第5話 あなたの話を聞かせてほしい1

「…はっ」

 顔にあたる朝日のまぶしさで目が覚めた。ここは…桜火の家の僕の部屋。夢を見ていた。昔の夢を。初めてここに来た日のこと。昨日はいつ部屋に戻ってきたんだっけ。

「!?」

 記憶をたどろうととりあえずあたりを見渡すと、隣にクラスメイトの河合雨月が寝ていた。

「えー…と…」

 意中の女の子が隣に寝ているという誰もがうらやむ素敵なシチュエーションなはずであるが、僕は混乱していてそんなことを気にする余裕がなかった。僕は昨日のことを思い出そうと試みる。まず、僕のお誕生日会を開いてもらった。それから僕は本を選ぼうと本棚の前に立って…それで…そうだノックが聞こえた。ドアを開くとまあびっくり。そこには同じクラスの雨月ちゃんが!それで…ここからよく思い出せない。ヒントを求めて再びキョロキョロする。そして気づいた。昨日と服が違う。このヒントをきっかけとして、僕はだんだん昨日のことを思い出してきた。


「桜火~雪斗~コーヒー淹れ終わったよ…ってどうしたのその子!びしょびしょじゃない」

 真弓さんが血相を変えて駆け寄ってきた。僕は雨月を抱えたまま何もできずにいた。弱り切ってここまでやってきた雨月の姿をみてひどく混乱している。その姿が数年前の自分を思い出させる。初めてこの家に来た時のこと。そのきっかけとなったお父さんの暴力。

「雪斗!ねえ雪斗!しっかしして。混乱するのは仕方ない。私もしてる。でもまずはこの子をあっためてあげるのが先でしょ」

 真弓さんが僕の両肩をつかんでまっすぐに見つめてきた。こういう時の真弓さんは誰よりも頼りになる。僕ははっとして腕の中の雨月を見た。顔色が悪い。

「桜火、この子を居間まで運んで。雪斗は先に行って床にバスタオルをひいておいて。私は雪斗の部屋から着替えの服を持ってくる」

 真弓さんはてきぱきと指示を出して階段を駆け上がっていった。桜火は軽々と雨月を持ち上げ、僕は急いでお風呂場からバスタオルをあるだけ抱きかかえて持ってきた。思い返せばこの時、真弓さんは雨月を抱きかかえて濡れた僕が、自分の部屋に服を取りに行って、部屋の畳が濡れてしまわないようにということまで考えて指示を出してくれたんだなと思う。居間の床は畳ではない。

 それから真弓さんは雨月を着替えさせた。もちろん僕と桜火は見ていない。着替えさせながら真弓さんは雨月に熱があることに気づき、手際よく看病セットを用意してくれた。僕たちは雨月をとりあえず僕の部屋に運んだ。本当は女の人である真弓さんが看病するのがよかったのだが、真弓さんはどうしても夜のうちに仕込まなければならない商品があるらしく、悔しそうに顔をゆがめて家へ帰っていった。看病は僕と桜火が交代でやることになった。


 看病の途中で寝てしまい、今に至るというわけだ。じゃあ桜火はどこに行った?でも今はそんなことよりも…

「下がってる」

 昨日のことをあらかた思い出した僕は、雨月の額に手を当てて熱が下がったか確かめた。昨日、雨月の苦しみを体現するかのように眉間によっていたしわも今はなく、苦しみから自分を守るようにきつく閉じられていたひとみも今はごく自然に閉じられているだけだ。ここに来る前に泣いたのだろうか、目じりがほのかに赤い。少し開いた口が無防備で、なんとなく守ってあげなきゃと感じた。

「とりあえずは熱が下がってよかったよ」

 僕はつぶやきながら雨月の額のぬるくなったタオルを取った。あいにく冷えピタが切れていたのだ。近所にコンビニはないため、仕方なく冷やタオルでしのぐことにした。僕は氷水の入った桶にタオルを入れて固く絞る。氷がまだ新しい。僕が起きる前に桜火が持ってきたのだろうか。僕の指先が、雨月の目じりと同じ色になる。冷えたタオルを雨月の額に置いた。すると、いきなり冷たくなったことにびっくりしたのだろうか、雨月の肩が揺れた。雨月はゆっくりと目を開け、ぼんやりと天井を見つめた。

「ここは…どこ」

 寝起きで声がかすれている。

「ここは…」

 雨月の問いに対して良い言葉が見つからなかった。なんと説明すればいい?そもそも雨月がなんでここに来たのかも分からないのに。それでもうまい説明を探そうと、とっさに口を開いた僕の方を雨月が見た。

「雪斗⁉」

 雨月は驚きに目を大きく開き、その勢いで起き上がってしまった。

「あああ寝てて寝てて!熱!熱があったんだから寝てて!説明するから寝てて!」

 僕は焦って矢継ぎ早に言葉を発する。かっこ悪い。僕は雨月の肩に手を添えて再び寝るように促す。勢いよく起き上がったせいだろうか、雨月は頭痛がしたようで、頭に手を添えている。

 しばらく無言の時が流れた。気まずい…気まずすぎる。うまく説明しようとすればするほど言葉に詰まる。昨日のことから話すべきか?いや、そもそもなんで僕が傘屋にいるのかってことからか。それより桜火って誰だよってなるか?いや、待てよ?

 朝からいろいろ考えるのは難しい。とりあえず何か話そうと僕は口を開く。

「「あの…」」

 口を開いたのは僕だけではなかった。おずおずとこちらの様子を窺うように雨月も口を開いたのだ。

「ごごごめん。いいよ、雨月から」

「いや、雪斗から…」

 ドンドンドンドン!!

