第一章 兎の巣穴に落っこちる ―兎の巣穴―


 腕を組み、少し考えてから美女は確認するかのように琢斗に尋ねた。

「まず、君とさきほど一緒にいた一年女子は、ずっと扉の前にいたと?」

 それに琢斗は頷いた。

「はい。美術室には、その…………さっき倒れていた人と、男子生徒がいたはずなんです」

「それは確かかね?」

「………はい」

 琢斗自身、半ば『美術室の中には二人いた』と勘違いしていたのでは? などと自分を疑ってしまう程だったのだが。

 よくよく思い返してみても、やはり琢斗が美術室の前に立っていたあの時、中からは男子生徒の声が聞こえていたと思う。

 それは隣にいた女子生徒も聞いていたもので。やはりあの時点では、美術室の中に女子生徒と男子生徒がいたことは確かなことだと言えた。

 美女は琢斗をじっと見つめ、それからすんなりそれを受け入れた。

「ふむ、そうか。ならばそれが真実なのだろう」

 琢斗は驚いた。

「信じるんですか?」

 すると美女は逆に不思議そうな顔をした。

「信じるもなにも。君がここで嘘をつく必要性がないだろう。

 それにさっき倒れていた女子生徒も男子に殴られたと言っていたし。この教室に二人の生徒がいたことは疑う余地がない」

 理路整然と説明されて、琢斗はあっけにとられた。

 なんだろう、この頭の回転の速さ。しかも、倒れていた女子生徒から情報は聞き出し済みとは。あの状況下でよくもこう冷静でいられるものだ、と琢斗は恐れ入った。

 しかし――――この人のすごさは、本当はもっと別のところにあったのだ。実際のところ。

 だが悲しいかな、この時にはそんなこと、琢斗はちっとも気付きはしなかった。

 美女は琢斗から視線を美術室に移すと、思い出したように呟いた。

「しかし、そう、この教室には鍵がかかっていたのだったな。

 そして――――――窓にも鍵がかかっている」

 窓際まで行き、すべての窓に鍵がかかっていることを確認した美女は、また少し考えるような仕草をした。

 その時、琢斗は啓示のように閃いた。

「あ! 準備室の方はどうでしょう?」

 すると美女がにやりと笑った。

「成程、ボクらが助けに入った隙に裏から逃げた、と。なかなかの推理だ」

 そしてつかつかと準備室に入り、扉の前までいくと、そこに手をかけてひいた。だがそれは開かなかった。

「君、見たまえ。ここは鍵がかかっている」

 琢斗を振り返り、美女は美術室の鍵の束をチャラチャラと振って見せた。

「ちなみに、準備室の鍵もここだ。

 犯人がいたとして、ここから逃走したのなら、この扉は開いているはずだ」

 彼女が言わんとしていることは琢斗にも分かった。

「つまり―――――」

 けれどその先を口にすることは躊躇われた。

 小説では幾度となく読んできたその台詞。けれど本当にそんなこと、起こりえるものなのか。

 だが美女はこともなげにそれを口にした。

「この美術室は『密室だった』というわけだ」

 にやりと、口の端を上げて。

「こういう時に肝心なのは、インスピレーション、閃きだ。

 それを得るためには、まず現場を観察しなくてはならないな」

 ゲンバにミッシツ。その美女が言葉にすると、それらは違和感なく聞こえてしまうけど。

 いいや? 本当は違和感だらけなんだ。

 琢斗はまるでドラマかお芝居のなかに入ってしまった気分だった。

 これは本当に現実か? ぼんやりとしてしまった琢斗を置いてきぼりに、美女が美術室へともどる。その後ろを琢斗は慌てて追った。

 再び美術室へともどった美女は、腕を組んでぐるりと周りを見回していた。

 琢斗も同じようにして美術室内を見回してみたが、正直どこを見たらいいのかよく分からない。

 だというのに。

「不自然な点がいくつかあるが。君はどう感じる?」

 そんなことを聞かれて困ってしまった。

 どう感じる、と聞かれても、琢斗にはすべてが奇妙に感じられるのだが。琢斗は思い当たった事をとりあえず言葉にしてみる。

「不自然なのは、机と椅子と…………」

 机と椅子は犯人が倒したものだろうか?

