第三章 公爵夫人のお屋敷を訪ねて ―図書室―


 放課後、琢斗はいつもの西階段ではなく東階段から上の階へと上がっていた。

 今日は奇術クラブが休みだと連絡があったので―奈緒が言いにきてくれたのだ―丁度良い機会だと、先日発見した図書室へ行ってみることにしたのだ。

 たどり着いた図書室の扉は僅かに開いていて、『開』の札が下がっていた。

 扉の隙間からおずおずとなかを覗くと、そこは午後の穏やかな日差しが差し込む、とても静かな空間だった。

 カウンターのむこうにはソファーが見え、幾つかのクッションまでもがある。

(おおー、イイカンジだ)

 少し感動を覚えて、琢斗はそこに足を踏み入れた。

 すると、本のいっぱいある空間の、独特の匂いがした。

(ちょっとわくわくする)

 本屋でも図書館でも、そこにある本のラインナップを見ることは、探検のようなものだ。

 どんな傾向なのか、新たな発見があるのか。はたまた、好みぞろいだと感心するか。

 カウンター脇の荷物置き場に鞄を下ろし、そろりとその中に入っていこうとした琢斗だったのだが。

「アリス?」

「っひゃい!?」

 いきなり後ろから声をかけられて、思わず奇声を発してしまった。

「…………すまない、驚かせて」

 低いその声には聞き覚えがあった。

「え? あ、ラビ、先輩?」

 振り返れば、見間違えようのない大柄の男子生徒がカウンターにいた。

「な、なんで、ここに?」

 ぽかんとして思わず間抜けな質問をしてしまった。

 だがそれにも彼は律儀に答えてくれる。

「俺は図書委員だ」

 そりゃそうだ。だって彼はカウンターのなかにいるんだから。そうにきまっている。

「そうだったんですか」

 好んで人と関わることをしなさそうな人だと思っていたので、図書委員など意外な気もしたが、案外こういう人の方がむいているのかもしれない。

 図書室なんて静かな場所、あのハッターであったら到底無理だろう。

 そんなことを考えていたら、ラビがおもむろに聞いてきた。

「本を借りるのか?」

「あ、はい。できれば」

 琢斗が頷くとラビは「そうか」と言ってカウンターから出てきた。

「貸し出しカードの場所を教える」

 どうやら図書室の使い方を説明してくれるようだ。

 ラビはカウンター脇にある引き戸を指差した。

「そこが貸し出しカードの保管場所だ。一年生は一番上の引き出し。

 その中にクラスごとにカードが分けられているから、そこから自分の物を出し、本を借りる前に図書委員にわたしてくれ」

 言われるままに一年生用の引き出しを開け、自分のカードを取り出す。プラスチック製のバーコードがついた薄いカードだった。

「紙じゃないんですね」

 紙の貸し出しカードを思い描いていた琢斗がそう言うと、ラビは真面目な顔で頷いた。

「今では図書室の本もパソコンで管理しているからな。

 本の検索も図書委員に言えばしてもらえる。どんどん利用してくれ」

 思いの外、親切な人だった! 人と関わることをしなさそうだなんて、思い違いもいいところだ。

 そんな風に思ってしまっていた自分を琢斗は反省した。

「ちなみに貸し出し期限は二週間だ。それを過ぎたら担任に注意されるから気をつけろ」

「はい」

「じゃあ、俺はカウンターにいるから、何かあれば声をかけてくれ」

 説明し終えるとラビはカウンターにもどっていった。琢斗に説明をする為だけに出てきてくれたらしい。

 ぺこりと頭を下げると、ラビは小さく頷いて、それから促すようなジェスチャーをしてくれたので、琢斗は近くの本棚へと足を向けた。

 手前の本棚は比較的新しい本。それも小説の棚のようだった。

 棚を眺めながら、本を物色していた琢斗だったのだが。じきに集中していられなくなった。

 だって。

(み、見られている?)

 ソファーの向こう、どっしりとした長机で何やら書き物をしているらしい女子生徒の集団のうちの一人が、手を止めてじっとこちらに視線を向けているのだ。彼女のネクタイは青色だから二年生だろう。

 あまりに露骨なそれに、琢斗の頭にぐるぐると疑問がまわった。

(何かしたかな? いや、ラビは何も言わないし。え? 知り合い? いや、そんなはずはないと思うけど)

 と、考えていた矢先。

「君」

 彼女がおもむろに立ち上がり、こちらに歩いてくるではないか!

(え!? どこかで会った人だっけ?)