「「何⁉」」

 お互い譲り合っていると、急に激しいノックの音がした。驚いた僕の声はかすかに裏返った。情けない。

「入るよー」

 いつの通りの間の抜けた声がして、桜火が入ってきた。桜火とともにおいしそうなおかゆのにおいが部屋に入ってくる。お米の優しいにおい。

「桜火、あんなに強くノックしなくてもいいじゃないか」

 僕は桜火を少し責める。熱は下がったとはいえ雨月はまだ本調子ではない。寝起きかつ病み上がりの頭には、あのノックの音がさぞかし騒がしく響いただろう。

「ごめんよ。小さめにノックは何回かしたんだけど、聞こえてないみたいだったから」

 桜火はそう言ってにやりと笑う。あ、この人会話聞いてたな。悪趣味な奴だ。

「はい、おかゆをどうぞ」

 桜火はそう言って雨月にお盆ごとおかゆを手渡した。

「いいにおい。ありがとう。くもさん」

 雨月はそう言ってお盆を受け取った。…あれ…今雨月、くもさんっていったのか?雨月は桜火のことを知って…?そういえば昨日、桜火も『また来たね、雨月ちゃん』とかなんとか言ってなかったか?

「なんで、雨月は桜火のこと知ってるんだ?」

 僕は思わず聞いてしまった。

「あれー、いってなかったっけ、僕と雨月ちゃんの関係」

 僕の問いに対して桜火が口を開く。白々しいとぼけたような声。

「聞いてないよ。関係って、何」

 僕は努めて冷静を装う。いつも雨月の話をするように僕にせがむことと

何か関係があるのだろうか。桜火と目があう。僕は半分睨むような目つきになりながら桜火の次の言葉を待った。

「僕たちはね…」

 ぐぅーーーーー

「…へ?」

 僕の耳を通りぬけたのは、期待に反して雨月の盛大なおなかの音だった。

「ああ…ごめんー!おなかすいちゃった…昨日夕飯食べてなくて…恥ずかしい」

 雨月はうつむきながら小声で弁明する。前髪の隙間から見える顔が赤い。

「話はあとにして、雨月ちゃんはおかゆ食べちゃいなよ」

「そうする…」

「雪斗くんの分もあるから一緒に食べな」

「ありがとう」

 僕たちは肩を並べておかゆを食べた。鶏ガラの優しい味。卵はふわふわで、水菜は目に優しい。おかゆは病気の時のイメージが強いが、健康な時に食べてもおいしいんだな。

「おいしい…」

 雨月がぽつりと言う。

「おかしい…」

 僕はつぶやく。どう考えてもおかしい。桜火がこんなにおいしいご飯を作れるはずがない。

「これ、桜火が作ったわけじゃないでしょ」

 僕が言うと桜火はぴくっと体を揺らし、舌を出していった。

「えへへ、ばれた?」

 さっきまで『僕が作ったおかゆおいしい?』と言わんばかりのどや顔で雨月を見つめていたくせに、ばれたとたんにこれである。

「当たり前だろ⁉あの…あの料理大の苦手な桜火が!こんなおいしい料理作れるわけないだろ‼」

「そうね、これを作ったのは私よ」

 開けっ放しになっていたドアから真弓さんが入ってきた。

「真弓さん、仕込みはもう終わったの?」

 僕が尋ねると真弓さんは少し疲れた顔で笑って、

「もちろん!私は仕事がはやいことでも有名なんだから!」

 と胸をたたいて見せた。目の下にクマができている。真弓さんはきっと寝ていない。雨月に気を遣わせないように、努めて疲れを隠そうとしている。だから僕も気づかないふりをして言う。

「だよねー!あの桜火が!こんなおいしいもの作れるはずないよねー。やっぱり真弓さんだったか」

「フフフ、雪斗そこまでにしておいた方がいいんじゃない?卵焼きは黒焦げに、ごはんはべちょべちょに、みそ汁は透明にしちゃう桜火がかわいそうでしょ?」

 真弓さんがいつものお返しだとばかりににやにやして桜火を見る。桜火は顔をぷくっと膨らませて

「もう!雪斗くんも真弓もそこまでいうことないじゃないか。作れるわけないとかさらっといってくれちゃってさ。真弓もかわいそうなんて思ってないくせにーまあ料理苦手なのは事実…」

「あの…」

 桜火の話を遮るようにして、雨月が申し訳なさそうに手を挙げた。

「話が全く見えないんですけど…」

「「「あ…」」」

 雨月のことをすっかり忘れていた僕らは、同時に我に返った。


「…と、いうわけです」

 僕は雨月に真弓さんの説明と、桜火の料理の失敗談を一通り話した。雨月は神妙な面持ちで

「なるほど…料理って、怖いね…」

 と言葉を漏らした。雨月のこのセリフからすべてを悟ってほしい。雨月にこんなセリフを吐かせてしまうほど桜火の料理は…すごいんだ。

「えへへへへへ」

 当の本人は、顔を赤らめ、頭をかいている。いや、ほめてないから。

「そうだ。桜火、雨月。2人の関係をそろそろ教えてよ」

 おかゆを食べ終え、和やかな空気が流れだしたところで、僕は話を切り出した。

「あ、うん…分かった」

 桜火は先ほどとは打って変わって真剣な表情になった。こんな顔を桜火がするのは珍しい。もしかして、気軽に聞けるほど簡単な話じゃないのか?

「僕と雪斗くんのお母さん、風花ふうかは兄弟だ。でも血がつながってないのは知ってるよね?」

 この言葉から始まった桜火の話は、想像よりもはるかに大きく、僕は受け止めるのに苦労することになるのだった。

 

 

 



 

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