七
スッカリ真ッ暗であった。海面というものは何処か遠い世界の話で、光は届くのを諦め、無限の闇が重たく
……随分と深い処まで来てしまった……。
何処までも
そうして暫く真暗闇を適当に彷徨っていると、俄に辺りが少々明るくなったように思われた。蒼白いような光が身の周りにじわじわと満ちている……。コンナ処で、一体何の光かしらん……と其処いらを見回してみたが、しかし何も見当らない。如何とも仕様がないので、妙な明るさを訝しみつつまた少しフラフラ漂って行く。すると、前方幾らかの暗中、
……ヤッパリそうだ、あの光に相違ない……しかしあの光の球は一体何だろう……。
やがて光球はもうすぐ目の前というところで、その後方に何やら黒く丸っこい影がボンヤリ浮かび上った。そうしてだんだんと、それは蒼白く明らかになってゆく……。
僕は絶句した。
目の前に現れたのは、大きな口であった。その上下には
……喰われるッ……。
咄嗟にそう思った僕は、逃げようと急いで身体を反転しかけたが、
「あ、待って……」
恐ろしい口からは想像もつかぬような優しい声に呼び止められて……此処で莫迦正直に応えてしまえば忽ち胃袋の中だと頭では解っていながら……僕はツイ止まってしまった。
いけないッ……と思いつつもスッカリ竦み上ってしまったらしく、尾鰭を向けたまま金縛りのように動くことが出来なかった。
……最早これまでか……。
視界の端には、尖い歯列が迫っていた……。
「あのう……大丈夫ですか……」
「た、食べるなら早くしてください……」
「エッ……何を……」
「ぼ、僕しか居ないじゃあないですか……」
「エエッ……食べませんよ……」
「……え」
僕は思わず向き直った。その魚は頭から蒼白い光球を吊り下げ、大きな口にはやはり尖い歯が幾つも並んでいる。それは初め目にした時と何も変わらないが、しかし今、僕は少しも恐ろしさを覚えなかった。一体何を恐れていたのだろう……。替わりに僕は甚く恥入った。
「……あの、スミマセン、何でもないです……えっと……」
「チョウチンアンコウですわ。初めまして。貴方は……」
「僕は……名前も無い、ただの
「あら……そうですか、旅魚さん……。お逢い出来て嬉しいですわ。こんな
「そうですね……エ、光るもの……?」
「ええ……旅魚さんの身体、光っているでしょう……」
僕はハッとして、思い切り捻って自分の身体を見た。すると確かに鱗が蒼白く光っている。此処で漸く気が付いた。……あの妙な光は、自分の……。
「若しかして、お気付きでなかったのかしら……オホホ……」
提灯を揺らしながら、慎ましやかに彼女は笑っていた。僕はまた恥ずかしくなった。
それから、向うに面白いモノが在ると言うので、コンナ深海に在る面白いモノとは一体何かしらんと大変興趣をそそられて、提灯の明かりの下、案内に随って行った。
そうして、やがてソレは深海の闇の中に
静かに、高々と聳え佇む、巨大な何か……。
「これは……」
「ハコフグ博士の言うには、フネというものだそうです。なんでも、陸上に棲むニンゲンが水上を移動するのに使うんだとか……」
「ハコフグ博士が……へェ、ニンゲンの……」
「結構昔から此処に在るみたいですけれど……これ、底に垂直に突刺さってるんですよ。ネ、面白いでしょう……」
言われて下の方を見下してみると、なるほど確かに底に深く突刺さっていた。突出した部分は全体のどれくらいか知れないが、下にもまだ大分あるように思われた。
「これを見ていると、何だか不思議な気持になるんですよね。空しいような……切ないような……」
僕もウスウスと感じていた。どういった訳か分らぬが沈められ、やがてこの暗い海の底に落ち着き、久しく独り天を仰ぎ見朽ちゆくその
「……ところで、ハコフグ博士は
「サア……方々を飛び回っているみたいですから……」
僕たちは暫く、ただ静かに天を衝くその影を見上げていた。
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