第四章 ハートのクイーンとハートのキング ―イカサマ―


 生徒会との追いかけっこがあった為か、『本日の奇術クラブの活動は中止』という連絡を菜緒から聞いて、琢斗は―ようやくというか―再び図書室を訪れることができた。

 だが厄介な人物に見つかってしまった。

「あらぁ? アリスだ」

 にっこりと小悪魔的な笑顔でこちらをのぞきこんできたのは、ハッターにチシャネコ愛称をつけられていた、あの先輩だ。

「ど、どうも」

 嫌いにはなれないけれど、苦手な部類の女性ではある。そして相手はそれを分かっていて、あえて近づいてきているような。

 彼女はすり寄るようにして琢斗の隣に並んだ。

「ね、どう? 『兎の巣穴』は。楽し?」

「え………っと、どうでしょう。退屈はしてませんが」

「そっかぁ。よかったねぇ。

 あぁ、でもそしたら、文芸部には入ってくれないのかなぁ?」

「それは、まだ考え中でして」

「そうなんだぁ。なら、誘惑しちゃおっかなぁ~?」

 彼女はじぃっと琢斗を覗き込み、小さく首を傾げる。

「でもぉ、キミも『兎の巣穴』にいるってことは、あれかな? ワケあり?

 それとも、白井君のファン? ってことはなさそうねぇ」

 どういう意味だろう。白井聡司のファンで入部、というのは何となく分かるけれど。

(ワケありって、『兎の巣穴』のメンバーが?)

 ハッターはともかくとして、ラビとラットもそうなのだろうか。

 聞きたいところだったが、この人に聞くと後から別のことを要求されそうで怖い。

 彼女はむぅと考え込むように手を口元にやり、琢斗を眺めた。

「う~ん、でもキミも、なぁんか持ってそうなのよね」

「僕は何もないですよ!」

 慌てて言う琢斗に、彼女はにやにやと含みのある笑みを浮かべた。

「そうかなぁ? ほんとに? キミ自身が気付いていないだけで、あるのかもよ?」

 まさしく、チシャネコの愛称に相応しい顔で、彼女は楽しげに言った。

「まあ、どうせ皆、同じ穴のムジナってことよねぇ~」

「………………どういう意味です?」

「どういう意味だと思う?」

 じりじりと近寄ってくる彼女に、琢斗は後ずさりをする。

 前回もこんなこと、なかったか?

(でもって前は、確か――――――)

 琢斗が思い出すよりも早く、あの時とまったく同じように声が割り込んだ。

「ウチの部員を誘惑するのはやめてくれないかな? チシャネコ」

 振り返るまでもない。ハッターだ。

 彼女は肩をすくめて、すっと琢斗から離れた。

「べっつにぃ、そういうつもりじゃないけどぉー」

 そしてまたじーっと琢斗を見つめて、それから口角を上げた。

「興味はあるんだぁ♪」

 ああ、でもその笑い方には見覚えがあるぞ。

 それは、あれだ。ハッターの悪巧みしている時の顔と同じだ!

「ねぇ、ねぇ、このコ、文芸部にも貸してくれなぁい? きっと面白いと思うの。それに、そのコだってまんざらでもないんでしょ?」

 彼女の言葉に、ハッターは興味深そうに琢斗に尋ねた。

「そうなのかね? アリス」

「あ、はい。オレはもともと文芸部に入るつもりでいましたし」

 するとハッターの目がきらりと光った。

「ほう。ではキミはストーリーテラーなのだな。素晴しい」

 その素直な感嘆は、琢斗の夢を肯定してくれたような、そんな響きもあった。

 けれど次の瞬間、ハッターはきっぱりと言った。

「だが、しかし! 今はダメだ。キミは仮とはいえ奇術クラブの一員であるのだからね」

 他の部活への入部は認めない、と。

 そうともとれる発言だったが。

(今は?)