 そこで気付くのは、乱れているのは前方からベランダ方面にかけてだということ。

「これって、犯人はこちら側にきたってことでしょうか?」

「どうだろう? 確かに机の押しのけ方は、そんな風にも見えるけれどね」

 そう言いながらベランダ側の窓に近づいた美女は、そこ見るなり小さく呟いた。

「成程、成程」

 その様子に琢斗は首を傾げる。

「何か分かったんですか?」

 ふっと笑いをもらして、美女が窓の一つを指差した。

「君、そこの窓際に何か違和感を覚えないかね?」

 前方、壁際の窓。そこだけが違う『何か』があるというのなら。

「違和感ってほどでもないですけど、カーテン、ですよね」

 というのも、その他の窓のカーテンはきっちりフックに止められていたが、そこのものだけが半ばほどまでひかれていたのだ。

 琢斗の返答に美女はこくりと頷く。

「そう。それも壁側のカーテンなら分からないでもないが、中途半端に逆側だ。そこだけ、というのは立派な違和感になりえる」

 そして、その窓の硝子をこつこつとはじいた。

「ここをよく見てみたまえ」

「これは…………セロテープ、ですか?」

「ご名答だ」

 そこで美女はもう一度、美術室を見わたした。

「どこかにあるはずなのだがな。ああ、あった」

 目当てのものを見つけたのが、その場を離れ、美女がそれを手にもどってきた。それは美術室にあってもおかしくない、少し重そうなセロテープ台だった。

 それから美女はセロテープをビッと引きちぎる。

「おそらく、テープはこうして貼ってあった。さて、何の為に?」

 窓の中程に残る、セロテープの欠片の上にそれをぺたりと張って、美女が琢斗に小首を傾げてみせた。

 この状況で考えられる可能性は。

「トリック、ですか」

 自分で口にしながらも、琢斗は不思議でたまらなかった。だって、なんて現実味のない台詞だろう!

 しかし美女はちっともそんなことは思わないらしい。当然といった顔で深く頷いている。

「であろうな。さてさて、いったいどんなトリックを使ったのか。

 君、想像してみたまえ? このクレセント錠を、君ならどうやって上げてみせる?」

 琢斗はごくりと唾を呑んだ。

 これは間違いなく、密室トリックの謎解きだ。

(セロテープは…………何かを貼るもの………………それも窓の内側)

 考え込んでしまった琢斗に美女がおやおやと首を振った。

「君、そもそもの違和感を忘れてやしないかい? カーテンは何故ひかれていた?」

 そうだ、それもあった。

 カーテンに目をやった琢斗はやっとそれに気がついた。

「外れてる?」

 一箇所だけカーテンの外されたそれには、金具のフックだけがぶら下がっていた。

(もしかして!!)

