第六章 夢から覚めても ―理由―


 連れて行かれたのは教材室ではなく、図書室の書庫だった。

「すまない。図書委員の仕事があるんだ。それをしながらになってしまうんだが」

 言いつつ、ラビは本の整理をし始めた。

「あ、あの、ええと、先輩」

 何と言おうか迷っている琢斗に、ラビがぼそりと言った。

「山本恭介だ」

「え?」

「俺の名前だ。有馬はもう、ハッターが聡司だと知っているんだろう? だったら俺の名前がばれたって問題ない。

 そもそも、あの愛称で呼び合うルールはただの方便だ」

「方便?」

「ああ。お前に『ハッター』が『聡司』だと、気がつかせない為の。

 正確に言えば、時間稼ぎだ。菜緒と有馬が、それなりに仲良くなる為のな」

 成程、そういうことか。

 仮入部届けを出した時点で『ハッター』が菜緒の兄、『白井聡司』と分かってしまっていたら、確かにああいう展開にはなりづらかっただろう。

(というより、そもそも女装している男子生徒が部長なんて、仮入部でも考えたよな)

 と、そこで思い当たった。

「じゃあ、まさかあの女装も、お兄さんだと気付かれない為のカモフラージュですか?」

 しかしそれについては、ばっさりと否定がきた。

「いや、あれは聡司の趣味の一環だ」

 趣味? 女装が?

(あの先輩達が言っていたのは、これのことか!)

 嫌な確認がすんでしまったところで、ラビ、いや恭介がおもむろに尋ねた。

「有馬、前に俺がトリックの話をしたのを覚えているか?」

「あ、はい。どんなマジックにもトリックがあるって」

「そうだ。どんな現象にもそれに至る経緯がある」

 恭介はまるで言葉を選ぶように、躊躇うように、ゆっくりと話した。

「一面からは魔法のように見えても、もう一方では、ちゃんとしたカラクリがあるんだ」

「それは、何かの喩えですか?」

 慶介は琢斗のそれには答えなかった。かわりに自問自答のような、何かを―自分の中で―確認するかのような、そんな台詞が返ってきた。

「聡司は絶対に自分から明かさないだろうし、菜緒にそこまでの勇気はないだろう。

 けど、俺はこのままお前が『兎の巣穴』から去るのが不満だ」

 琢斗は首を傾げた。

「何の話です?」

 本を棚にもどし終わった恭介が琢斗に向き直った。

「俺達が奇術クラブを作った理由をお前に教えようと思う」

「…………………理由?」

 琢斗には分からなかった。

(どうして今、そんな話を?)

 そもそも奇術クラブは『白井聡司』が作ったクラブだ。それも中学で好成績を収めていた剣道を辞めてまで。

 だが彼が『ハッター』であると知ってしまっている琢斗は、ただ単に、このふざけた部活を作りたかっただけのように思えてならなかった。

 しかし、恭介が語りだしたのは、『白井聡司』とは別の人物のことだった。

「有馬、お前はラットが、いや、あいつの名前は香坂柚葉というんだが、何故『ラット』と名乗っているか、分かるか?」

 ハッターはイカレ帽子屋で、ラビは三月ウサギ。ラットは――――――眠りネズミ?

 でも彼の問いかけの意味は分からない。あれは彼女のよく居眠りをする様子からつけられた愛称ではないのか?

「ラット、柚葉の、あの眠りはな―――――――睡眠障害、病気だ」

「え?」

 病気? 天然ぽややん風な、あの先輩が?

 というか、もしそれが本当なら。

(あのぼんやりは、まさか病気で!?)

 その事実に琢斗は驚愕した。

 だって、今の今まで、そんなこと思いつきもしなかったのだ。琢斗はあれが彼女のキャラクターなのだと、思い込んでいた。

「俺と聡司と柚葉は幼馴染だ。もちろん、菜緒も」

 ぽつぽつと語る恭介の表情は相変わらず無表情だが、大事なことを話してくれていることはさすがに分かる。

「柚葉がああなったのは、中学二年生の時だった。あいつの母親が亡くなって」

「ッ先輩!」

 思わず琢斗は遮るように声を上げた。だって、そんな大事なことを。

 すると彼の表情がふっと緩んだ。

「大丈夫だ。柚葉には許可をもらっている」

 彼も緊張していたのだろうか、ふぅと息を吐いた。

「というより、柚葉が話してくれと俺に頼んできた」

「何で、そんな」

 傷を見せるような話を明かしてまで。

 困惑するしかない琢斗に、恭介は淡々と言った。

「柚葉は菜緒が好きだからな。お前と上手くいってほしいんだと思う。

 それにきっと…………………有馬、お前自身のことも、柚葉は気に入っているんだ」

 じっと自分を見つめるその目に、琢斗は何も言えなくなった。

「聡司は柚葉の為になることは何でもやると誓った。もちろん、俺も賛同した。

 柚葉はほとんど笑わなくなってた。聡司はいつだって苦しんでた。俺はそんな二人を見ているしかできなかった」

 慶介はそこで少し目を細めた。

「でも―――――聡司は諦めなかった。柚葉を笑わせようと必死になった」

 特有の微笑みを浮かべながら、彼は遠い目をした。

「聡司は本当に頭がよくて何でもできるヤツだったし、何より諦めが悪かった。

 ありとあらゆる手を使って、柚葉は高校に通えるまでに持ち直した。でも聡司は満足しなかったんだな。

 というより、怖いんだろう。柚葉を笑わせていないと、また寝たままになるんじゃないかって」

 だから彼は奇術クラブを、『兎の巣穴』を作った。

 琢斗は思い知った。『白井聡司』が、どんな人物なのか。

(あのひとは、イカレてなんか、いない)

