第二章 なんだかんだで流された ―イモムシ先生―


 ぐるぐると校舎を廻り、そして最後にたどり着いたのは屋上だった。

 開けてすぐの、目の前の柵に『ゴール! おめでとう』という張り紙があった。

 その柵のむこうからは、学校周辺の景色が見わたせる。

「へえ、けっこう高いところにあるんだ、この学校」

「そうみたい。すごい、良い景色だねぇ」

 バタバタと強い風に煽られながらも、二人で屋上からのそれを眺めていたら。

 背後から声をかけられた。

「お気に召したかな?」

 給水塔の影から現れたのは、確かめるまでもない、ハッターだった。

 もしかしなくても、ここで琢斗達を待ち構えていたのだろう。暇な人だ。

 けれど驚いたことに、給水塔の影にいたのはハッターだけではなかった。

「気取ってないで、用が終ったならさっさと張り紙を剥がしてこい。でないと生徒会長のヤツが乗り込んでくるぞ」

 気だるげに言う、明らかに生徒ではない男性がもう一人、そこにはいた。

(っていうか、誰?)

 思わずまじまじと見てしまうが、そんな視線など意にも介さず、ハッターとその人は会話を続けた。

「やれやれ、クイーンは気が短いな」

「お前がイカレすぎてるんだろうが」

 その小言にハッターは意地悪く言い返す。

「でもってイモムシは小五月蝿いときている」

 しかし彼はハッターのそれに顔をしかめただけで、諦めたようにそっぽを向いた。そして、いかにも面倒臭そうに、「はよ行け」と手を振ってハッターを追いやる。

 その仕草にハッターは肩をすくめ、「しかたがない」と給水塔を離れた。

「ああ、そうそう、アリスにユキウサギ。

 入部の件だけれど、そこにいるイモムシに説明を受けるといいよ」

 イモムシ? って誰だ??

 けれどハッターは疑問符を浮かべた琢斗と菜緒ににっこりと笑うだけで、そのまま二人を屋上に置き去りにしてしまった。

 いや、もう一人、そこに残されている人物がいる。

 屋上の柵に寄りかかってハッターと話していたその人は、溜息を一つ吐いてから毒づいた。

「アイツはいっぺん頭のなかみを取り替えたらいいと思うんだがな」

 はき捨てるように言って煙草の火を揉み消す彼は、白いシャツにネクタイ、その上に白衣を着ていた。ということは、教師なんだろうか?

 しかしこちらを心底面倒臭そうに見る目は、教師としていかがなものか。

「で、お前らか。イカレた部活に入ろうって残念な一年生は」

 そしてなかなかに辛辣なことを言う人だ。

 この人がハッターの言っていた『イモムシ』?

 聞きたかったのだが、それを許さない速さでその人は口を開いた。

「とりあえず、仮入部届けは受理されてっから、お前らは一応『奇術クラブ』ってことだ。

 けど実際のところは『まだ』仮入部。正式な入部は五月のゴールデンウィーク明けくらいになる。その時に正式な入部届けが出てなかった場合、入部は取り消し。分かったな」

 早口で説明し、あとは知らないと言わんばかりに屋上から出て行こうとするので、琢斗は慌ててその人を引き止めた。

「あ、あの! えーと、先生、なんですよね?」

「じゃなかったら何に見えるんだよ?」

 いや、教師らしくも見えないんですが。

 という言葉は飲み込んで、琢斗は質問を改めた。

「ええと、奇術クラブの顧問の先生ですか? という意味で聞きました」

 もちろん、そんなことは分かっていたのだろう。

「ああ、ほんとメンド臭ぇな」

 しかめっ面で本音ダダ漏れなことを言う。

 だがぼやきはするものの、説明はしてくれるらしい。彼は琢斗達に向き直った。

「飯塚隆俊、数学教師。奇術クラブの顧問だ。

 けど、お前らのことは一切面倒みない。俺の迷惑ならない程度に勝手にやってろ。いいな」

 やっぱりとても教師には見えないんですけど。

 こんなでいいのか? と思わず疑念を抱いてしまうくらい、いい加減な台詞だった。

「じゃー、俺はもー行くぞ。

 あ、そーだ、お前ら。そこの張り紙剥がして、ここの戸締りしとけや」

 要するに片づけていけ、ということらしい。どこまでもモノグサな先生だ。

「ほらよ。鍵は職員室に返しとけ」

 チャリッと屋上の鍵を琢斗に投げつけ、今度こそ立ち止まらずにその人は行ってしまった。

「えと……………とりあえず、片付けようか」

「そ、そうだね」

 やはりというか、ヘンテコな部活の顧問はやっぱり変人だった。

 というより、変人じゃなきゃこの部活に関わらないのか? 『兎の巣穴』のメンバーを思い浮かべて、琢斗はぶんぶんと頭を振った。

(いやいやいや、白井さんと俺はああはならないぞ)

