第五章 裁きは誰がするものぞ ―多角的視野―
琢斗は今日も西階段を上っていた。これはもう放課後の日課だ。
その途中で琢斗は鋭い声に呼び止められた。
「そこのアンタ!」
攻撃的な響きの、その声に琢斗はびくりと肩をすくめる。
「な、なんでしょう?」
振り向くと、きゃしゃな―だが目つきは鋭い―女子生徒が仁王立ちをしていた。ネクタイの色が緑だから三年生の先輩だろう。
だが、何故呼び止められたのかが分からない。困ってしまった琢斗をキッと睨み、彼女が尋ねてきた。
「アンタ、奇術クラブのコよね?」
「あ、はい、一応」
おっかなびっくり頷くと、彼女は心底忌々しそうに言葉を続けた。
「部長の白井聡司に伝えときなさい。ウチの部員を使って妙なことをするのはよせって」
「あ、あの、話がよく分からないんですが」
というより、自分はまだちゃんと、部長に会えてすらいないんですが。なんて言い訳はさせてもらえなかった。
彼女が甲高い声で喋り倒したからだ。
「まったく! 奇術クラブのせいで、生徒会長からは文句言われるわ、部員は言うこと聞かないわ、作品は仕上がんないわ! 散々なのよ!!」
え、関係ないのが混じってる気がするんですけど。
だがそんなこと、口を挟めないスピードで、彼女は喋る、喋る。まさに小鳥のごとくだ。
「いい!? 今後! 一切! ぜっっったいにっ!!
ウチの部をアンタのトコの揉め事に巻き込まないでちょうだい!! わかったわね!!」
そして彼女は琢斗が返事をする前にさっさといってしまった。
(いったい、何だったんだ)
呆然とする琢斗の後ろから、聞きなれたふざけた声が聞こえてきた。
「やれやれ、とんだトバッチリをうけたものだね、アリス」
「…………………誰の所為でしょうね?」
「それは、あれだね、部長の所為だ」
どこ吹く風と知らん顔をしているハッターに琢斗は溜息を吐いた。
「どうせ原因は貴方でしょう」
そうとしか考えられず、琢斗はハッターを睨んだ。
「いったい何をしたんです?
美術部なんて、奇術クラブと関わりなんかなさそうな部活なのに」
するとハッターはしれっと言った。
「ああ、こないだの二ノ宮金次郎像の薪を作ってもらったのだよ」
やっぱり貴方が原因なんじゃないですかっ!
そう言いたいのをぐっと堪え、琢斗は辛抱強く続けた。
「奇術クラブのモットーは十分理解しましたから、人を巻き込むのはやめましょうか」
が、ハッターはそんな琢斗をちらりと見て「やれやれ」と首を振る。
「キミの理解はまだまだ浅いな、アリス。
我々『兎の巣穴』は人を巻き込むことにこそ、意義があるのだ。人を巻き込まないマジックなぞ、なんの意味がある? そんなものは無価値だ。
人を魅了し、巻き込み、バカ騒ぎを起こすことこそ、奇術クラブのあるべき姿なのだよ!」
だから、それが人の恨みを買う根本なのだと言っているんですがっっ!