 琢斗は急いで周りを見わたした。さきほどの美女がそうしたように。

 きっとこの部屋にあるはずのものを探して。

「あった!」

 急いで取ってきたそれを見て、美女が満足そうに微笑んだ。

「君もほとんど推理できたようだね。では、検証してみようではないか」

 琢斗が持ってきたのはビニール紐だった。

 それも何かに使った後なのだろう、適当な長さに切ってあるもの。

「まずは、窓を開ける、からであるな」

「はい。それから―――――この紐に輪を作ってクレセント錠のさきに引っ掛ける」

「それから?」

 面白そうに聞いてくる美女に琢斗は続けた。

「上のカーテンが外れたフックに通して、ここにテープで貼り付ける」

 滑車がわりのようにカーテンのフックにビニール紐を通してから、琢斗は美女が貼ったテープを丁寧にはがして、紐を貼り付け、またガラスの同じ位置に貼りなおした。

 そこで美女はにやりとして、お先に、とばかりにひょいと窓を乗り越えた。

 琢斗はどうしようかと躊躇ったが、思い切って窓を乗り越えた。

「さてさて、お次は?」

 促す美女に、琢斗は窓をスライドさせ交差させた。テープに貼り付けられたままの紐が外に出てきたところで、琢斗はそれをテープごと外して窓をもとにもどす。すると紐は窓の僅かな隙間をぬってベランダに出てくるのだ。

 後は――――――。

「そしてこれをひく、と」

 躊躇いもなく美女が紐を引いた。

 かちん、という音と共に、クレセント錠が跳ね上がり、密室が完成した。

 美女はするするとビニール紐を回収して、それから琢斗に笑ってみせた。

「ふふ、君は存外考えなしであるな。それとも考えてのことなのかな?」

 意地悪げにも見えるその顔に、琢斗は「分かっていますよ」とだけ言った。

 それに美女は「おや」と目を丸めてみせる。

 だがちょっと考えれば分かることだ。『密室を作った』のならば、美術室にもどれなくなる、なんてことは。

 それが分かっていて、何故二人してベランダへと出てきたのか。

 その理由だって、きっとこの人には分かっているはずだ。

「でも――――――貴方はこのまま、犯人を探しにいくんでしょう?」

 琢斗の問いかけに美女は微笑んで頷いた。

「ご名答。さすが、お眼鏡にかなっただけのことはある」

「何がですか?」

 意味深な台詞に首を傾げた琢斗をちらりと見て、美女は答えにならない返事をした。

「なに、キミが優しいコだという話さ」

「な、何で急に、そんな話に」

 だが美女は首を振ってその話を掘り下げた。

「いやいや、先ほどもそうだった。

 キミは一緒にいた一年女子に、用務員を呼びに行かせようとしただろう?

 あれは美術室が危険だと判断した上で、彼女の安全を優先しようとしたからだ。だから『鍵を持ってきて』から、『用務員を呼んできて』に言い換えた。

 それも自ら一番危険な扉の前に残って。実に紳士だ。素晴しい」

 こうも手放しに褒められると気恥ずかしくてたまらない。

「そんなこと、ありません」

 思わず視線を泳がせながら琢斗は頭をかいた。

 そんな琢斗に美女はふっと笑うと、だが次に意地悪げに目を細めた。

「しかし、そうだな。やはり考えなしではあるかもしれんな」

 にやりと笑いながら。

「犯人が使った逃走用の窓が開いているともかぎらんのだぞ? 少々ウカツではなかったかね?」

そう言う美女に、琢斗は「大丈夫でしょう」と答えた。

「その時は端にある非常階段から下りれば問題ないですから」

「………………まあ、その通りではあるな」

 美女はふふんと鼻を鳴らし、それから口の端をちょっと上げて言った。

「では――――――いくとするか」

「はい」

 二人はそのままベランダを進んだ。

 琢斗は本当のところ、怪しげに開いている窓などなく、非常階段までたどり着いてしまうことを望んでいたのだけれど。

「不審な窓を発見したぞ」

 低い笑うようなその声に、琢斗の足はぴたりと止まった。

 その数メートル先には、確かに僅かに開いている窓があった。カーテンは閉められており、その教室の中はうかがえない。

「ここは、教材室あたりか」

 美術室からの距離で判断しているのだろう、美女が言った。この人は先輩だ。おそらくその推測は正しい。

(教材室に逃げ込んだ? あるいは、そこから校内にもどった、か? いや、ただ単に開いていただけってこともある)