 ふわふわと軽そうなショートボブの髪に、くりっとした釣り目気味の瞳。愛嬌のある容姿の上、スカートはけっこうなミニで、さらにぶかっとしたサマーセーターなんかを着ているものだから、小悪魔的な可愛さが前面に押し出されている。

 でもその顔に、琢斗はまったく見覚えがなかった。

 当惑している琢斗に彼女は首を傾げて聞いた。

「確か、『兎の巣穴』に入ったコだよね?」

「あ、はい。そう、ですけど」

 すると、もう一人の女子生徒までがこちらに顔を向け、琢斗をまじまじと見てきた。

 そしてその人も、琢斗にぎりぎり聞こえるぐらいの小さな声量で言う。

「へえ、奇術クラブに。それはまた奇特ね」

 彼女のネクタイも青色。いかにも優秀そうな、眼鏡をかけた綺麗な顔立ちの人だ。ストレートの黒髪がきっちりと束ねられ、どこかの小説にでも出てきそうな、純文学少女風の先輩。

 目の前の先輩とは水と油、みたいな印象をうけるけれど。

「でしょぉ? 気になってたんだよね~っ」

「まあ、そうでしょうね」

 というやり取りから、二人がそれなりに親密なことがうかがえた。

 いったい彼女達はどういう集まりなのだろう。そして何故、琢斗に声をかけてきた?

 疑問符だらけの琢斗の顔を見て、目の前の可愛い先輩が言った。

「ああ、ごめんねぇ。私達、文芸部なんだぁ」

「文芸部………」

 その言葉に琢斗は思わず彼女達が囲んでいた机を見てしまう。

 それを目ざとく見つけて、目の前の先輩がにやっとした。

「なにぃ? もしかして君、文芸部にきょーみ、あるの?」

 その、どこか獲物を狙うような瞳に、たじろぎながらも琢斗は頷いた。

「え、ええ。まあ」

 本来ならば琢斗はこの部活に入ろうと思っていたのだ。

 強引なまでに別の部活に仮入部させられてしまった琢斗だったが、掛け持ちも視野に入れて、文芸部は見学しておきたかった。

 すると彼女は「そっかぁ」とにこっと笑い、周りをきょときょとと見回した。

「ぶちょー? ぶちょーぉってばーーー? あれ、いない?」

 すると机にいる眼鏡の先輩が冷静に告げた。

「探すだけ無駄よ。さっきからいないから。いても役に立ったためしがないけど」

 真顔で厳しいことを言う人だ。

「でもぉ、仮入部の紙くらい、わたせるでしょぉー」

 と思ったら、こちらの先輩もなかなかにひどいことを言っている。

 彼女は探している人物がいないと分かると「ちぇ~~~、じゃあ、自分で用意するかぁ」と、もとの机へともどり、そこに置いてある荷物をがさごそとあさりだした。

 もしかして、仮入部届けを探しているんだろうか?

(まだどうするか決めてないんだけどな)

 琢斗は困ってしまってその場に立ち尽くした。

 動くに動けない琢斗に追い討ちをかけるように、それまで遠巻きに見ていた他の女子生徒二人も声をかけてくる。

「え、何何何何、新入部員なの? カモ~ン!」

「…………………あぁ、ひいてる、ひいてるよ」

 ショートカットでこれまた眼鏡をかけているが、さっきの先輩とは真逆のやかましい印象を受ける女子と、そしてまったくもって彼女の隣には不釣合いな薄味風味の女子とが、興味津々といった風に口を開く。

 彼女達のネクタイはえんじ色。ということは琢斗と同学年だ。

 つまりこの二人は、すでに文芸部に仮入部している子達なんだろう。

「えと、一応、見学だけしてみようかな、と」

 そう言いつつ、琢斗はすでに若干、腰が引けていた。だってさっきから話しかけてくるのは女子ばかりなのだ。

 いや、奇術クラブだって女子が多めなのだけれど、ハッターはあんなだし、ラットもそれほど女子を意識させないような人なので、こうソワソワする感じを味あわずにすんでいたから、これは余計に厳しかった。

