第三章 公爵夫人のお屋敷を訪ねて ―トリック―


 そんなことがあった翌日。

 焼却炉へとゴミ出しをしに行った琢斗は、ばったり菜緒と出くわした。

 他愛無いお喋りで順番を待つ間に、菜緒が思い出した、というように言った。

「あ、そういえば有馬君、今日は部活があるって」

「そう、なんだ」

 昨日のハッターとのやり取りを思い出し、琢斗は顔をしかめた。だって、絶対、アレは何か企んでいるだろう。

 すると菜緒が不思議そうに聞いた。

「有馬君? どうかした?」

 菜緒に言うべきか迷うところではあったが、まだハッターが何をしようとしているのか判らない以上、余計な不安を煽るのもよくない。

「あ、いや、何でもないんだ」

 そう誤魔化して、琢斗は別の話題を探した。

「そうだ、白井さんのお兄さんって、図書委員なんだね?」

「え、違うよ。

 ……………あ! それって、ラビのこと?」

「そう。昨日、図書室で見かけたんだけど。あれ? 白井さんのお兄さんって、ラビ先輩じゃないの?」

「違うよ!」

 ぶんぶんと首を振る菜緒に琢斗は、はて? と首を捻る。ラビでないとすれば菜緒の兄である、白井聡司とは誰なのか。

 そこに、不意に上から声が響いた。

「おーい、ナオーーーーー」

 そちらに顔を向ければ、一人の男子生徒が二階の窓から顔を出して、ひらひらと手をこちらにむかって振っていた。

(白井さんの知り合い?)

 光の加減で顔は見えづらかったが、菜緒と同じような亜麻色の髪の毛がさらっと揺れていた。

「って、お兄ちゃん?!」

 驚いたような菜緒の言葉に、琢斗もびっくりした。

 噂をすれば影、というやつか。

(あの人が『白井聡司』)

 確かに、いかにも好青年、というような雰囲気がある。

 そんな彼が菜緒に短く用件を伝えた。

「母さんに今日は遅くなるって伝えておいて」

「分かったーーーー」

 兄妹ならではの会話だ。こんな風に校内で妹に話しかけるところを見ると、兄妹仲は良いのだろう。

 だがそうなると、琢斗が今まで一度も彼に会う機会がなかったというのが不思議だ。

 妹が同じクラブに入ったというのに顔を出さない、なんてことはあるのだろうか。

(兄妹ってそんなものなのかな?)

 一人っ子の琢斗にはイマイチ分からないのだが。

(あ、でもあの人は奇術クラブの部長なんだし、今まで会えてないっていうのは、やっぱり変な話だよな)

 そんなことを考え込んでしまった琢斗だったけれど、それは中断された。

 急に声がふってきたからだ。

「もしかして、君が有馬君?」

「あ、はい!」

 驚いて上を向いた琢斗に彼は親しげに話しかけてきた。

「ナオが世話になってるってね。仲良くしてやって」

 きっと彼女から話を聞いていたのだろう、そんな風に言われて琢斗はたじろいだ。

「いえ、こちらこそ」

 思わず頭を下げると、隣にいた菜緒が抗議の声を上げた。

「お兄ちゃん! そういうの、やめてってば!」

「判った、判った。じゃあね」

 険悪というより、むしろ兄妹の微笑ましさを含むやり取りだった。

 だから、兄が去った後の、

「あ、有馬君、あんまり気にしないでね?」

 という、どこか焦ったような菜緒の様子に、琢斗は思わず笑ってしまった。

「良いお兄さんなんだ」

「…………………ちょっと、おせっかいだけど」

 とは言いつつも、彼女が兄を慕っているのは明白だ。

(きっと自慢のお兄さんなんだろうな)

 知っている情報と重ね合わせて琢斗はそう思った。

 ただ、そんな彼にまだきちんと会っていない、ということだけは妙に気になった。

(完璧人間、だったっけ。忙しいのかな?)

 幽霊部員というやつなんだろうか。

 そうこうしているうちに琢斗の順番がきて、ゴミを焼却炉に入れる。菜緒もゴミを入れ終えて、教室へともどる別れ際、彼女は慌てたように言った。

「あ、そうだった! 私、今日、日直だったんだ。部活にはちょっと遅れちゃうんだけど」

 琢斗はそれに軽く頷いた。

「判った。先輩達にはそう言っとくよ」

「ありがと。じゃあ、また後でね」

「うん。また後で」

 菜緒と別れて教室にもどると、琢斗は一人で西階段を上り、教材室へとむかった。



 教材室の扉を開けると、珍しいことにラビだけしかいなかった。

 ここには大抵ラットがいて―そしてだいたい寝ている―それにハッターかラビかのどちらかが傍にいる、という光景が常だった。

「今日は先輩、一人ですか?」

 琢斗が尋ねると、ラビは読んでいた本から目線を上げて頷いた。

「ラットはクラスの用事があってな。ハッターはそれを影から見守りに行った」

 ずいぶん仲が良さそうだとは思っていたが、いくらなんでもそれはやりすぎじゃないか?