そんなことを聞く気はないだろうことは、よくよくよぉく、分かった。というか、今更、琢斗が苦言をていしたって無駄だろう。
「分かりました。分かりましたから、今の、部長さんに言っておいてくださいね」
どうせ怒られるのはハッターなのだし、手間が省けて良いというものだろう。
投げやりに言った琢斗に、しかしハッターは首を傾げやがった。
「おや、伝言を頼まれたのはキミだと思ったんだが?」
だから、いったい誰の所為であんな風に糾弾されるハメになったと。
もう怒るより疲れを感じて、琢斗はぐったりとしてしまう。
「僕はまだ、部長さんにきちんと会ったことがなくてですね」
そこではたと思い当たり、琢斗はハッターに聞いてみた。
「ええと、ハッターは部長の『白井聡司』先輩を知ってるんですよね?」
すると当然の答えが返ってきた。
「当たり前だ。何を寝とぼけたことを言っているのかね」
「それは、そうですよね。でも、全然部活に顔を出さないし。どういう人なんですか?」
聞かれたハッターは、あまり見せない、何だか困ったような微妙な顔をした。
「どうって……………まあ、変わり者と言われているな」
このハッターに変わり者呼ばわりされるとは。ますます『白井聡司』という人が分からない。
そんな琢斗にハッターは「しかたがないな」と小さく肩をすくめた。
「そういうことなら、伝えておくよ。まあ、伝えても伝えなくても、同じことだがね」
そしてハッターはすたすたと階段を上り始めたので、琢斗もその後に続いた。
そうしてしばらく黙って階段を上っていたハッターだったのだが、急に何かを思いついたように人差し指をぴんっと立てた。
あ、これはいつものヤツだ。琢斗が思った瞬間、ハッターが足を止め、上からちらりと琢斗を見下ろしながら、いかにも芝居がかったように問いかけた。
「そうそう、アリス、『一日に二回あって、一年に一回しかないもの』、なーんだ?」
「またクイズですか」
げんなりする琢斗を、ハッターはあのにやにや笑いで挑発した。
「キミは分からないときたら、すぐに降参するのだな。それでは進歩がないぞ」
これにはカチンときた。というか、図星だったから自棄になった、というほうが正しい。
「いいでしょう。楽しんで、解いてみせますよ」
そして琢斗はハッターの言った言葉を反芻しながら考える。
(一日に二回、一年に一回)
だがそんなこと、通常なら不可能だ。
(おそらく、イベントとかでは、ない)
そうであったのなら、そもそもが矛盾している。
だが、これはロジック。論理的な答えのあるもの。
琢斗は慎重に口を開いた。
「その、一回、二回、という数え方には、意味がありますか?」
ハッターの目がすぅっと細くなる。面白がっているのだ。
「ふふっ、イイ線を突いているね。
ああ、でもねアリス、意味のないことなんて、この世には何一つないんだよ?」
ハッターの戯言はスルーして、琢斗は答えに近づいたらしいことを察した。
(そう、行う回数ではない。だとしたら、何の回数だ?)
一日に二回、一年に一回?
(時間? 数……………漢字? …………………………あ!)
もしかしたら、というか。
それしかない! という閃きが頭の中でカチリと光を放った。
「答えは――――――『ち』です」
ハッターはにやりとした、あの笑い顔を琢斗にむけた。
「正解」
そしてパチパチという軽い拍手をする。
「ひらがなで考えれば『いちにち』には二回、『いちねん』には一回、『ち』が使われている。流石はアリス。御名答だ」
張り詰めたものを吐き出すように琢斗は息を吐いた。
「けっこう難しかったですよ。ヒントがなかったら、分からなかったです」
安堵とは違うけれど、どこかほっとしたような、達成感にも似ている気持ちで、琢斗は問題を思い返した。
この問題の難しさは先入観だろう。『一日』と『一年』、そして『~回ある』という言葉に囚われすぎてしまっては導き出せない。
見事その問題を解き明かした琢斗に、ハッターは笑いながら付け加えた。
「アリス、覚えておくといいよ。物事というのは、二重、いや何重にも意味を持つ。
それぞれの角度から見れば、まったく違う意味になるってことを、ね」
ハッターの言うことはいつも、教訓めいているようにも、まったくふざけているようにも聞こえる。いつだって芝居めいている、この人の言動は。
けれど琢斗は、この時は頷いた。
「はい。覚えておきます」
ハッターはちょっと目を見張って琢斗を見た。
「おや? 今日はえらく素直だね?」
「たまには、貴方の言うことも真面目に聞こうかな、と思いまして」
「ふふっ、キミもやっとボクのすごさを認識してきたかい?
いいだろう! かしずいて拝聴するといいよ!!」
真面目に聞こうと思ったとたんにこれか。
「はいはいはいはい。ありがとうございます。もう十分です」
「おやおや? アリス、話はまだまだこれからだぞ?」
「はいはいはいはいはい。もういいです。もう、けっこうです」
「おやおやおやぁ? アリス、ボクの言うことを聞くんじゃあないのかね?」
とまぁ、後は馬鹿げた会話を繰り返し、ハッターと琢斗はいつもの教材室へと歩いていったのだった。
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