 言葉のあやだろうか。まるで、しばらくしたら辞めてもいい、というようなニュアンスを含んでいることに琢斗は引っ掛かりを覚えた。

 何だろう、このもやもやは。小さな何かが、綻びのように空いていくような。

「そういうわけで、チシャネコ、アリスは貸してあげられない」

「えー、ケチ」

「なんとでも。第一、利己主義なのはお互い様ではないのかね?」

「これでも私は協調性を大事にしてますぅ。どっかの誰かさんとは違ってぇ」

「ほう、面白いことを。キミが協調性なんて言葉を知っていたとは」

「なにをぉ~~~~~」

 琢斗をよそに二人の言い争いはヒートアップしていた。

 が、どうもチシャネコの分が悪いらしく、彼女は口をつんと尖らせ悔しそうに言った。

「もぉ~~~~、しょうがないなぁ。今回は退いてあげるけどぉ。あぁ、でも、本気で文芸部に入りたくなったら、いつでもきていいからねぇ~~~」

 それで話はついたようだ。

「さて、では行こうか、アリス」

 手を振りながら「ばいばーい」と言うチシャネコに背を向け、ハッターは歩き出す。

 言われた琢斗は、今回こそは本を借りることを忘れずに、図書室を出た。

 図書館を出た先の廊下で、ハッターが琢斗を待つように佇んでいた。そしてふいに琢斗に尋ねる。

「ときにアリス、キミは猫と兎、どちらが好きかね?」

 いきなりの奇妙な質問に琢斗は戸惑った。

「は? え? ええと、どちらかといえば……………猫、かな?」

「ほう」

 ハッターは琢斗の答えに少し思案顔をした。

「兎は好みではない、か」

 それが妙に残念そうな響きだったので、琢斗は慌てて付け加えた。

「ああ、でも、飼うっていうなら兎かもしれません。猫は見ているほうがいいっていうか。兎のほうが癒されそうだし」

 ハッターの瞳がすうっと細くなった。

「成程。遊ぶのなら猫、傍に置くなら兎、というわけか。それでは、まだ希望はあるかな」

「なんの話です?」

「こちらの話だ」

 ハッターはそう言って、くるりと琢斗に背を向け歩いていってしまう。

 琢斗は自然とその後ろについていくように歩き出した。

「そう言えば、聞きましたよ、飯塚先生から。

 生徒会長に賭け事をふっかけて、イカサマで勝ったそうですね?」

 前を行くハッターにそう問いかければ、あっさりとそれを認めた。

「ああ。うん。カードゲームでね。

 トランプの、クローバーとダイヤとスペードとハートのエースを袋に入れて、最初に出てくるカードが赤か黒かを賭けたのさ」

「で、勝ったと。それもイカサマで」

 ハッターはくすくすと笑った。

「単純だからね、あの会長は。

 ダイヤとハートのトランプには縁に傷をつけてあったんだけど、気付かなかったみたいだ」

 そうか、傷無しは黒、傷有りが赤だと分かっていれば、あとは賭けた方の色のカードを取り出すだけだ。

「完全にイカサマですね」

「でも勝ちは勝ちだ。それに、もう証拠はないしね」

 琢斗は呆れたように呟いた。

「何がしたいんですか、貴方は」

 琢斗の言葉にハッターが足を止めた。

 そしてちらりと琢斗に視線を向けて肩をすくめる。

「アリス、人によって出来事の善悪は変わってくる。それは分かるだろう?

 ボクにとって、これが最良と思えるものでも、別の人にとってはそうじゃない」

 言っていることはとても真面目なものだ。

 でもハッターの表情は、どこまでも不敵で、おちゃらけている。

「もう分かってますよ。貴方にとっての『楽しいこと』は、誰かにとっての迷惑ってことですね」

 溜息混じりに言えば、ハッターはくるりと身をひるがえし、にやにやとしたいつもの笑いを浮かべて琢斗を見た。

「おやおや、ボクがいつ、誰に迷惑をかけたって?」

 ハッターは挑戦的に言う。

「よく考えてみたまえ、アリス。二宮金次郎の薪が一本増えることが、あの屋上にたどり着く張り紙が、いったい誰の迷惑になるというんだ?」

 確かにそれはその通りなのだけれど。

 そのゲームに振り回される人間は、確実に存在しているのだ。

「でも、美術室での小芝居は、完全に悪意があったと思いますが」

 琢斗はあの時、本気で焦ったし、倒れていた女子生徒を―ラットのことだ―心配したし、菜緒のことも守らなくては、とも思った。

 それが蓋を開けてみれば、イカレた部活勧誘でした、ときていたものだから、このぐらいの反撃はしておきたい。例えまんまとそれにのせられて、楽しんでしまったとしても。

 するとハッターは急に真面目な顔をした。

「それは、キミだったからだよ、アリス。

 我々『兎の巣穴』は、キミを陥れねばならなかったのだ」

 琢斗だったから?

(じゃあ、やっぱり)

 ハッターの言葉に琢斗は、あの部活勧誘がではなかったのだと確信した。

(ずっと疑問だった。何で『白井聡司』の妹の白井さんと、俺なんだろうって)

 あの時、ハッターは『厳選なるクジ引きの結果』だと、菜緒の前で言っていた。けれどそれは嘘だ。

 一年生の女子が何人いるのかは分からないが、そのなかから『白井聡司』の妹である菜緒がクジで選ばれる確率の低さを考えれば、偶然とは考えにくい。

 とすれば、やはり彼女は部長である『白井聡司』に選ばれて『兎の巣穴』に勧誘されたのだ。

 だとするならば、琢斗は? 自分は何故、『兎の巣穴』に勧誘された?

 琢斗はゆっくりと口を開いた。

「俺を罠にハメたのは――――――部長の、『白井聡司』先輩の指示ですか?」

 ハッターは一瞬、驚いたように目を大きくした。が、すぐにいつもの不敵な笑みにもどった。

「ああ、やはりキミは優秀だね、アリス。

 そうでなくてはいけない。いいや、そうなってもらわなくてはね!」

 楽しげに、心底愉快そうに、ハッターは笑った。

「アリス、これだけは言っておくよ。ボクはいつだって、最良だと思うことをやっている。

 ボクが楽しむこと、そして『兎の巣穴』のメンバーを楽しませること。できることなら、それを学校の皆にも楽しんでもらいたい。それが奇術クラブのモットーだ」

「他人から見れば、間違っていると思われることでも?」

 琢斗のそれに、ハッターは重々しく頷いた。

「そうだね。間違っていると判断されることでも」

 瞳に鋭い光のような、凄みを湛えて。

 そうだ、いつだったか、ハッターのこんな声を聞いた気がする。

(いつだった? そして、何を話している時だったっけ)

 思い出せない琢斗に、ハッターはにやにや笑いを浮かべて付け足した。

「ああ、そうそう。さっきも言ったけれど、人によって答えは違う。キミの答えは、キミで探してくれたまえ」

 ハッターはそう言って、またくるりと背を向け、行ってしまう。

 残された琢斗は、図書室で感じた綻びをはっきりと認識した。

(人によって違う、答え?)

 頭に響くのは、飯塚に言われた『知りたきゃ自分で解きな』という台詞。

(オレは、答えを出さなきゃいけない、のか?)

 何が問題なのか、それすら分からないけれど。

 漠然と、琢斗は解けかけた糸の先を感じ取っていた。









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