第二章 なんだかんだで流された ―夢を見る―


 有馬琢斗には密かな夢があった。

 恥ずかしくて友人達には言うことができなかったけれど。そして琢斗自身、とてもじゃないが現実にそれが叶うとも思えない夢だったけれど。

 それでも、そうあれたら、と夢想するのが止められない夢。

 黒のノートパソコンに映し出された画面を見ながら、琢斗はぼんやりとあのヘンテコな部活のことを考えていた。

(奇術クラブ………………『兎の巣穴』、か)

 そういえば、どこかで『○×奇譚クラブ』とかいう話を読んだことがあったっけ、と琢斗は漠然と思い出した。

 名前ははっきりと思い出せないけれど、何だかひどく不思議で不気味な話だったような気がする。

 そう、ちょっと不思議で現実味のない。

(ほんと、小説みたいな部活だよな)

 トリッキーで、とびきり青臭くて。ライトノベルの憧れをそのまま取り出した、みたいな。

 そんな世界を琢斗は想像したことがある。いや、いつだってそんな夢にとりつかれている。

 けれどそれはあくまで想像のなかのことだと思っていた。目の前の、このパソコン上でのことだと。

 書きかけている物語を眺めて、琢斗は小さく息をついた。

(スパイスかぁ)

 自分に足りないものはきっとそれなのだとも思う。

 小説が持つ、もっとも喜ばれる魔法。それはよくできたお話ならば必ず与えてくれるものだ。

 何度も魅せられ、いつか自分もそうしたものが作れないかと、夢みてしてしまう魔法。

(なんて―――――それこそ中二病だ)

