興味津々といった顔で桜火とお客さんの会話に耳を傾ける。
「女の子ですか?男の子ですか?」
「女の子です。かわいいものが大好きなんです」
「それならちょうどいいのがありますよ!今さっき、僕の姪っ子がポップを描いてくれたばかりのかわいい傘が!」
「どれどれ」
扉越しに聞こえる会話ははっきりとは聞き取れなかったが、桜火が雨月がポップで紹介した傘をおすすめしていることは分かった。雨月は隣でそわそわしている。
「ちょっと覗いてくれば?」
「いいかな?仕事の邪魔にならないかな」
「大丈夫だよ」
僕が雨月に声をかけると雨月は嬉しそうに立ち上がり、扉を少し開けて様子をうかがう。僕もその後ろに続いた。
「お、そちらが噂の姪っ子さんですか」
そしてすぐにばれた。
「あ、雨月ちゃん。雪斗くんも。こそこそしてないでこっちにおいで」
桜火が手招きをしてくる。仕事モードの桜火の見ることはあまりないので少し緊張する。
「こんにちは。雨月と言います」
雨月がお客さんに挨拶をした。それを見て僕も慌てて、挨拶をする。
「こんにちは。雪斗です」
そのお客さんは少し目を見開いてから
「とても礼儀正しい姪っ子さん、甥っ子さんですね」
と目を細めた。30代くらいの優し気な男性である。
「そうなんです。自慢の姪と甥なんですよ」
桜火が雨月の頭をなでながらお客さんに紹介する。頭を撫でられた雨月は照れながらも、こぼれる笑みを押さえきれずにいた。大好きな人が自分のことをほめてくれるのはくすぐったいがとても嬉しい。『偉いね。すごいね』と直接褒められるのも嬉しいが、『自慢なんですよ』と人に話してくれるともっと嬉しい。
「お父さーん!かわいい傘あった?」
「あ、ちょっとユリ。待って待って」
玄関から幼い女の子の声がした。その子を追いかけるようなお母さんの声も聞こえる。
「わ!お父さんが持ってる傘かわいい!」
店内にやってきた女の子は、お父さんが持っている傘を見て叫ぶ。そんな女の子を見てお父さんが柔らかくほほえむ。そして口を開き
「この傘、いただけますか」
と桜火に向かっていった。
その言葉を聞いて誰よりも喜んだのは雨月であった。
僕はそんな様子を見て少し心が痛む。女の子のために傘を選ぶお父さんと、喜ぶ女の子。『はしゃぎすぎよ』と女の子をたしなめるお母さんも幸せそうな顔をしている。理想のような家族像。僕にはない家族の形。
家族の形は人それぞれで、僕みたいにお父さんと一緒に暮らしていないおうちもたくさんあることは分かっている。人を羨ましがっても手に入らないものはあるし、理想の家族像ではないからと言って幸せになれないわけじゃない。
でも。それでも。両親に囲まれて全身で喜びを表現する女の子の姿を見て、『自分もそうだったらいいのに』と思ってしまう。『お父さんと暮らしていない子』として僕を見る周囲の目が、憐れみをぬぐい切れないのも事実だ。
だけど、他人と比べて不幸か幸せを定義するのは違うとも思う。僕は、どうしたいんだろう。
「雪斗…?どうかした?」
雨月が僕の顔を覗き込んできた。
「いやなんでもないよ」
とっさに取り繕う。帰っていくお客さんの後ろ姿を見て雨月がつぶやいた。
「うらやましいね」
雨月の言葉を聞いてはっとする。その時の雨月の顔は、おばあちゃんの話をするときの桜火と同じくらい遠い目をしていた。
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