 物事は見え方によって意味が違ってくる。一方からは魔法のように見えても、一方からはきちんとした理屈がある。

 そういうことなんだ。

 『白井聡司』というひとは、イカレているわけでも、ふざけているわけでもなくて。

 ただ必死で努力し、守っていただけだったのだ。

 幼馴染みが笑っていられるように。彼女の居場所があるように。そして、きっと妹のことも同様に。

 恐ろしく冷静に、粘り強く、目的を果たす為に行動している。


『ボクはいつだって、最良と思えることをやっている』


 彼の言葉に偽りはない。

 巧妙に嘘に紛れ込ませた、真実と本音。曖昧なようで、はっきりとした、その原理に。

 成績優秀、文武両道、完璧人間。琢斗は改めてその羅列された言葉達を、真の意味で理解することができた。

「柚葉が『ラット』を名乗っているのは皮肉のつもりだ。

 自分が眠るのは習性ではなくて、狂っている所為。自分は薬漬けのラットなんだと」

「そんな意味が」

 確かにネズミならば『マウス』でもいい。わざわざ『ラット』を名乗っていた意味も、きちんとあったのだ。

(だとするなら、やっぱり奇術クラブにとって『不思議の国のアリス』は重要なものなのか?)

 琢斗は恭介に尋ねた。

「あの、先輩達にとって『アリス』って、何なんです?」

「ん?」

「あ、いや、特別なお話なのかな、と思ったんですが」

 恭介はふっと小さく息を吐き出して、苦笑いのようなものを浮かべた。

 失笑だったのかもしれない。

「前に柚葉を笑わそうと、聡司と劇をやった。

 聡司が青いワンピースを着て、俺が登場人物に次々と変わる、雑くて、どうしようもなくバカげたヤツだ。

 柚葉が『不思議の国のアリス』を好きだったからって、ただそれだけだった。でも、そしたら、笑ったんだ、柚葉が」

 笑わなくなった幼馴染みを、睡眠障害まで患うようになってしまった彼女を笑わせたい一心で、二人は『不思議の国のアリス』を演じたに違いない。

 きっと、それが始まり。

 馬鹿馬鹿しいほど滑稽で、必死で、真剣で――――――笑ってしまうような。そんなものが必要で。

(あぁ、奇術クラブは―――――『兎の巣穴』は、その為にあるのか)

 見えていなかった一方の角度が『馬鹿げて見えること』に、違った意味を教えてくれる。

 恭介は補足するように琢斗に教えた。

「柚葉はあれで、ずいぶんマシになってきているんだ。聡司の努力のおかげでな。

 自虐することも少なくなってきたし。よく歌うようになったしな」

 琢斗もそれには心当たりがあった。

 彼女の歌は綺麗で伸びやかで。歌っている本人も気持ち良さそうなものだったから。

「それ、俺も聞いたことがあります。『この道』って歌だって、教えてもらいました」

 恭介はちょっと驚いたようだったが、それからまたふっと目を細めた。

「そうか、お前は本当に柚葉に気に入られているんだな。

 その歌は――――――柚葉の母親が、よく歌っていた歌だ」

 あの切なく美しい歌声は、彼女が乗り越えてきたものの証だったのか。

 自分に与えられていた時間が、知らなかった意味を伴って、琢斗に押し寄せてくる。

 そんな琢斗を見つめ、恭介は小さく呟いた。

「ああ、そうだな。俺も気に入っている、か」

「先輩?」

 彼は相変わらず淡々とした口調だった。

「聡司は絶対に言わないだろうし、菜緒は言えないし、柚葉は言える状態じゃあないから、これを言うのは俺の役目なんだろう」

 だが真っ直ぐと、琢斗の心に響くその言葉を言った。

「有馬、俺達はお前に『兎の巣穴』にいて欲しいと思っている」

 琢斗は目を見開いた。

 そんな風に言ってもらえるなんて思っていなかった。だって共有した時間は短い。そして琢斗はあまりに浅はかだった。

 欺かれていたその事実だけに腹を立て、菜緒の気持ちに気付くこともなく、ハッターやラット、ラビの大切にしてきたものに、土足で上がりこむようなマネをした。

(嬉しい、けど………………俺は、)

 全てを知った上で、この人達と向き合えるだろうか。

 その資格が、あるのだろうか。何より。

「でも――――――俺は白井さんの気持ちに、応えられないって思ってます」

 恭介がそれに頷いた。

「分かっている。菜緒のことを考えて、お前が奇術クラブを辞めようとしていることは」

 しかし彼はそのまま続けた。

「でも、菜緒の告白と、奇術クラブへの入部は、別の話だと俺は思う」

 琢斗ははっとした。

 別の話、なのだろうか、それは。別の事としてとらえても、いいんだろうか。

 揺らぐ琢斗の瞳に恭介は指摘した。

「菜緒はお前が好きで、ああいうことをした。それについて、有馬、お前はもう答えを出したんだろう。

 だが、奇術クラブに関しては、お前はまだ答えを出していないんじゃないか?」

 途切れてしまった糸を、その先を、探してもいいのだろうか?

 琢斗は泣きたいような気持ちになった。

 どうしてかなんて分からない。でも胸が熱かった。

 叫びたい様な、走り出したい様な、何かがお腹から喉まで駆け上がってきた。

「有馬、見え方によって答えが違うのは、もう分かっただろう。

 今のお前に、奇術クラブが、『兎の巣穴』が、俺達がどう見えている? そして――――――お前はどうしたいと思う」

 投げかけられた問いが、心に波紋を波立たせながら深いところまで落ちていく。

「よく考えてみてくれ」

 恭介は低い声でそう言って書庫から出て行った。

 残された琢斗は薄暗いそのなかで、ぼんやりと今までのことを思い返していた。







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