 魔法使いになりたい、だなんて―それも本気でだ―イタ過ぎるだろう。

 でも悲しいかな、琢斗はその夢から逃れられない。なんてことはない。あのイカレた先輩の言う通りなのだ。

『スパイスを必要としている人間』

 現実を忘れ、行ったことのない場所へと連れていってくれる魔法。それを琢斗は欲している。だとするならば。

 パソコンのデスクトップ自動で可愛らしい猫の画像に切り替わる。手の止まってしまった物語の続きは諦めて、琢斗は上書き保存をクリックした。

 まだどうするか、決定的に決めたわけではない。ないけれど。

 琢斗はもらった仮入部届けを机の上に広げ、ボールペンを手にとった。



 最終的な結論として、琢斗は『奇術クラブ』へと仮入部することを決めた。

 「入部する気があるのなら、もう一度ここへおいで」と言われていた教材室へ、仮入部届けを提出しに行ったのは昨日のことだ。

「来ると思っていたよ、アリス」

 にやりと笑って言われ、琢斗は一瞬、仮入部届けを出す手を引っ込めかけた。が、ここまできて引き返すというのも、負けた気がしてならない。

 半ばやけくそ気味に仮入部届けを突きつけると、美女は満足げに微笑んだ。

「さて、これで、はれて『奇術クラブ』に仮入部したことになる。

 改めて、ようこそ『兎の巣穴』へ。歓迎しよう、アリスにユキウサギ」

 相変わらずの芝居がかった台詞で琢斗達は迎えられた。

 そう、新入部員は琢斗一人ではなかったのだ。

「あ、白井さん」

 ちょうど西階段の手前でその件の人物と出会った。

「有馬君…………こ、こんにちは」

 あの『密室事件』騒ぎのもう一人の被害者、白井菜緒だった。

 やっぱりというか、美術室の前にいた彼女もまた『兎の巣穴』に招待された一人だったというわけだ。

 それを知ったのも、やはり昨日のこと。

 同じく仮入部届けを出しに来ていたのであろう彼女と顔を合わせ、そこで琢斗は彼女の名前と組、そして『兎の巣穴』へどうやって勧誘されたのかを知った。

 彼女の場合、琢斗よりもネタばらしが早かったらしい。保健室へと付き添う途中で演技だと打ち明けられ、そのまま琢斗を待ち伏せするからと教材室に連れ込まれたのだとか。

 それはそれで、はた迷惑な巻き込まれぐあいだろう。なにせ知らないうちに騙し討ちの加担者になっていたのだから。

 ちなみに何故、一年生のなかでこの二人だったのかと言えば。

「厳選なるクジ引きの結果」

 だそうだ。

 いったいどこまでが本気なのだろう。いや、あの先輩ならば新入生全員の名前のクジくらい作りそうな気もするが。

「つまり、アレだ。これは運命なのだよ」

 などと言われてしまうと、正直ドン引きするというものだ。

「と、いうのは冗談なのだがね。まあ理由はともかく、君は選ばれた。

 流れに身をまかせてみるのも一興だよ?」

 しかし、そうは言われても笑えない冗談だし、流れに翻弄されるだろうことははっきりと分かっている。一興ではすまされないだろう。

 琢斗と菜緒はちらりと顔を見合わせ―たぶん同じ事を思ったに違いない―弱ったような困ったような、なんともいえない微妙なお互いの顔を瞳に映しあった。

 ともあれ、こんなヘンテコな部活の一年生が、自分一人だけではないというのは正直ありがたかった。ただ単に、共感できる人が身近にいるというだけでもずいぶん気の持ちようが違う。

 そういうこともあって、琢斗はもうすでに菜緒にだいぶ気を許していた。

 だいたい、彼女は普通に大人しい、控えめな善人であることは証明済みだ。だから今も琢斗はそれなりに打ち解けた口調で話しかけることができた。

「こんにちは。今から部活に行くの?」

 ここで出くわすということは、目的地はたぶん一緒だろうと思うのだが。

するとやはり菜緒が「うん」と小さく頷いたので、琢斗は自然と菜緒の隣に並んで一緒に歩き出した。

 階段を上りながら昨日のことを思い出して、琢斗は菜緒に苦笑いをむけた。

「結局、二人して入っちゃったね、奇術クラブ」

「そうだね。でも、その……………有馬君は、いいの?」

「え?」

 首を傾げた琢斗に、菜緒は昨日と同じように、ちょっと弱ったような困ったような顔をした。

「だって――――――『アリス』って」

「ああ、アレね。…………まあ、恥ずかしいっていうか、イタイっていうかだけど」

 菜緒の言いたいことが分かった琢斗は同じく微妙な顔になった。

 というのも、その『アリス』という名前は、他でもない琢斗のことだったりするのだ。

 それは奇術クラブにおける独自のルールで―まったく中二病ど真ん中としかいいようがないが―『兎の巣穴』のメンバーは全員、愛称で呼び合うべし、というものが存在するのだ。

 美女は嬉々として、それをふまえた上での自己紹介をした。

「ボクはイカレ帽子屋。気軽に『ハッター』と呼んでくれたまえ。

 でもって、そちらの小さいほうが眠りネズミ。大きいほうが三月ウサギだ」

 小さい、と簡単な説明をうけたのは、あの美術室で横たわっていた女子生徒だった。

 確かに小柄で、ハッターと並ぶとそれがよけいに際立つ。縛るでもない黒髪がウェーブを描いて背中までつたい、それが余計に小ささを強調しているようにも見えた。

「私も、眠りネズミじゃあ長いから、『ラット』って、呼んで、ね」

 彼女は愛称通りの眠たげな声で微笑んで言った。

「ちなみに、そっちの三月ウサギは、親しみをこめて『ラビ』と呼んでやってくれ」

 大柄で表情のよめない男の先輩を指差してハッターが言う。だがどう見たって、そのむさくるしい人に『ラビ』の愛称は似合っていない。

 余った配役をそのまま押し付けられたんだろう、ということがありありと判る様だった。

 だが本人は特に何とも思っていないらしい。

「よろしく」

 低い声がぼそりとそれだけを言った。

 気配は薄いのに存在感は抜群にある、という不思議な印象を彼に受けるのは、たぶんハッターよりずっと高い背と、短く切り込んだ短髪のせいだろう。

 目立つ身体なのにも関わらず、無言無表情なのでそうした感を受けるのだ。

 その三人が奇術クラブの部員、つまり『兎の巣穴』のメンバーであるらしい。

(あれ? でも、部長さんは?)