 そこに、「やー、ごめん、ごめん。遅くなっちゃった」と言いながら、眼鏡をかけた少々小太りの男子生徒が図書室へと入ってきた。

 その声に、がさごそと荷物をあさっていた先輩がぱっと顔を上げ、非難するように叫んだ。

「あー! ぶちょー、やっときたぁ!」

 すると部長と呼ばれたその男子生徒は、妙に嬉しそうに頭を掻いた。

「え? 何? オレを待ってたの? いやぁ~、オレがいないとダメだって? 困ったなぁ~~~」

 ………………だいぶ、たくましい想像力の持ち主のようだ。

 そんな彼のネクタイは緑色。そうか、部長なのだ、三年生で当たり前だろう。

「誰もそんなことは言ってません」

 眼鏡の先輩がばっさりと言って、琢斗を指し示す。

「見学したいという一年生です。部活紹介くらいはできるでしょう、部長」

 すると彼は琢斗を見て、にこっと笑った。

「おー!? そうなの? やー、それはありがたいなー」

 嬉しそうな彼の顔に、琢斗は釘を刺すように言った。

「いや、俺はまだ入部すると決めたわけじゃないですから」

 だがそれでも彼の顔は崩れない。にこにことした顔のままだ。

「え? そうなの?

 でもさー、イイよ! 文芸部」

 ここぞとばかりに彼は胸を張った。

「なんていうの? こう! ハーレム状態で?」

 が、その途端。しん、と、嫌な沈黙が降りた。

 というか、空気が凍りついたような。

 そして女子達の視線があからさまに冷たく、というよりもう、蔑む、みたいなものになって。

「死んでください、部長」

「イタイね、ぶちょー」

「フツーにキモイっす☆」

「えと、フォローはできません」

 極寒のブリザードが吹き荒れた!

 なのに、それにもメゲずに部長さんは笑っている!!

「ホラね! こんな風なんだ! だから、正直、男子が入ってくれるとたいへん嬉しい!」

 きらきらきら、と効果音がしそうな勢いに、思わず一歩下がる。

「か、考えさせてもらいます」

 引きつった顔で琢斗が言うと、横からするりと腕が伸びてきた。

「もう仮入部しといちゃおうよ~。イヤだったら、入らなきゃイイんだしぃ」

 くいくいと琢斗の制服の裾をつかみ、甘えるような声で言われて、ちょっと、いやだいぶ琢斗は弱ってしまった。

 ええと、これ、けっこう顔が近いんですけど。

「で、でも、今は奇術クラブに仮入部してますし」

 もう二、三歩下がりながら、しどろもどろでそう言う琢斗に、けれど彼女はすりっと近寄ってくる。

「掛け持ちオーケーよぉ~~~?」

 うふふ~と笑って、逃がしてくれなさそうだ。

(ど、どうしよう!?)

 進退窮まって、もういっそ仮入部届けにサインしてしまおうか、とも思ったその時。

 声が割って入った。

「おやおや、アリスは文芸部に浮気かい?」

 いつの間に来ていたのやら。

 図書室の入り口にハッターが腕を組んで立っていた。

「浮気ってわけじゃあ、ないんですけど」

 ぴたりと止まった空気に琢斗はどこかほっとして。

 さりげなく腕から抜け出すことに成功した。

 彼女もハッターの手前か、それ以上は迫ってくることもなく、琢斗は何となくハッター近くの入り口まで下がってきてしまった。

 すると、今まで傍観を決め込んでいた眼鏡の先輩が、ちらりとカウンターにいるラビを見て、それからハッターに向き直った。

 そして軽く睨みつけるように顎を引いて言う。

「私、人のしていることに口出しする主義じゃあないけれど、一応言っておくわ。

 貴方の遊びに一年生を巻き込むのはどうかと思う」

 だがハッターはものともしない。

「ご忠告、痛み入るよ。でもあいにく、これは遊びじゃなくて真剣勝負でね」

 にやりと笑って言ってのけた。

 彼女はそんなハッターをじっと見つめ、それから溜息を一つ吐くと今度は琢斗の方を向いた。

「貴方、名前は?」

「え、あ、有馬琢斗、です」

 こちらにも厳しい瞳を向けられるかと強張った声を出してしまった琢斗に、彼女は少し微笑んで優しく言った。

「有馬君ね。分かったわ。

 気が向いたらいつでも図書室にきて。文芸部は君を歓迎するから」

 彼女の言葉に可愛い先輩もこくこくっと頷く。

「こっちも部員不足なのよぉ~~~。気軽においでよねぇ」

 成程。熱烈な勧誘はそういうわけか。

 琢斗は一応「ありがとうございます。考えてみます」と頭を下げた。

「では行こうか、アリス」

 ハッターにそう言われ、琢斗は自然と鞄を手にとる。

「ばいばーい」

 可愛い先輩の声を背中に聞きながら、琢斗は図書室をあとにした。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る