 ぐるぐると考え込んでいる琢斗をよそに、美女は実に思い切りのよい決断をした。

「よし、入ろう」

 琢斗は叫んだ。

「えっ! 危ないですよ!」

 犯人と鉢合わせにでもなったら、どうするつもりなのか。

 しかし美女は強気だった。

「人がいる気配はしない。大丈夫だろう」

 にやりと笑ってそっとその窓を覗く。

 確かに物音はない。琢斗はその言葉を信じて頷いた。

 美女が窓に足をかけ、ひょいっとそれを乗り越えた。カーテンが揺れて、その姿が窓の向こうへと消える。

「大丈夫だ。入ってきたまえ」

 声がかけられて、琢斗も窓を乗り越えカーテンをくぐった。

 その瞬間。


 パン! パパパーーーーン!!


 軽い幾つもの破裂音。飛び散る色とりどりの紙テープ。すっぱいような火薬の匂いが琢斗の鼻をくすぐった。

「?????」

 頭の中が一瞬で真っ白になった。

 そんな琢斗に、目の前にいる美女がにっこりと微笑んだ。

「ようこそ『兎の巣穴』へ。愛しのアリス」

 その台詞で琢斗は―なんとか、本当にやっとといった感じで―事態を理解した。

 そう、これは―先ほどからの異様な事態は―すべて仕組まれていたことなのだ、と。

 正面にはにやにやと笑う美女。そして脇には被害者―役といったほうが正解だろう―の女子生徒がにこにこと手を振り、犯人とおぼしき男子生徒は無表情でこちらを見ていて、その二人の影から、美術室の前で会ったあの女の子がおずおずと顔を覗かせている。

 かなり、かなり、かなーり、長い沈黙の後で。

「―――――――ずいぶんな部活勧誘ですね?」

 琢斗は搾り出すように言った。自分でも、よくこんな台詞が言えたなと後で思ったほど、頭の中をフル回転させて出てきたものだった。

 美女が実に満足げに頷いた。

「うむ。それがウチの部活のモットーであるからね」

 琢斗は力なくその人に顔を向けた。

 そうきっと、これはこの人に聞いたほうがいい。

「一応、お聞きします。これはいったい、何の部活で?」

 すると美女はパチンッと指を鳴らし、「さすがだ、アリス。素晴しい質問だ!」と嬉々として叫んだ。

 何だか、とっても藪にいる蛇を突っついたような質問をしてしまったらしい。

 若干引きつりつつある琢斗の顔などお構い無しに、かの人はバッと手を広げ、意気揚々と発表した。

「ここは奇術クラブ。別名『兎の巣穴』。

 夢と希望と愛と悪戯をふりまくことを目的とした、崇高なるクラブだよ!」

 成程、それは。

「つまり――――――ものすごーーーーくっ、はた迷惑な部活ってことですね!?」

 それ以外に何と評するというのか。

 美女はそんな琢斗の言葉にムッと口を尖らせた。

「何を云う。昔から『可笑しくもない世を面白く』、というであろう。

 我らが『兎の巣穴』の活動は、何の変哲もない日常にスパイスを振り掛けるという、立派な仕事そのものだぞ」

「……………それは、スパイスを必要としている人間にのみ、有効だと思います」

 すると美女はこてりと首を傾げ、挑発的に目を細くした。

「おや? キミは必要としていないのかね?」

 一瞬、琢斗は自分の心臓をわしづかみにされた気がした。

 だってその台詞は。文字通り、琢斗のもっとも大事にしているところを的確に突いたものだったから。

『スパイスを必要としている人間』琢斗自身が誰よりも分かっていた。

〝それ〟が、どんなに必要か。願ってやまない琢斗の衝動に、どうしても欠かせないモノ。

 それが―――――ここにはある?

「さて、アリス? キミはいったいどうしたい?」

 差し出された手から目が離せない。

 思えばもうこの時、琢斗は落ちていたのだ。物語の始まりの、兎の巣穴に。

 すでに物語が始まっていたことに、琢斗はまだ気付いていなかった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る