 そこで琢斗は疑問を持ったのだが、それを聞く余裕はなかった。

 何故なら、新入生二人の―つまり琢斗と菜緒の―愛称を言いわたされたので。 

 そう、そこで琢斗に与えられた愛称が『アリス』だったというわけだ。

 半ば予想していたが―ハッターにすでにそう呼ばれていたからだが―決定されたらされたで微妙だ。

 何故、男の自分がアリス? とは思う。が、それを尋ねても意味はないだろう。

 だってこれは、茶番なのだ。おそらく。

 妄想をこじらし、巻き込むことを良しとした、お祭りクラブのごっこ遊び。そう考えれば、突っ込むほうが馬鹿らしい。

 というより、突っ込んだら、たぶん負けだ。何に負けるかのかは分からないけれど。

「白井さんは『ユキウサギ』だっけ」

「うん」

 おそらくそれは『白』からきている愛称だろう。

 確かに琢斗が『ウサギ』でも無理がある。まあ、『アリス』もどうかと思うが。

 本当にツッコミどころが満載な部活だ。しかし惹かれないわけではない。少なくとも、琢斗にとっては。

「おかしな部活だよね。面白そうだけど」

「…………………びっくりした、よね?」

「ああ、うん。でもまあ―――――貴重な体験をしたと思えばいいかなって」

 琢斗がそう言うと、菜緒はどこかほっとしたような顔をした。

「そっか。よかった」

 何についての「よかった」なのか判断しづらいが、彼女もまた、あの部活に引きずり込まれた一人として、道連れがいることは安心できるということなのかもしれなかった。

(白井さんって、押しに弱そうだしなぁ)

 こう、頼りなさげというか、あの毒の強いハッターに言い寄られたら、さっさと陥落されてしまいそうな―実際そうなんだろう―女の子だ。

 何となくだが、一緒に行動してあげたほうがいいような気になってくる。

 程なくして―というよりすぐに―その琢斗の考えは確信に変わることになった。教材室の扉を開けたところで、喜色満面なハッターが待ち構えていたからだ。

「さて、今日は新入生であるキミ達の為に特別なイベントを用意してみた。

 さっそく下駄箱からスタートしたまえ!」

 何の説明もなしか! 思わずそう抗議の声を上げたくなるが、そこは堪えて琢斗は教材室にいる他の二人の先輩に訴えかけるような視線を送った。だがどうやら二人は新入部員を助ける気はないらしい。

 ラビは無言で手を振り、ラットはにこにこと「頑張って」と応援するだけだった。

 琢斗は諦めて教材室の机に鞄を置き、そして同じく鞄を下ろしながら弱ったような顔をするしかない菜緒のほうを向いた。

 先ほど考えていたことがこんな風にして返ってくるとは思っていなかったが、やはりここは一緒に行動するべきなんだろう。

「じゃあ、行こうか、白、じゃなかった、ユキウサギ」

 一瞬、菜緒はぼけっと間抜けな顔をつくったが、それから大慌てといったように頷いた。

「う、うう、うん!」

 その様子からしたら、琢斗が誘うことを予想していなかったのかもしれない。

 何となく(心外だな)と苦笑いしてしまう。この状況下で琢斗が彼女を一人にするはずはーがないのに。

 そんな琢斗と菜緒をハッターはにんまりと見つめて、急かすように声を上げた。

「ほら! さあ、行った、行った!」

 二人は追い出されるようにして教材室をあとにした。








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