 琢斗の様子に奈緒が心配そうな顔をする。

「どうかした?」

「い、いや、なんでもないよ。ほら、鍵を返しに行こう」

 そう言って琢斗が屋上の扉へと足を向けると、奈緒もそれに続いた。

 こうして二人のゲームは終了した。



 鍵をもどして教材室へともどってきた琢斗と奈緒だったが、二人の足は扉の前で止まってしまった。

 夕日が差し込む教材室には、ラットとハッターがいて、ラットは辞書を枕に机で寝ているようだった。

 そのラットの傍らで、ハッターが穏やかにも寂しげにも見える微笑みを浮かべている。二人だけの空間、という言葉がぴったりなその空気に、琢斗も奈緒も正直困った。

 だって、これは何だか、とても入りづらいぞ。

 二人して顔を見あわせた、その時。

「入らないのか?」

 後ろから低い声がかけられて、そろって二人は飛び上がった。

「………………どうした? そんなに驚いて」

 声をかけたのはラビだった。

 それに気付いたハッターがこちらを向く。

「ああ、やっと帰ってきたのか。あのイモムシに雑用でも押し付けられていたかい?」

 その賑やかしい声からは、さきほどの雰囲気など欠片も感じられない。

 琢斗と奈緒はラビの視線に押されるように教材室へと入った。そんな二人にハッターは満足げに頷く。

「初日にしては上出来、といったところかな? 何にせよ、ゲームは攻略したのだからね」

 そしてうっとりと、思いをはせるかのように遠くを見つめ、くすくすと笑った。

「ふふふふふ、これからはめくるめくこんな日々が続くんだ。わくわくするね」

 琢斗はげんなりと呟いた。

「僕達はむしろ、頭が痛くなってきていますが」

「おやおや、アリスは文句ばかりか。

 でも、いいさ。それはキミの特権だからね」

 ちょっと肩をすくめてみせて、ハッターがそんなことを言う。

 琢斗をツッコミ係とでも考えているのか。何か言い返そうかと思ったが、ハッターがそれより早く口を開いた。

「さてさて、では帰るとしようじゃないか!」

 今日はこれでおひらき、とばかりにハッターはぱんっと手を叩く。そう言われてしまっては帰るしかない。

 琢斗と奈緒も鞄を手に取り、帰り支度をする。けれどそのなかで、ラット一人が呑気に寝息をたてていた。これだけ周りがうるさくなっても起きないのだから、ある意味大したひとだ。

 身支度を終えたハッターが彼女の傍らにもどり、軽く肩を揺すった。

「ほら、ラット、起きて。もう下校だ」

 しかし彼女に起きる気配はない。

「負ぶっていくか?」

 ラビがラットを覗き込んでそんなことを言う。

 きっとこんな風に眠りこけていることが日常茶飯事なんだろう。

「うーん、もうちょっと様子をみようか。自力で起きられるかも」

 起こす側も呑気なもので、ハッターはラットの髪をくるくると弄りながら、そんなことを言っている。

 だが意外にも、ラビもその案に賛成のようだ。

「そうだな。そうするか」

 この人達はそろって、そのねぼすけな小さい先輩に甘いらしい。

 ハッターは微笑んで琢斗達に手を振った。

「ああ、君達はさきに帰っていいよ。鍵はかけておくから」

 ラビは何も言わないがハッターの言葉に小さく頷いているので、琢斗と奈緒は先輩達より一足先に帰ることにした。

 何となく一緒に帰ることになった琢斗と奈緒は、とりとめのない話しをしながら駅までの道を二人で歩いた。

 その途中で、琢斗は思い出したように菜緒に言った。

「それにしても、白井さんとお兄さんってあんまり似てないんだね」

 琢斗が思い描いたのはラビの顔だった。

 だって奇術クラブの男子の先輩は彼一人きりだ。ということは必然的に彼が奈緒のお兄さんということになるんだろう。

 従兄弟から聞いていた人物像とは違う気もしたけれど。

「そう、だね」

 苦笑いしながらも奈緒が肯定したので、琢斗はそのことを疑問に思わなかった。

 いや、本当のところを言えば、舞い上がっていて気がつかなかったのだ。

自覚はなかったけれど、あとから考えれば、琢斗は完全に流れにのまれてしまっていた。

 新しい生活に、新しい出会い。

次々と訪れるそれらに夢中になって。

 いつの間にか楽しんでしまっている。

 それは、そう、まさに琢斗が思い描いていた魔法のように。

 いっときの間、現実を忘れさせ、行ったこともない場所へつれていってくれる。そんな魔法が。

 確かにその時、そこには存在していたのだ。









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