「心配性なんだ、過度の」

 琢斗の考えが顔に出ていたのだろう、ラビは補足するように小さく付け足して、また視線を本にもどした。読んでいる本のタイトルは『マジック入門!』というもの。

「それってマジックの練習、ですか?」

 鞄を置いた琢斗が聞くと、ラビは律儀に答えてくれた。

「一応、ここは奇術クラブだからな。マジックくらいはできないと、と思ってな」

 それでこうして勉強しているというわけか。

(ま、真面目なひとだな)

 前も思ったが、この大柄な先輩は顔や体格に似合わず、繊細な思考の持ち主だ。

「できるんですか? マジック」

 何の気なしに言った言葉だったのだが、ラビは「む」と考え込み、それから足元に置いてある紙袋の中を覗きこんで、それから琢斗に頷いた。

「できる。例えば」

 そう言って彼が取り出したのは一本の紐だった。

 白く指より少し細いくらいのその紐を、よく見せるように彼は両端を持って掲げてみせる。

 そして、

「よく見ていろ」

 と言うと、ゆっくりと紐の両はじを交差させ、からめて――――――。

(あ、紐を結ぶんだな)

 そう気付いた矢先、ラビが紐を左右にさっと引っ張った。

 と、思ったら。

「あ! 結び目が三つ!?」

 等間隔で、結び目が三つ出現していた。

 よく見ていたが、結んだのは一回だけだったはずだ。

「早業結びだ」

「えっ!?」

 まさか、あの一つを結んでいる間に、あともう二つも結んだというんだろうか?

「と、いうのは嘘だ」

 この人が真顔で言うと、冗談なんだか本気なんだか分からない。

「……………そう、ですか」

 どう言えばいいのか、はたまた笑うべきか、反応に困っている琢斗など気にも留めずに、ラビは説明しだした。

「これは元々、二つの結び目を作ってあった紐だ」

「そうなんですか?」

 つまり、紐を取り出した時点で、すでに結び目は二つあった、ということなんだろう。

 ラビは紐を持ち上げ、取り出した時のように両端を持って掲げて見せた。

「最初に二つの結び目を、こう、手で隠しながら持つと」

「あ! 結び目がないように見えますね!」

 トリックを理解した琢斗に、ラビは重々しく言った。

「マジックにはトリックがあり、カラクリがある。

 それを観客には気付かせず、魔法のように見せられるのがマジシャンだ」

 やはりラビは真面目な人なのだ。こんなヘンテコな部活でも、ここまで活動を全うしようとするなんて。

 琢斗は感嘆した。

「どんなに魔法のように見えるマジックにも、トリックがあるってことですね」

 するとラビはちょっと考えてから言った。

「だがまあ、そんなことを考えずに楽しむほうがいいんだろうけどな」

 確かに彼の言うことも一理ある。

 トリックがどうなっているのか躍起になって考えるより、ただ純粋に「すごい! 不思議だ!!」と感動する方が、マジックの楽しみ方としては正しいのかもしれない。

「楽しんだもの勝ち、ですか」

 以前、琢斗自身が菜緒に言った言葉だった。

 そんな琢斗にラビがぼそりと聞いた。

「楽しいか? アリス」

「へっ!?」

 この流れで何故そんなことを聞くんだろう。

 驚く琢斗にラビは淡々と続けた。

「マジックは人を楽しませるものだからな。楽しんでくれなければ意味がない」

 ……………………本当に真面目な人だ。

「えーと、楽しい、と、思います。少なくとも、つまらなくはありません」

 正直に答えた琢斗にラビは目を細めた。

「そうか。なら良かった」

 どうやらそれが彼の笑った顔らしかった。

 だがそれもつかの間。ラビはまたいつもの表情の読めない顔にもどって、そしてじっと琢斗を見つめた。

「何ですか?」

 その目があまりに真剣で、たじろいでしまう。しかしラビは琢斗の質問には答えなかった。

 かわりに重々しく―いや躊躇いながらなのかもしれないが―彼は語った。

「アリス、ここは奇術クラブ、『兎の巣穴』だ。

 そしてマジックにはトリックがある。けれど―――――トリックに罪はない」

「?」

 不可解なラビの発言に琢斗は思わず首を傾げてしまう。

 それにラビは首を振った。

「いや、難しく考えなくてもいい。ただ、奇術クラブにいる以上、それは覚えておいたほうがいいだろう、と思ってな。

 余計なお世話かもしれんが」

 だが相変わらず真剣な瞳が琢斗を見ていた。

 だから琢斗は精一杯の気持ちで答えた。

「いえ、ありがとうございます。覚えておきます」

 ラビはまたほんの少し目を細め、それから小さく頷いた。

 この時、彼はいったいどんな気持ちでいただろう。いいや、『兎の巣穴』のメンバー全員が、どんな想いで琢斗を受けいれていたのだろう。と、後になって琢斗は考えることになる。

 みんな、少しずつ交わって、知って、そして選んで。

 変わらないものなど、何一つないのだろうけれど。

 でも―――――精一杯だったその時の気持ちは、きっと。嘘ではないのだ。

 たとえ形を変えてしまって。真逆になってしまったとしても。その時の気持ちを、なかったことにはできない。

 琢斗は後に、そのことを思い知ることになるのだった。










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