第9話 背中はちょっと痛いけど

「んん〜おいっしい!ふわっふわ!やっぱり焼き立てが一番だよね!」

「雨月ちゃんはいい反応するなぁ!なあ雪斗!」 

 雨月がおいしそうにパンを頰張っているのをみて、三郎さんが嬉しそうに僕の背中を叩く。北条三郎。真弓さんのおじいさんで、北条三郎パン専門店の元店主。今は現役を退き、商店会長をしている。年を取らない若々しい見た目と、豪快な性格。小麦色の肌は、三郎さんの白い歯を際立たせる。御年74歳にして、夜刀商店街随一のモテ男である。商店街を巡回すれば

「三郎さん!お肉買っていきな!安くするわよ」

「さぶちゃん!うちのお店にも来てぇ!」

 商店街のおばさま方から呼び止められてなかなか進めなくなる。そんな時、三郎さんはニカッと笑って白い歯をのぞかせ、

「すまねぇ、今巡回中なんだ。また来るからよ!」

 こんなふうにかっこよくかわすもんだから、ファンはたまらない。

「夜刀商店街って駅の近くの商店街だよね。ここから10分くらいの。あんまり行ったことないからこんなにおいしいパン屋さんがあるなんて知らなかった」

 雨月がクロワッサンの破片を口の端につけて言う。

「いんや、かわいいこというな雨月ちゃんは!なあ雪斗!」

 三郎さんがまた僕の背中を叩く。ちょっと痛いが、嫌ではない。

「雨月ちゃんCMに出れそうだよ」

 桜火が笑う。僕も同感だ。肩より少し伸ばしたサラサラの髪をポニーテールにし、はつらつと笑う姿は目を引く。ぱっちり2重は今日も健在。クロワッサンを大事そうに口に運ぶ手は小さく、爪はきちんと手入れされていて短い。決して色白ではないが、夏にはきっと程よく太陽を浴びる元気な子なのだろうとわかるような肌。見れば見るほどかわいらしい。

「雪斗、食べないの?冷めちゃうよ」

「あ、たべる、たべる」

 僕がいろいろ考えていると、雨月がパンを差し出してくれた。

「んーーー、うま。これ止まらなくなるんだよな」

「そういうと思ってたくさん持ってきたんだ。たべなたべな」

 三郎さんが新しい紙袋を開ける。そこにはクロワッサンだけでなく、他の種類のパンも入っていた。

「あー、ラスクも持ってきてくれたの?僕、ここのラスク小さいときから大好きなんだ。お母さんがいまだに、小さいとき雪斗が泣きだしたらこのラスクを上げれば一発で泣き止んだって言ってくるよ」

「ハハッ、俺のラスクで泣き止むなんて簡単でいいじゃないか。確かによく風花が走って買いに来てたもんだよ」

「にぎやかだなあ…あ、おじいちゃん来てたの?」

 さっきまで口を開けて寝ていた真弓さんが起きてきた。寝起きで開かない目をこすって、あくびをする。真弓さんの目は、まだ光を受け付けたくないらしい。いつもの半分も開いていない。

「来てたのって、真弓がおやつにパン持ってきてって言ったんじゃないか。仕込みが終わったと思ったら、『おじいちゃんあとはよろしく!』って走っていっちまってよ。俺はもう引退したんだ、い・ん・た・い」

 三郎さんが『真弓寝ぼけてんだな』と言って真弓さんの背中を叩く。どうやら背中を叩く行為は、三郎さんの愛情表現に等しいらしい。

「でもおじいちゃんたまにパン作るときは楽しそうじゃん」

 真弓さんが、背中を叩かれて背筋を伸ばす。

「みんながおいしいおいしいって言ってくれるのは、何回聞いてもうれしいからよ」

 ニカッ。三郎さんは細い目をさらに細めて笑った。

 

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